間話 他がために


 特課第二班副班長の黒石白くろいしはくは、ウィタに向かい走る。


 背中を強く押す追い風が吹いたように黒石は感じた。


「我が盾よ、大いなる盾よ。我々を敵から護りたまえ!」


 黒石は矛を消し、ウィタによって弱められた力を全て盾に注ぎ込む。やっとの思いで自身の背丈ほどの純白の盾を顕現させた。


 黒石はその大きな盾を高く構え、回転させながら突進し、ウィタに近づく。


 敵の眼前に迫ったとき、盾を横向きにして力強くウィタに衝突させた。


 ウィタは両手で盾を受け止めた。

 弱体化した黒石はウィタに力では本来及ばない。しかし、後ろに控える白南風喜己しらはえききの邪魔をさせないために、ありったけの力で必死で抑え込んだ。


 そして、完全にウィタの視界を遮った。


「もう一人はどこだ……!」


 ウィタは盾の下部から黒石の脚は捕捉していた。


 しかし、白南風を見失っていた。


「吹き荒れて! 《木枯こがらし》!」


 白南風は両手を地面と水平にして、交差させる。

 その動きを模したかのように、敵を交点として盾の横をかすめながら、二つの風の柱がウィタを挟撃する。


「グッ……!」


 白南風の攻撃は確実にダメージを与えたが、一撃でウィタを倒すには至らなかった。


「キーちゃん、もう一度! 今度は全力で!」


「はい!」


 黒石の檄に白南風は最大限に応える。

 再び、白南風は先ほどと同じ構えで、技を放った。


「削り取れ! 《木枯・嵐こがらし・あらし》! 限界のその先へ!」


 先程までと違う点は、白南風が出せる最高最大火力ということ。

 地面を抉り、猛風がウィタ目掛け駆ける。


(クソ、白南風もう一人黒石こいつの後ろで見えない。

 技はもう発動されている。これから注ぎ込まれる力を弱めることはできても、既に発動された力を弱めることは不可能。

 技は、避けられない……)


 風がウィタに到達する刹那――彼は思考を巡らせた。

 

 そして、辿り着いた最悪の答えを実行に移す。

 それだけの実力を、彼は持っていた。


「避けられないなら、黒石お前諸共だ」


 鋭い眼光が黒石に向く。

 しかし、盾がそれを遮り、彼女は気付くことができない。


 ウィタは既にボロボロの身体で盾を抑えながら、盾の下から黒石の後ろを覗きこむ。黒石の脚の間から、後方で技を使う白南風を、ウィタは視界に捉えた。


 ***


「映像を見たときから違和感はありましたが、やはり、普通の反射ではありませんでしたね。

 "因果応報"、面白い銘力です。良いことには良いことを、悪いことには悪いことを。まさか、過去に遡ってまで返ってくるとは思いませんでした。

 あれから少しは徳を積んで暮らしてきたつもりだったんですが、こんなに返ってくるとは」


 二班班長の流師善彦ながしよしひこは、濡れた地面の上で、大の字に倒れているカン・ゾーに向け話していた。


「善悪は所詮裏表。見る方向次第で、いくらでも変化する」


 やれることは全てやり尽くしたと、負けたゾーは潔かった。


「善の数だけ悪があると。しかし、ここまで手こずるとは思いませんでした。素晴らしい使い手ですね」


「嬉しい限りだ。俺みたいな雑魚が、あんたほどの実力者に褒められるとは夢みたいだ」


「よしてください。あなたもかなりの使い手でしょうに」


「いいや、俺は雑魚なんだよ。本来、俺のこの力は過去には遡らない。ましてや、他人にも作用しない」

 

