僕が愛したひとりの悪魔
003
【第1章:悪魔の子】第1話 悪夢
俯瞰していた。
無数の屍が転がる荒野。
世界の終焉を描いたような光景。
その中に立つ自分自身を。
僕の腕には愛した人の亡骸が抱かれている。
僕だった者は、その姿を変えていく。
遠くなる視点。
視界に映る全てが瞬く間に青い炎に侵されていく。
これが、世界の終わり...
その中心に佇む僕に、誰かが近付いた。
____「やっと目、覚ました!!」____
聞き慣れない声が頭に響く。
今のは夢...?
ゆっくり瞼を開けると、薄い膜が張った視界に淡い茶色の三つ編みが揺れている。
その髪を辿ると、嬉しそうに僕を覗き込む少女がいた。
健康的な肌の色に透き通った緑色の瞳が印象的な少女。
頭がぼやけていて靄がかかっているような...。
「ことば、わかる?」
少女の問いにコクリと頷く。
「本当によかったぁ。」
と胸を撫で下ろした少女。
「海岸で見つけた時は生きているのが不思議なくらい酷い怪我だったんだよ?」
少女の言葉が脳内の靄を切り裂いた。
ハッとして腹部を触ると綺麗に包帯が巻かれていた。
この傷は...。
指先が食い込むと温かい血が滲み出す。
「わわっ傷口開いちゃうよ!?」
慌てる少女に構っている余裕はない。
僕は...「死ねなかったのか...。」
冷めた言葉が残響するほどの静かな空気。
冷えきったこの空間を作ったのは間違いなく僕で、そんな沈黙を破ったのは少女だった。
「私は...あなたが目を覚ましてくれて、すごくすごく嬉しかったの!」
キラキラと輝く屈託のない緑色の瞳。
僕は目を伏せるように腰部をコソコソと漁った。
「探しても無いよ。預かっておいたから...。
ナイフが必要なの?」
哀しげな少女の声が耳に入る。
もう僕には何もない...。
スーッと首紐を辿る。
触り慣れた小さな牙をぎゅっと握りしめて目を閉じた。
少女は何かを察したように
「助けちゃってごめん...。」と呟いた。
「私はあなたのこと何も知らないけど...生きてほしいな。」
少女はそう言い残して部屋を去って行った。
"生きてほしい"という言葉は思い出したくもない記憶を掻き乱す。
最後の瞬間まで、ただ部屋をぼんやりと眺めていたかった。
父は僕に"生きろ"と言った。
なのに...なんで...
「こんな僕を残していかないでよ...。」
込み上げる熱いなにかが冷えた瞳からポツポツと落ちてくる。
拭っても拭っても溢れ出す、この気持ちのように。
「ここにいるよ。」
突然の声にハッと振り向いた先には、
「あっ私を探していたのかと思って。」
と照れ笑いをしながら頭を掻く少女。
もう片方の手には僕のナイフが握られている。
歪む視界の中、少女は僕の側に腰を落した。
彼女の指先が背中にそっと触れる。
掌からじわりと広がる温かさ。
心臓は彼女の手の動きに合わせるようにゆっくりと落ち着きを取り戻していく。
これじゃ、まるであやされている赤子だ...。
恥じらいも含めてか不思議と涙は止まっていた。
少女はそっと手を離すと僕の太ももの上にナイフを置いた。
そして恥ずかしさを誤魔化すように咳払いをして、もう一度言葉にした。
「ここにいるよ。
あなたの心に近づきたいと思う私が。」
大きな緑色の瞳が、僕をごくんと飲み込んだ。
くふっ。僕から薄く洩れた声。
彼女との出会いは今の僕にとって、もう少し生きてみよう。そう思うには十分だった。
ナイフを受け取らない僕を見てニコニコと嬉しそうな少女。
彼女の指先が僕の前髪に触れる。
「見ない髪色だけどどこから来たの?」
少女にとってその日は月に一度、塩を作るために海水を取りに行く日だった。
日が昇る前でまだ仄暗い。
吐く息が雲のように空気中をとどまって、どんな形に吹けるかなんて遊びながら、桶と海水を濾すための布を抱えて歩いていた。
見慣れた海岸。
なんでもない一日のはずだった。
少女はふと、波打ち際に大きな魚のような影を見た。
嫌な予感が少しずつ形になっていく。
魚なんかじゃない...人だ...。
見慣れない髪色の同じくらいの歳の青年。
その真っ白な肌は死を漂わせていて、少女の背筋をゾクリと震わせた。
恐る恐る、紫陽花のような口元に耳を近づける。
青年はまだ僅かに息をしていた。
しかし、体中傷だらけで腹部には少女の指3本は入りそうな穴が赤黒くあいていた。
少女は濾過のために持ってきた布を傷口に巻きつけ、青年の体を少しでも温めるように抱きしめた。
痛いくらい冷たい。
この極寒の海に抱かれているよう。
ゆっくりと、時間をかけて体温が溶け合ってゆく。
少女は日の出と共に、青年を背負って歩き出した。
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