12:排他的論理否定(Exclusive NOR)

 風のない空間に、鉄と湿気の匂いがこもっていた。

 トーカ達は言葉を交わさぬまま、集落の活気から離れていく。


 背後から、ロクショウのよく通る低い声が追いかけてきた。


「地下一階から三階までは、まだうちの縄張りだ。

 ただ、下に行くほどコントロールは利かねぇ。

 勝手をやる連中の中に、手のつけられないのも混じってる。」


 アヤセが無言のまま一歩前へ出た。

 手のひらに収まる小さな金属製の名刺を差し出す。


「困ったときに見せろ。俺の名を出せば、多少は融通がきく」


〈二代目鉛會 組長 緑青ロクショウ〉の文字が、薄暗がりの中で鈍く光った。

 ツナギはそれを黙って受け取り、深く一礼する。


 去ってゆくロクショウの背には、ほんのわずかに、言いようのない寂さが滲んでいた。


 地下二階へ続く通路。濃い湿度と熱が皮膚にまとわりつく。

 人工照明もまばらで、灯りは頼りなげに揺れている。


 やがて、トーカがふと立ち止まり、壁にもたれて腰を下ろす。

「少し、休もうぜ……」


 ツナギは周囲を確認し、やや離れた位置に腰を下ろした。


 精神的な疲弊もあるだろう。

 少女は泥のような疲れの中に、あっという間に沈んでいった。

 その寝息はまだ幼さを残している。


 ツナギは目を閉じず、ぬかるんだ床をただじっと見つめていた。


 ──ロクショウのやり方は、全てに賛同できるわけではないが合理性があった。

 そして、それを否定する資格を、俺は持ち合わせていない。


 俺は、かつて自らの命を捨ててでも国を救おうとした。

 ただ、それは『俺が死ねば済む』という話ではなかった。


 作戦の実行には、数多くの犠牲が必要だった。

 戦友が次々と命を散らしていくことを、どこかで当然のこととして受け入れていた。


 いや、当時はそんなことを考えることもしなかった。


(自分はただ、「自己犠牲という崇高な精神」を抱いたまま死にたかっただけだったのだ…)


 俺は、他者の犠牲を黙認した。

 あの作戦を是とした時点で、俺は「共犯者」だった。

 秩序を敷くという目的のために暴力や麻薬を認めるロクショウと俺は

 ──きっと、何も違わない。

 だから、あの時、何も言えなかった。


 もう、昨日までの自分には戻れない。

 しかし、今更生き方を変えることもできない。

 だが、ひとつだけ確かなものがある。


 隣で眠る少女に目を向けたとき、ツナギの視線はわずかに柔らいだ。

 守るべきものだけは、はっきりしている。


 ツナギは静かに、決意を固めるのだった。


 ふと、トーカが身じろぎし、薄く目を開く。


「……ロクショウたち、強かったな。」

 半ば寝ぼけた意識のまま、ぽつりと口にする。


「変な人だったけど、……ちゃんと責任を背負ってるっていうか。

 オレは、今までそういうこと、考えたこともなかった。」


 ツナギは黙って聞いていた。


「大人はずるいって思ってた……

 でも、ほんとは色んなことから守ってくれてたんだ。」


 完璧ではなかった世界。

 けれど、自分が安心して笑っていられた。

 それは背後で誰かが立ち向かい、支えていてくれたからだった。


 ぼんやりと、両親の面影が脳裏をよぎる。

 トーカはそっと滲んだ涙をぬぐった。


 ┏━━━━━━━━┓


「ねえ、見てた?」


 声が響く。


 少年のようであり、少女のようでもあり、

 幼さと老練さが同居する、不定形の声。


「ロクショウってさ、時間操作系かな。

 それとも、体内時間の加速?

 でもさ、多分あれ、連発は無理っぽいよね〜」


 仄暗い部屋。

 モニターに映るのは、ツナギとトーカの姿。

 その手前の朽ちた食卓には、複数の人影が座っている。


「カッコよかったんだけどな〜

 それだと、ボクの人形としては使いずらいかなぁ」


 テーブルの端で、ただ一人だけ動く存在。

 細く長い指で、トントンと天板を叩く。


「アヤセってのは喋んないし、つまんないや。いらなーいw」

 笑い声が、部屋に反響するがその表情は窺い知れない。


「あの二人組……」

「トーカはただのガキだ。でも、ツナギはいいね。

 能力らしい能力を使ってないのに強いってのがいいね。伸びしろを感じるよ♡

 『縛りプレイ』ってやつ? ドMなのw?まあ。まだ様子見かな~」


 男、女、子ども、老人──食卓を囲む物たちは年齢も性別もバラバラだ。

 ただし、誰一人動かない。

 目は開かれたまま、誰一人瞬きすらしなかった。

 皿の上の食事も、全て模型だ。


「ねえ!みんなもそう思うよね~」


 声の主はまるで“こちら側”に語りかけるように


  振り向いた。


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