名前も顔も知らないけれど、ずっと応援していた
水瀬湊(みなせ みなと)は、自分でもちょっと不器用な性格だと思う。
口下手で、勢いで踏み出すことが苦手。
でもひとつだけ、ここ数年変わらずに続けていることがある。
それは──とある“無名絵師”を応援すること。
SNSで偶然出会った、名前も顔も知らない絵描き。
ハンドルネームは@kuro_emu。
フォロワー数は決して多くないけれど、その絵はまるで、誰にも気づかれずに咲いている一輪の花のようだった。
投稿されるのは、色彩を抑えた静かなイラスト。
喜怒哀楽を強く描くわけでもないのに、不思議と心に残る。
湊は、その絵に出会ってからずっと、いいねとリポストを続けている。
感想も、短い言葉だけど毎回添える。
「優しい空気感が好きです」
「この目の描き方、本当に惹きつけられる」
「また見られて嬉しいです」
誰かに認められてほしい。
もっとたくさんの人に届いてほしい。
そんな気持ちを抱えながら、湊は今日もスマホを手に取り、そっと画面をスクロールした。
⸻
一方そのころ。
大学のアパートの一室。
黒江夢(くろえ ゆめ)は、机に突っ伏していた。
「うわぁあああああ……また1いいね……」
自分の投稿したイラストを見て、盛大に崩れ落ちる。
SNSのタイムラインには、目を惹く絵が次々に流れていく。
色も構図も上手い、フォロワーも数万単位──そんな絵の中で、自分の絵はまるで霞んで見えた。
「こんなんで出して、意味あるのかな……」
思わずスマホを閉じかけた、そのとき。
「今日の絵も好きでした。
見るたびに、呼吸がゆっくりになります。」
@neon_crow というアカウントからのリプライ。
いつも一番に反応してくれる人。
どの投稿にも、必ず感想をくれる人。
何気ないその一文に、心がじんわりとあたたかくなった。
「……この人だけは、いつもちゃんと見てくれるんだよな」
夢は、ペンを持ち直した。
“描きたい”と思える気持ちが、まだ少しだけ残っている。
⸻
数日後。
昼休み、湊は学内の掲示板の前で立ち止まった。
「大学合同アート展示会『Colors』 出展者募集」
テーマ:「表現の今を、ここに」
目立たないチラシだった。
けれど、書かれている言葉が気になった。
「“今を、ここに”……か。あの人の絵、そのまんまだな」
静かで、やわらかくて、でも芯のあるあの世界。
現実の場にあの絵が並んだら、きっと誰かの心を動かせる。
いや、自分みたいに“救われる”人がきっといる。
「出てくれないかな……いや、むしろ、お願いしてみる?」
口にしてみて、思わず赤面した。
DMなんて送ったことない。
でも──
(こんなに想ってるのに、何もしないのって違う気がする)
胸の奥にあった想いが、少しだけ形になりはじめた。
⸻
放課後。
湊は図書館の一角で、友人の晴人(はると)と落ち合っていた。
いつも通りの雑談の中、ふと展示会の話題が出る。
「アート展示? 湊、出んの?」
「いや、俺は出ないけど……知り合いに出してほしい人がいて」
「知り合い? お前、芸術系の知り合いいたっけ?」
「うーん……知り合いっていうか、推し?」
「は?」
湊は少し照れながら、スマホの画面を晴人に見せた。
そこには@kuro_emuの絵が並んでいた。
「ずっと応援してる絵師さん。名前も顔も知らないけど、ほんとにすごいんだ」
晴人はその画面を見て、少し驚いた顔をした。
「……たしかに、いいな。静かだけど、見入っちゃう感じ」
「でしょ」
「その人、今学生だったりしてな」
「それはないだろー。……いや、でも同世代かもしれないけど」
湊は笑ってそう言ったけれど、
まさかその“推し”が、同じ大学に通う黒江夢だなんて、知る由もなかった。
⸻
そのころ、夢の部屋では──
「夢ちゃん、それ今日の投稿?」
「うん。下描きだけど、どうしようかなって思って」
ルームメイトの明莉(あかり)が、紅茶を手にのぞきこんでくる。
「出せばいいじゃん。めっちゃいいじゃん、今日の線」
「でも、反応薄いし、またスベったら凹む……」
「でも毎回RTしてくれる人いるでしょ? ほら、@neon……なんだっけ?」
「@neon_crow」
「でしょ。その人、たぶん夢ちゃんの絵に恋してるよ」
「はぁ!?」
「だって、毎回ちゃんと見てくれてるじゃん。
それって一番嬉しいことじゃない?」
「……まあ、うん。たしかに」
夢は少し照れくさそうに笑った。
その笑顔を、明莉はそっと見守る。
夢がこの名前で絵を描いていることも、ずっと前から知っている。
だからこそ、“描きたい”という気持ちが消えないように、静かに支えたいと思っていた。
⸻
➤ To be continued…
「知らない誰かに、心を救われることがある。
それが“好き”のはじまりだなんて──このときはまだ、知らなかった。」
君の絵に恋をした 深夜丸 @shinya_xo
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