10:微秒のサブリミナル(Interrupt)
錆臭いエレベーターの振動が止まると、ロクショウは軽く顎をしゃくった。
「腹、減ってんだろ。行こうぜ。こっちで旨い店がある」
ツナギとオレは無言のまま後に続いた。
屋台が密集する細い通りに出ると、油煙と焦げたソースのにおいが、空気より濃い。
通りに立つジャケットを着た大柄な男が、ロクショウを見ると頭を下げる。
「アイツも鉛會の人間かな?」
ツナギにと小声で問いかけると、たぶんな。と返ってきた。
案内された先は、半壊した倉庫を改装した食堂だった。
黄色く煤けた看板に、油まみれの鉄板、無造作に積まれた食器。
清潔とは言い難いが、そこに漂う匂いは食欲をそそった。
これはどうも!!と店主らしき男が中華鍋を振り混ぜながら挨拶する。
男は慣れた様子で手短に注文を告げると、ツナギとトーカを卓へ座らせた。
「……俺の名はロクショウ。2代目鉛會の組長だ。この地下層の一部を預かってる。」
「預かってる…か、支配してるの間違いじゃないか?」
ツナギの問いに、ロクショウは肩をすくめる。
「どうでもいい。まとめ役ってだけだが、
俺を通さずでかい商売やる奴はだいたい消える。それだけの話だ。」
「この辺りの統率……驚いている。正直、もっと混沌としてるかと思ったが、秩序がある。」
「ああ、その見立てで正しい。ここは“たまたま”生き延びた奴らの吹き溜まりだ。
先代の時分はもっと酷かったさ……
殺し合いと暴力と飢え。その果てに、今がある。」
ロクショウは煙草を咥え、火をつける。
「勝手する連中は残らず黙らせた。どうしようもないやつは俺のとこで食えるようにした。
どいつもこいつも"居場所"ってもんが必要らしい。」
料理が運ばれてくる。
鉄皿に山盛りにされた、肉と野菜の炒めご飯。
ごま油の香りと焦げた醤油の香ばしさが、湯気に乗って立ちのぼる。
「いただきます……」
ひと口食べた瞬間、俺は思わず目を見開いた。
施設で食べたあのカレーと違って、何もかもが整っていない。
肉の焦げ目はわずかに苦味があり、不揃いな野菜の甘みと合わさって、パンチのある味わいになっていた。
ラードの多さや、塩味の強さは身体に良いとは言い難いが、うまい!
「懐かしい味だな。」
ツナギも味合うように餡かけそばを口に運んでいる。
ロクショウはそんな俺達を見て、どこか嬉しそうに目を細めていた。
——その時。
遠くで叫び声が上がった。
屋台のざわめきが、凍りつく。
逃げろ!という怒鳴り声。
次の瞬間、屋台を突き破って一人の男が吹き飛んできた。
さっきの鉛會の用心棒だ。重そうな身体がテーブルを砕いて転がる。
立ち上がりかけたツナギを、ロクショウは手をかざして制した。
「まあ座って飯でも食っていてくれ」
そう言うと、ゆっくりと眼鏡を外し、屋台の机の上に丁寧に置いた。
かすかに光沢のあるスーツの袖をまくると、ガンメタルに金のラインが入った両腕の義手が鈍く輝く。
路地の先には、中年の男が立っていた。
光輪が警告灯のように赤く明滅している。
目は虚ろで焦点を結ばず、口元は泡立っている。
「お前も俺の敵か!!俺を殺りに来たんだな!そうなんだろォォォォぉヲおお????」
叫びと同時に、男の左腕の義手ががカシュンと音を立てると、
手首から先が裏返るように回転し、機械仕掛けの大口径銃へと変わる。
照準はぶるぶると震えながらも、ロクショウを捉えていた。
——ズドンッ!!
轟音とともに空気が裂け、迫る弾丸がロクショウの顔面をまっすぐ狙う。
危ないッ!と思ったが、彼は落ち着き払って、ただ瞳を細めた。
瞳孔が淡い光を宿し、額のそり込みに彫られた文様がじわりと光る。
┏━━━━━━━━┓
トーカ達には見えぬ世界。
ロクショウの視界がぬるりと揺らめく。
あらゆる境界が、輪郭が、ゆっくりと溶け出し、粘土のようにたわむ。
時間が、溶けるように遅くなった。
弾丸は、まるで風船のようにふわふわと飛んでいる。
┗━━━━━━━━┛
「ったく……物騒なもん仕込みやがって」
ぼやいた瞬間、彼の義手が弾丸を鷲掴みにしていた。
(掴んだ?
——いや、そんなことあり得るのか!?)
ぎゃりぎゃりと金属が火花を散らす。
弾は義手の中で行き場をなくし、エネルギーを失った。
ロクショウはそれをつまらないもののように地面へ放ると、相手へ詰め寄る。
男は咆哮を上げ、右腕でなぎ払おうと拳を振り上げた。
「寝とけ」
前髪を乱暴に掴み、鋭い膝蹴りを顎に叩き込む。
乾いた骨の音と共に、男の体が糸が切れたように崩れた。
静寂が訪れる。
(この男、強い……!!)
人々が口をつぐむ中、ロクショウは肩を鳴らしながら背を向けた。
「……悪い、飯の途中だったな。冷める前に食っちまおうぜ」
そう言って笑ったその顔は、先ほどよりずっと“人間”に見えた。
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