「どういうことでしょうか」


 流師の胸がザワザワとさざめいた。


「リアルタイムで俺がした良いことには良いことが、悪いことには悪いことが、俺自身に返ってくる。ただそれだけの力なんだよ」


「では、今の戦いは一体……」


「もう一人いたろ。あいつの力のおかげで、俺は強くなれてただけさ。ウィタが眼鏡のスクリーン越しに俺を見ていたから、俺はあんたとここまでやれたんだ」


「彼の力は弱体化だけではない……と?」


「ああ、本当に恐ろしいのは強化能力の方だ」


「強化能力。確かに、味方との共闘では有利かもしれませんが、一人では恐れることはありません」


 まるで自分に言い聞かせるように、一抹の不安を取り除くように流師は言った。


「本当にそうか? あんた、考えてもみろよ。ただでさえ強大な自分の力が増し、暴走し、コントロールを失うことを」


「……」


「そこに守るはずの民間人や味方がいるところを」


「まさか……」


 流師は瞬時にゾーの意識を奪い、拘束した。そして、急流のような勢いで、ウィタと戦っている黒石と白南風のもとに向かった。


 (お願いです。どうか、二人とも無事でいてください!)


 ***


「嘘、待って!」


 突如として、白南風が放つ技の勢いが増す。彼女の最高火力をはるかに上回る力で、技は暴れ出し、コントロールが効かない。技のために交差させた腕を解いても、風は止むばかりか益々強まっていく。


「白姉、避けて!」


 白南風の咄嗟の叫びから、黒石は危機を察知した。

 ――もう、間に合わないことも。


「キーちゃんは悪くない、大丈夫」


 ただ一声。


 彼女には振り返る時間すらも残されていなかった。


(どうか、この言葉がキーちゃんを追い込む矛となりませんように。どうか、この言葉がキーちゃんを守る盾となりますように)


 風は仲間を集めて群れるようにどんどん大きくなり、ウィタと黒石を交点に、禍々しい嵐が荒れ狂う。

 大地を削り、盾を削り、二人を削る。

 嵐に巻き込まれて、二人の身体は高く、高く舞い上がった。


(まったく、不本意な結果です。

 ですが、生きるか死ぬか、再び目を覚ますかどうか、救われるかどうかは、仲良く仏に委ねるとしましょう。

 それでは、また会えることを願っております……)


 暴れる嵐の中、ウィタはそっと意識を手放した。


「辞めて。お願い、もう止まって…………」


 気を失った黒石とウィタは風に乗り、強く地面に叩きつけられた。


 ***


 清潔な白いベッドの上で、包帯に巻かれ黒石は静かに目を閉じている。包帯の下には無数の傷が隠れていた。


 丸椅子に座り白南風は、静かに彼女の手を握りしめていた。彼女をこんな姿にしてしまった自責の念に駆られながら。


 扉がそっと開かれ、誰かが部屋に入ってきた。誰が入ってきたかなど、白南風に気にする余裕などなかった。


 話し声から、入室してきたのが流師だとすぐにわかった。


「医者が言うには、一命をとりとめはしたが、いつ目を覚ますかはわからないようです。ずっとこのままかもしれないと……」


 白南風はなんとなくそんな気がしていた。でも、微かに黒石なら、いつも姉のように優しく、共にいてくれた黒石ならと祈っていた。


「私が……私が代わりにっ……!」


 涙が白南風の頬を伝う。

 乾ききっていない跡を何度も何度もなぞるように。


「あのときやっぱり、私が囮になるべきだった……」


「白南風君……」


「白姉じゃなく、私がこうなるべきだった! こんな、傷つけることしかできない力なんて! 私いらな――」


「それ以上彼女の前で、戯言を吐くなら私が許しません!」


 拳を握りしめた流師の声にはいつもの柔らかさはなく、少し震えていた。


「私達が一番、彼女が大切にしていた言葉を知っているでしょう。

 "言葉はときに矛となり、言葉はときに盾となる"。

 あなたの今の言葉が、彼女を傷つける矛になると気付かないのですか」


「……」


「どうせ届けるのなら……彼女の気持ちを少しでも安らかに、早く私達に会いたくなるような、そんな優しく、心強い言葉で包んではあげませんか」


 夕焼が眩しかった。

 流師の目尻はオレンジの光を僅かに反射させていた。

 白南風には、そんなふうに見えた。


「黒石君、早く起きてくださいね。今回のご褒美にヨシさんと呼ばせてあげますよ。

 いくらでも、好きなだけ呼ばせてあげますから……」


 アルコールの匂いが微かに漂う建物に、二人の悲しみがこだました。

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