男の子との約束

「えっと、これをこうして……」


 部屋に設置された古めかしい文机の上に二枚の紙を置いて、私は筆を片手にうんうん唸っていた。

 片方の紙は縦長の長方形、もう片方は正方形に近い形をしている。それぞれ、自分の霊力を使った分身を生み出す札と、その分身に視点と体の制御を移す札。

 なんでこんなものを作っているかというと、それは私のささやかな反抗期に由来する。


「よし、これでできたかな」


 完成と同時に部屋を見回す。……見られたりしてないよね。

 私にあてがわれた8畳の和室。

 私はこの部屋から、私用で一度も外に出たことがない。

 その理由は、私に生えた、白い狐の耳と3本のこれまた白い尻尾にあった。

 私の家は昔の貴族の家から派生して、代々陰陽師として務めてきた家系だ。

 その功績はかなりのもので、かの有名な九尾の狐の封印を手伝ったこともあるらしい。それ以来、その家の者には金色の狐耳と尻尾が生え、それらは勲章のような扱いとなっていた。


 そう、金色。私みたいな白色じゃない。


 昔は天皇陛下に白い動物を献上するほど、白い獣は縁起がいいものとして敬われてきた。でも私の扱いは全くの逆、一族と『違う』という差別だった。

 だから、生まれついてから私はこの家の離れに押し込められ、陰陽術の修行や儀式で敷地内には出ることがあっても、外に出たことはない。教育は家庭教師に教えられ、ご飯は一人で食べる。

 でも、私だって15の女の子。自分の置かれている環境の理不尽さに憤慨もするし、外の世界への憧れだってある。

 そうして思いついたのが、式神を使った家からの脱走だった。


「へへへ……」


 変な笑い声を漏らしながら、早速式神を呼び出す。

 外に出たいという強い想いを乗せて、私の尻尾から白い狐が一体飛び出した。


「どこに行こうかな……」


 多分適当に街を歩いていても、この家の人間なら気づいてしまうだろう。


「木を隠すなら森の中……狐を隠すなら……」


 思いついた瞬間に、式神を西へ飛ばした。


 場所は、伏見稲荷大社。全国の稲荷信仰の総本山だ。



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「……」

「……あ、あのぉ……」


 姿を隠しながら伏見稲荷に到着して、多すぎる人に眩暈がして、ふと視線を感じて、その人についていったら、やっぱりこの人、私の事が見えてるみたい。驚いちゃったのか、座り込んでしまった。

 パット見て、同い年くらいの男の子。



「あの「すみませんお狐様今奉納できるお金があれしかなかったんです許してください」――え?」


 意を決して驚かせてしまったことを謝って事情を話そうとしたら、綺麗な土下座まで披露。何を思ったのか、私をこの神社の神様みたいなものだと思ってしまったらしい。

 誤解を解こうにも押し問答でますます深まっていくばかり。ここはもう、自分が彼の言う『お狐様』として振舞うことにした。

 そしたら、その少年は何を思ったのか私にこんな提案をしてきた。


「……えっと、ここから千本鳥居を通って上まで登ろうと思うんですけど、来ますか?」

「えっ……」


 お誘い。同年代の。しかも異性からの誘いなんて今までもらったこともなかったから、勢いでそのまま答えてしまった。


「いいの!?ついてくついてく!」



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 そんな見切り発車で始めてしまった同行は、私の人生で、最も輝いてる瞬間になった。

 伏見稲荷が持つ、この世と隔絶した神秘的な雰囲気と、突然現れた謎の狐に普通に接してくれる彼。

 まあ彼は私の事を神だと思ってるみたいだから、なけなしの神道知識で神っぽく振舞うのも大変なんだけど、それでも……楽しい。


(……普通の女の子みたいだな、私)


 彼といろんなことをお喋りしたり、からかわれたり、今まで失われていたものを取り戻すように山を登って行って、ついに終点にたどり着いた。


「あのさ、今日はありがとう」


 見晴台からの景色を眺めながら、彼に感謝の言葉を述べる。

 彼は困惑した様子で謙遜するが、今日のお礼がしたいと私は道中で切実に思うようになっていた。

 私の陰陽術を使えば、多少の運気上昇や厄除けができる。それが恩返しになるかなと思って、何か願いはないか聞いてみたが、はぐらかされた。


 何だ急にかわいいって、さてはこの子、案外女の子引っ掛けるタイプなのか?


 改めて聞いてみても、受験する高校は特に大丈夫そうだし、これといった願いもないみたい。


「私なんてやりたいこといっぱいあるよ?東京行きたいし北海道も行きたい、ゲームの課金だってしたいし、滅茶苦茶高い寝具で寝たい」


 なんて謙虚な少年だろうか、こんな欲望まみれの私と本当に同い年か?


「神様ならどこへでも行けそうなものですけどね」

「……そうだったら、いいんだけどね。言った通り、外に出ると時間制限があるからあんまり遠くには行けないんだ。大阪には行ったことあるよ」

「神様だからって、万能じゃないんですね」


 万能どころか、本当の私は部屋からも出れないんだけどね、と内心で思う。悲しくなってきたな。


「それじゃあ、俺からも感謝を。一人で周っていたらきっとあんまり楽しめなかったと思います。一緒に来てくれてありがとうございます」


 そう言って彼も頭を下げた。人に感謝されるなんて何年ぶりだろう。


「またこうしてお狐様と周りたいな……と思うくらいには楽しかったです」

「……そっか、よかった!」


 思わずうるっと来ちゃった。ダメダメ、神様っぽく振舞わないと。


「すみません。一つお願いしたいことがありました」

「ん?何かな?」

「来年、受験が終わったら、またここに来ようと思います。その時にまた、一緒に周ってください」


 そういわれた瞬間に一瞬思考が固まった。そうだよね、彼からしたら私はここに住んでるから、また会えるのは当然か。

 きっと多分、もうそろそろ家の人にこの式神がバレていてもおかしくない。だから次も行けるとは限らない。


「……うん、わかった。楽しみ、にしてるね」


 ……今ほど自分の境遇を憎んだことはないや。


「あーそっか、そろそろ時間か」


 それと同時に感じる、式神のタイムリミット。


「あ、制限時間ですか?」

「うん。君ともお別れ、だね。さよならだ」


 名残惜しいけど、多分もう彼と会うことはないだろう。ありがとうね、私に付き合ってくれて――


「――違いますよ」

「え?」

「来年また会うんですから、またね、です」


 ああもう、本当に――。



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千冬ちふゆ、お話があります」

「はい、お母様」


 タイムリミットを迎えて部屋で目を覚ました私は、間を置かず母に呼び出された。

 案の定式神を使ったことを問い詰められて淡々と叱られたけど、ひるまずに私が『お願い』をすることができて、母の驚いた顔を見ることができたのは、彼との約束のおかげ。


「ふー……さて」


 部屋に戻された私は、机の上に教科書とノートを広げる。

 彼との約束を守るために。

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お狐様との約束 梢 葉月 @harubiyori

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