CHAPTER Ⅳ:地下層〈トーカ編〉

第19話:「再構築(Recompile)」

ツナギが急速に体温を失っていく。

最後の言葉が、脳裏で何度も反響する。


「……また、私……」


鉛會事務所の一室。

ベッドに腰掛けたまま、トーカは膝に顔を埋めていた。


あの瞬間の音と、ドミナの冷たい笑みが、耳の奥で何度も繰り返される。


扉が無遠慮に開き、フラッシュバックは中断された。


ロクショウは不機嫌そうに部屋を一瞥すると、ため息をついた。

中へ入って壁に背を預ける。


「……いつまでそうしてるつもりだ」


返事はない。

ロクショウは腕を組み、冷ややかに続ける。


「ぐずぐずしてる暇があったら、身体でも動かせ」


俯くトーカの頬を、涙が伝い落ちる。


「また親切な誰かに庇われて、そいつを死なせるつもりか?」


容赦ない言葉が胸を貫く。

反論は出ず、ただ息を呑む。


「……ついてこい」


ロクショウは背を向け、部屋を出る。


畏怖か、恩義か、意地か。

トーカの足は、無意識に前へ動いた。


錆びたエレベーターが地下へと降りる。

簡素な訓練場。

そこには、長身の女性が立っていた。


長い黒髪を後ろで束ね、鋭い目つき。

口元には無骨なフェイスガード。

密林で見たコンバットスーツ姿のまま、木刀を構える。

その姿勢には、わずかな隙もない。


「アヤセがお前の面倒を見る」


ロクショウが低く告げ、木刀をトーカに投げ渡す。


重みが腕に伝わる。

合図もなく、アヤセは瞬時に間合いを詰めた。


「速っ……!」


直撃すれば頭が割れる勢いで、木刀が振り下ろされる。

反射的に構えるが、衝撃が腕を痺れさせた。


「生きる気がないのなら、ここで殺してあげます……」


冗談でない決意がその瞳に宿っている。

背後を冷たいものが伝い、ドミナの表情がフラッシュバックする。


(くっ……!)


怯える心の奥、奮い立つもう一人の自分を感じた。


(なんでオレがいつまでもビクビクしてなきゃいけないんだ……)


力を込め、木刀を押し返す。


「ざけんじゃねぇ!!」


頭上のロジエルを通して、誰かの戦技アーツが流れ込む。


トーカの棒術は武器に縛られない。

剣のように振り下ろし、槍のように突き、鋤のように足を払う。

軌道は自由で、予測を許さない。

アヤセの表情がわずかに険しくなる。


「なら……これはどう?」


防御と同時に木刀を絡ませ、鍔で親指を打ち据える。


「痛っ!」


激痛で木刀を落とす。拾おうとした瞬間、顎に蹴りが直撃した。

床に叩きつけられ、視界が揺れる。


冷水が頭から浴びせられ、意識を引き戻された。


「動けなくなるほど強くは蹴ってない……続けましょう」


再び立ち上がる。

息が荒く、手足は震えているのに、心は不思議と折れていなかった


攻防の連続。

カウンター、突き、投げ、蹴り、床に転がされる。

立ち上がるたびに、剣先を受け流し、相手の足運びを読む。

攻撃の連続に、短い間が生まれ、緊張と呼吸のリズムが鋭くなる。


《──スキルに調整を加えます。

──戦闘パターン最適化……実行。》


ロジエルが光り、思考と身体の境界が曖昧になる。

その度、トーカの動きは鮮烈さを増す。


アヤセが低く息を吐いた。

「どう。そろそろ降参?」


膝は震え、汗が目に入る。

それでも、トーカは口を拭って笑った。


「オレ、まだやれます!」


その瞳には、確かな闘志が灯っていた。

壁際のロクショウは、腕を組んだままわずかに口角を上げる。


(良い目しやがる……)


