第19話:筋肉文化人、氏真の覚醒
清洲城に設立された「筋肉士官学校」は、日ごとにその活気を増していた。今川義元は、来るべき天下泰平の世を治める「組織の筋肉」を育てることに、深い喜びを感じていた。朝焼けの校庭では、若き武将たちが義元直伝の鍛錬に励み、その掛け声が清洲の空に響き渡る。彼らの額に光る汗は、未来への希望の雫のようだった。
だが、義元の視線は、もう一人の重要な人物へと注がれていた。彼の嫡男、今川氏真である。氏真は、武芸よりも蹴鞠や和歌を愛する、生来の文化人であった。父・義元が転生前、そして覚醒後、どれほどの変貌を遂げたか、氏真は間近で見てきた。その常軌を逸した「筋肉理論」と、それがもたらす圧倒的な「結果」を。氏真の胸中には、父への畏敬の念と、同時に「自分には父のような武の才はない」という焦燥感が、微細な苛立ちとなって膨らんでいた。それは、まるで彼の心臓を直接掴まれているかのような、身体性を伴う不快感だった。
(氏真よ……お前は、この世で最も重要な役割を担うことになる)
義元の思考は、氏真の未来へと向かっていた。戦国の世を終わらせ、平和な時代を築く者。その者には、武力だけでなく、文化を解し、民を愛する心が不可欠だ。だが、義元は知っている。平和な世を維持するためには、「健全な肉体」が何よりも重要であることを。「強靭な肉体こそが、真の文化を育む土壌となる」という価値観が、義元の脳内で確固たるものとなっていた。
「氏真よ」
ある日、義元は氏真を呼び出した。清洲城の奥まった一室。氏真は、父の呼ぶ声に、わずかに身を竦めた。父の瞳には、常に未来を見据えるような、そして何かを決定した者の、冷徹な光が宿っている。その視線は、氏真の心の奥底を見透かすかのようだった。
「貴様は、これまで蹴鞠に励み、和歌を詠んできたな。その『文化を愛する心』は、この父も高く評価しよう。だが、貴様は知っておるか? 真の文化とは、鍛え抜かれた筋肉から生まれるのだ」
義元の言葉に、氏真の顔に困惑が浮かんだ。文化と筋肉? その二つがどう結びつくのか、氏真には理解できない。彼の「常識」が、またもや父の「異形の理論」によって揺さぶられる。それは、まるで足元の地面が揺らぐかのような、強い「違和感」だった。
「この父が直々に、貴様に『特別な鍛錬』を施す。毎日、この父と同じ鍛錬を欠かすな。豆を煮詰めた栄養の汁も、余さず摂取せよ。貴様の肉体は、俺の理想を継承する『筋肉文化人』として、より完璧なものとなるのだ!」
義元は、そう言い放つと、自らの隆起した上腕二頭筋をピクリと動かした。その筋肉の躍動は、氏真の心臓を直接掴まれたかのような「身体性」を伴う恐怖」を与えた。氏真の胸では、「戸惑い」と「父の期待に応えたい」という「希望」が激しくぶつかり合っていた。彼の「凡庸からの脱却」という価値観が、この鍛錬によって刺激され、「父のような、文武両道の覇者になりたい」という思考が芽生え始めたのだ。それは、氏真の心の中で、「諦め」という感情が「挑戦」へと「分裂」していく瞬間だった。
しかし、父の瞳の奥にある狂気じみた確信と、その常軌を逸した「筋肉」が放つ、物理的な「圧」を前に、氏真は反論する気力もなかった。彼は、父の「愚直なまでの合理性」に、ただ従うしかなかった。
その日から、清洲城の庭では、奇妙な光景が日常となった。氏真は、蹴鞠の合間に、父・義元から教えられた「地面に手をついて身を押し上げる鍛錬」や「膝を曲げて腰を落とす鍛錬」に励むようになった。最初はぎこちなかった動きも、日を追うごとに洗練されていく。義元直伝の「木製ダンベル」や「水泳」も取り入れ、彼の肉体は、まるで彫刻のように変化していった。
数年後。氏真の肉体は、見る者を驚かせた。かつてのひょろりとした貴公子の姿はどこにもなく、そこには戦国武士らしからぬ、鋼のように引き締まった筋肉を持つ若者が立っていた。彼は、政務においても、その鍛錬で得た体力と集中力を発揮し、父の補佐として有能さを見せ始める。
氏真の肉体的な変化と、政務における有能さを目の当たりにした家臣たちの間には、「若君はただの蹴鞠好きではない」という驚きの声が上がり始めた。彼らの氏真への「軽視」という感情は、「信頼と尊敬」へと「分裂」していったのだ。
氏真は、自らの隆起した上腕を見つめ、静かに呟いた。
「父上……筋肉は、裏切らないのですね……」
彼の瞳には、「文化」と「力」が融合した、新たな「筋肉文化人」としての確信が宿っていた。
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