夜明けの迅

月影 燈

第1話「失われた日常」

かつて「日本」と呼ばれた国は、もう地図の上でしか存在していなかった。

経済崩壊と少子高齢化の波に飲まれたこの島国は、労働力確保の名の下に大量の移民を受け入れた。最初は「共生」という言葉で彩られた未来が約束されていたはずだった。しかし、その均衡は数十年も持たなかった。人口比率が逆転した瞬間、静かに、しかし確実に日本人は“少数派”となった。


俺──**榊 迅(さかき じん)**が十歳の時、すべてが壊れた。

ある夜、家が炎に包まれ、目の前で両親が異国の言葉を叫ぶ男たちに殺された。理由は、もはや誰も覚えていない「土地の権利」だった。焼け跡の匂いと、母の手の冷たさだけが、その夜を確かに現実にした。


それから五年。

俺は名前を隠し、廃墟と化した旧東京湾沿いのシェルター街を渡り歩いている。今の日本では「純血の日本人」は生きる資格すらない。IDを持たない者は人間扱いされず、捕まれば「再教育施設」と呼ばれる場所に送られる。二度と出てきた奴はいない。


だが、俺には一つだけ生きる理由があった。

──復讐。


あの夜、炎の向こうに見たあの顔。

俺の家族を奪い、笑ったあの目。

名前も知らないその男を、この手で葬る。そのためだけに俺はまだ生きている。


「迅、また移動だ。検問が近づいてる。」


低い声で仲間の少女・ミナが囁く。彼女もまた、同じように“奪われた側”だった。俺たちは互いの過去を多く語らない。ただ、共に逃げ、共に生き延びる。それが今の唯一の“日常”だ。


だが、俺の胸には一つの問いがずっと残り続けている。

復讐を果たしたその先に、本当に「安息の地」はあるのか──。

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