訓練後、冷たい水が差し出される。

口に含むと、氷のように冷たく、頭まで冴え渡る。


「お前……その"オレ"とか男っぽい喋り方、昔からか?」


「え……?」


微かな違和感。

元々お淑やかな性格ではないが、自分を「オレ」と呼んだ記憶はない。


ロクショウは顎でアヤセを示す。


「あいつも昔はもっとお喋りだった。

剣術系スキルを次々入れて、どんどん無口になりやがった」


「あなたをお守りするのに、言葉は不要です」


アヤセはちらりとロクショウを睨む。


「まったく。いつの時代のおサムライだよ……」


ロクショウは呆れたように言う。


「おそらくアーツには、元の持ち主の人格も宿ってんだろう。

……変わってきているのは、口調だけじゃねぇかもしれねぇな」


「ちょっとロジエル!どういうことだ!……なの?」

トーカは光輪を睨む。


沈黙が一拍置かれる。


《確かに、『アーツのインストールに伴う人格の変容について』という論文が存在します。》

《しかし、それ自体はあなたの生命や今後の探索に不利益を与えるものではありません。》

《よって、不必要な情報と判断しました。》

《もちろん尋ねられた際は、これを秘匿する意図はありません。》


トーカはあっけに取られ、何も言い返せなかった。


「……こいつら機械には、人格とかアイデンティティみてえなのは知ったこっちゃ無いだろうよ」

ロクショウは軽く息を吐く。


視線の先で、光輪は気に留めた様子もなく淡く回転していた。



* * *


地下一層の集落は、昼も夜も区別がない。

人工灯の光が常に照らす通りでは、商人や職人が黙々と手を動かし、子供たちは影の薄い路地を駆け回っていた。


「ほら、これ持ってけ!」


屈強な荷役男に手渡された木箱は、見た目以上に重かった。

中身は保存食と工具類。足を踏ん張らなければ、膝が笑いそうになる。


ロクショウに紹介された仕事は、日雇いの力仕事から始まり、掃除、搬入、時には露店の手伝いまで幅広かった。

汗と土埃にまみれながら、日々のNIL(電子通貨)を稼ぐ。


「アンタ、手際よくなったね」


露店の女主人が笑って、光輪デバイスを通してNILをトーカに送信する。


稼ぎが溜まると、装備を揃えるために商店街へ向かった。

今日はアヤセも一緒だ。


鉄製の小型ブレード、防刃ジャケット、滑り止め付きのブーツ。

棚には中古品が並び、実用一点張りの武具が所狭しと積まれている。


「自分に合った重さとバランスが大事」


アヤセはブレードを握り、構えを試す。数度振っては戻し、刃の感触を確かめる動きは、無駄がなく美しい。


ふと、トーカは口を開いた。

「アヤセさん、ロクショウさんのこと、どう思ってるんですか?」


一瞬、空気が止まった。

アヤセの手の動きもわずかに遅れる。視線は遠くの棚に釘付けだ。


「組長は……私の守るべきお方、です」

声は落ち着いているが、耳まで赤く染まっていた。


アハハ、とトーカが笑う。


アヤセは小さく顔を背け、ブレードを握り直す。

「今日の訓練、覚悟することです」


「うひー、勘弁して~」


逃げるように通路を駆け抜けるトーカ。

その背中を、アヤセは小さくため息をつきながら見送った。


その日そろえた装備は、ようやく戦いに臨む形を整えていた。


武器は、トーカより背の高い鉄の杖――六尺棒。

防具は、肩や胸に強化プラスチック製のプロテクターが縫い付けられた防刃ジャケット、アヤセと色違いのお揃いだ。

靴は、洞窟や密林で擦り切れたスニーカーを諦め、軽くて動きやすいブーツに変更。

(さすがにロクショウみたいな鉄板入りはやめた。)


服は、地上にいた頃にNILで買ったインナーをそのまま着続けている。

無駄遣いにしたくなかったし、ツナギとの冒険の思い出も詰まっているからだ。


そして首から下げられる小型防毒マスク――非常時の命綱でもある。

今後は、シヴのような戦い方をする敵を想定しなければいけない。


新しい装備を背負った帰り道、背筋が自然と伸びていた。



* * *


出発の朝――といっても、この地下一層に夜明けはない。

ただ、人工灯が一段階明るくなり、人々の動きが慌ただしさを帯びる時間帯だった。


装備を整え、荷物を肩に掛けたトーカは、ロクショウの詰所へ向かう。

扉を開けると、机に足を投げ出したロクショウが煙管をくゆらせていた。


「……で、もう行くってか」

「はい。お世話になりました」


深く頭を下げるトーカ。


アヤセはそっと歩み寄り、トーカを抱きしめた。

「死なないこと。私の訓練を無駄にしないでください」

トーカはアヤセの汗の匂いと息遣いに触れ、胸の奥がぎゅっと熱くなる。


「アヤセさんも、です」

言葉に震えを込めて返す。

抱き合う背中に、言葉にできない想いがこみ上げた。


ロクショウは煙を吐き、にやりと笑う。

「食い扶持に困ったら、いつでも戻ってくると良い」


事務所を出ると、町の人々の息遣いが背後にあった。


(みんな、ありがとう)


トーカは深呼吸をひとつ。

わずかに笑みを浮かべ、前を見据える。


そして地下二層へと続く階段を、迷いなく踏みしめていった。

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