第46話:最上義光、絶望の淵へ
雪深い奥羽の地、山形城の天守から、最上義光は眼下で繰り広げられる信じがたい光景を、凍てついた表情で見つめていた。彼の「武士の道」が、氷を割るように砕け散っていく絶望の淵に、彼は今、立たされていた。
義光の脳裏には、幼い頃の記憶が蘇っていた。父から教わった、刀の持ち方、名乗りの作法。初陣で敵に一礼し、返礼された美しき武士の記憶。武士道こそが人の生き方だと信じた、あの頃の情熱が、冷たい雪のように降り積もる。武士とは、名誉を重んじ、血を流すことを厭わぬ存在。それが、義光が信じ、守り抜こうとした世界のすべてだった。
しかし、目の前にいるのは、義光の知る武士とはあまりにもかけ離れた異形の軍勢だった。氏真率いる「鞠武衆」は、猛吹雪の中、雪上を滑るかのような異常な機動力で、最上軍の前線を蹂躏していく。彼らが地面を叩く音は、まるで太鼓のように響き渡り、雪が溶けた瞬間のぬかるみが冷たく骨まで染みる。義光の知る戦場には、なかった音、温度、感覚だった。
最上軍の騎馬隊は、雪に足を取られて動けない。弓隊は、吹雪に視界を奪われ、その矢は空しく雪原に突き刺さる。雪に慣れているはずの最上軍は、焦燥と困惑で、規律が乱れ始めていた。
「あれが武士でないなら、私はなんなのだ……?」
義光の心に、自問自答が渦巻く。義光は、天を仰いで叫んだ。「なぜだ……? なぜ、人の肉がこれほどまでに……!」
その時、一人の若武者が、雪中で転倒した。宗清、義光の側近として知られた少年兵だ。彼は、再び立ち上がろうと雪を掴むが、その足は滑り、体勢を崩した。その姿が、義光には、自分の息子・義康に一瞬見えた。幻覚か、それともこの絶望が産んだ幻影か。氏真の鞠武衆が、その若武者に迫る。氏真が放った一突きが、若武者の胸を貫き、彼は雪に沈んだ。彼が握っていたのは、義光から直々に与えられた家紋入りの旗。旗は、血で赤く染まり、雪の中で静かに沈んでいく。
義光は、膝が崩れ落ちるのを止められなかった。雪が骨まで染みるような冷たさが、義光の心にまで届いた。
「違う……これは戦ではない……時代が、我らを殺しに来たのだ……」
義光の胸には、「武士の誇り」と「現実の圧倒的な力」という、矛盾した感情が激しくぶつかり合っていた。義光は、自らの武士としての常識が、目の前の「筋肉の暴力」によって、音を立てて崩壊していくのを感じていた。
彼は、自らの武士としての生涯を振り返った。幼い頃から、武士の道を極めるため、槍を振るい、馬を駆り、戦場で血を流してきた。それが、彼にとっての「武士の矜持」だった。しかし、今、目の前にいる今川の兵士たちは、武士としての誇りも、血を流すこともなく、ただひたすらに「筋肉」を鍛え上げ、この戦場を支配していた。
義光は、自らの武士としての常識が、目の前の「筋肉の暴力」によって、音を立てて崩壊していくのを感じていた。彼は、自らの槍を握りしめ、最後の抵抗を試みようとするが、その手は、無力感と絶望で、かすかに震えていた。
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