カフェ「山猫屋」の写真

山猫家店主

写真は嗤う

兵庫の山中、峠を抜けたその先に、ぽつんと「山猫屋」はある。


もとは昭和の喫茶店だった古びた木造家屋を、今の女主人が改装してライダーズカフェにしたのはもう五年前のことだ。


電波も弱く、夜は真っ暗。それでもここを目指してくるライダーたちは、どこか皆、少しだけ寂しげだった。


店の奥、窓際の壁に、常連ライダーたちの記念写真が並んでいる。


バイクの前で笑う者、カウンターで珈琲を掲げる者、秋の紅葉を背景にピースサインをする者。全てモノクロで統一され、どこか懐かしさを感じさせた。


だが、彼女にはひとつだけ、ずっと気になっている写真があった。


男がひとり、カウンター席で笑っている。


四十代くらいだろうか。革ジャンに白いTシャツ、腕には革製のバンド。

ピントがやや甘く、背景の照明がぼやけている。


「これ、いつ撮ったんやろ……?」


誰にも覚えがない。

常連に聞いても、首をかしげるばかり。


「たぶん、昔の誰かが置いていったんやろう」と思いつつも、写真だけはなぜか額から外せなかった。

外そうとすると、手が震え、理由もなく胸がざわついた。


ある秋の日の昼下がり、ライダーの若い男がやってきた。

しばらく店を眺めたあと、壁の写真の前で立ち止まり、じっと見つめている。


「……お兄ちゃんや」


「え?」


「これ、うちの兄貴です。間違いない。

 10年前に死にました。事故で……長野の峠道で転倒して……」


彼女の背筋が凍る。


「でも……この店に来たことは?」


「ないと思います。聞いたこともないし……」


壁に貼られたモノクロの男は、変わらず静かに笑っていた。


その日を境に、店に小さな異変が起こりはじめた。


夜の閉店後、誰もいないはずのカウンターに、湯気の立つ珈琲が置かれている。


棚にしまったはずの古いカップが、毎朝同じ位置に戻っている。

定休日、無人のデッキから足音だけが聞こえる日もあった。


常連の一人、老ライダーの倉田が言った。


「マスター、あの写真……あかんで。あれ、ヤバいやつや。オレそういうの感じるタチやから、わかるわ」


「……やめてよ、そういうの」


彼女は怖さを振り切るように、その夜、写真を壁から外し、裏山で焼いた。


だが翌朝、そのモノクロの笑顔は当たり前のように元通り壁で笑っていた。



その週末、倉田が山猫屋で倒れた。

救急要請の連絡中に意識を失った。なんとか一命はとりとめたものの、結局原因もわからずじまいだった。


ただ彼女が預かっていた彼の荷物のスマホを確認すると、最後に撮影された一枚の画像が残っていた。


カウンター越しに彼女が振り返って笑うその写真の背後――誰もいなかったはずの背後に、あの男が立っていた。


その夜、彼女はすべての写真を壁から外し、裏の川に流した。


が、やはり翌朝――壁には以前と同じように、あの笑顔の写真だけが一枚、戻っていた。


それ以来、彼女はもう何も言わなくなった。


誰かに訊かれても、首を横に振るだけ。珈琲を淹れて、カウンターにそっと置く。


ときどき、一瞬だけ空のカップが湯気を立てるように見える。


風もないのに、椅子も軋む。


その度に彼女は見て見ぬふりをした。


そしてその写真は、いまも壁で彼女に微笑みかけている。



                             了

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カフェ「山猫屋」の写真 山猫家店主 @YAMANEKOYA

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