第2話
外から悪しきものは入って来ることは無い。
あとは生か、死かだった。
自分の身体が持つかどうかだけだ。
それまでは毒味をされてないものは口にしないと、錯乱したようにそればかり気にしていたが、毒味を一切止めさせた。
思えば、確かにあの時
自分に毒をもう一度盛れば、その時は一度目のように混乱し倒れたりせず、必ず敵の姿を見つけ出してやろうと思っていた。
だから毒味を止めさせたのだ。
相手が仕掛けてくるのを待っていたが状況は膠着し、郭嘉は徐々に快癒へ向かった。
以前のように高熱をぶり返しても、喀血することはなくなり、きっとこの症状さえ乗り越えれば、良くなるはずだと思い耐えきった。
そこまで思い出して、郭嘉は幕舎の寝台から下りると、衣を脱いで着替えた。
身の回りのことをする副官や侍従を郭嘉が自分に付けないのは、その闘病生活の名残なのだ。
彼が許すのは幕舎の外の護衛までで、戦場に関わる男、或いは関わらない男を側に寄らせることを嫌うようになった。
何も出来なければ他人の手を借りることになる。それが嫌なら自分でするしかない。
だから郭嘉は身の回りのことは全て自分で出来た。
女性と共に過ごした時、彼が身支度などを彼女達にやらせるのは単なる戯れなのである。
新しい衣に着替え、帯を結びながら、そこまでの過去を思い出した。
記憶は断片的に途切れても、
つまり、それ以降だ。
病が快癒しつつあり時折は、部屋からは出ないにしても、身を起こせる時は窓の外を見たりもした。
あの時自分がよく見ていたのは、
出入りする、見知らない人間達。
商隊だ。
その中に、黄巌がいた可能性がある。
彼は商隊の護衛などをしていたというから、別にいただけで問題では無いが、
……何故潁川の、郭家にいたかは確かめなければならない。
郭嘉はすっかり支度を整えると、自分の細身の剣を腰に下げた。
上着を羽織る。
雨が強く、幕舎を叩いている。
幕を上げると郭嘉が許す距離に、彼が選んだ護衛が二人立っている。
現れた
空を見上げる。
朝が近づいているが、まだ完全に明けてはいない。
朝になれば
「……。」
空を見上げていた郭嘉がゆっくりと視線を下ろすと、
ふと護衛とも離れた所に、軽く張られた雨よけの幕の下、木箱に腰掛けている姿を見つけた。
寒さに震えることもなく、深く外套を着込み、じっと地面を見つめていた。
それが届く距離ではなかったが
郭嘉が微笑むと、深く一礼した。
郭嘉は手の動きだけで彼を呼んだ。
幕舎の中に戻りしばらくすると「失礼します」と小さい声がして、陸議が入って来た。
火鉢の側に立つ郭嘉が側に来い、というように顎で示す。
陸伯言は、有能な
しかし彼の場合それは不審というよりも、ひたすらまだ本当の真価を発揮していないという意味合いが強く、そもそも言葉で
あとは
彼女たち姉弟は両方司馬懿の庇護を受けているようだが、一緒にいるところは見たことが無い。
陸伯言は軍務で司馬懿に関わっていて、完全に棲み分けをしているようだ。
そうさせているのは司馬懿なのかもしれないが郭嘉の見た限り、司馬懿はこの姉弟どちらにも庇護心は見せているように思える。
つまり聡明な姉が、弟の任務を邪魔すまいと思い、身を引いてる可能性が高い。
司馬懿が姉弟共にいてもいいと言っても、
遠慮している可能性だ。
そう思うのは自分も
瑠璃の自分に対する献身を知っているから、
「
よって明確にそう言った郭嘉に、陸伯言はやはり包み隠さず答えた。
「何が起こるか分からない戦場ですので、出来る限りお側で御身を護衛するようにと」
郭嘉は苦笑した。
「可哀想に。君のように真面目で誠実な性格の人は、出来る限りなんて言われたら気も抜かずにそうし続けるというのに。
賈詡は自分が要領がいいから、頭のいい人間は力の抜きどころも分かってるはずだと思い込んでいるんだよ。君の若さを考慮していない」
「あ……いえ……あの、賈詡将軍からは夜中張り付けなどとは命じられていません。
今夜は……少し休みましたが寝れず、どうせならと思って私が勝手に出て来ていただけで」
「大丈夫。分かっているよ」
「……郭嘉殿の深慮の邪魔にならぬよう、気をつけるように言われておりました。
お気に障ったのならば、お詫び致します」
「はは……」
瞳の奥には、経験の浅い子供が持つ無垢な戸惑いは無く、
緊張感があった。
何故だろうという疑問の前に、
郭嘉はその、
こういう緊迫したものを覆い隠せない人間は誠実であることを、彼はよく理解していたからだ。
「君はさぞや姉上に可愛がられて育って来たんだろうね」
自分はきっと、彼女ほど
彼女がどれだけ縁の薄い兄である自分を想ってくれているかは分かる。
「気になど障っていないよ。君が
「いえ……」
「君は昨日は一日中走り回っていたんだよね。ちゃんと眠れたかい?」
「はい。明けて来たようなので、先程来たばかりです。
戦場では休みを取れないことも怠慢になります。きちんと眠りました」
「いい答えだ。
「では丁度いい。護衛は君に頼もう。私について来てくれるかな」
「はい……あの、」
「賈詡に見つかると五月蠅いからね。静かに行こう」
微笑み、郭嘉は歩き出した。
幕舎を出ると護衛二人がこちらを見るが、郭嘉は陸議を指差し来なくていいという仕草を見せた。
護衛や副官は郭嘉がこうした時は、従うことになっている。
従わない人間は、郭嘉は容赦なく任を解くからだ。
郭嘉と陸議は一言も声を発さないまま自分の馬を呼び出すと、陣を出た。
陣から遠ざかると、ようやく郭嘉が声を掛ける。
「分かっていると思うが、敵と遭遇する可能性はある。
それが目的ではないけれどね。一応剣はいつでも抜けるようにしておいてくれ」
「はい……あの、どちらに」
強い雨に、外套の頭衣の下で少し眉を寄せつつ、陸議が返した。
郭嘉は肩越しに振り返り、小さく笑んだ。
「説明はしないが、黙って私について来て」
陸議は一度見返すと「はい」と簡潔に答えた。
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