第2話 『予兆』

「最近さ、何話していいか分かんなくない?」


ふいに、彼女がそう言った。

平日の夜、コンビニで買ったお弁当を食べながらテレビを見ていたときだった。ニュースの音声が、やけに遠く感じた。


「そうかな?」

僕は箸を止めずに答えた。

彼女はそれ以上何も言わなかった。ただ、静かにご飯を口に運んでいた。


ふたりの間に流れる空気が、前より重たくなった気がする。けれど、それが「倦怠期」というものなのか、あるいはもっと深い断層なのか、自分でも判断がつかなかった。


以前なら、何でもない話題で笑いあえた。

たとえばSNSで見た動物の動画とか、友達との会話のくだらないオチとか。

今も同じように話そうと思えば話せる。でも、どこかぎこちない。笑いのタイミングがズレたり、目を見て話せなかったり。そういう小さな違和感が、じわじわと日常に染み込んできていた。


彼女のスマホが鳴る。通知のバイブが机の上で震えた。

ちらりと画面を見た彼女が、「あ、友達からだ」とだけ言って、返事を打ち始めた。

僕はその間に、冷めかけた味噌汁をすすった。何の味もしなかった。


「来週、出かける?」


食事が終わってから、僕が言った。

「うん」と彼女は答えたけど、その声には、以前のような楽しげな響きはなかった。


別にケンカをしたわけじゃない。声を荒らげたことも、お互いに傷つけ合ったこともない。ただ、沈黙が増えただけ。目を合わせる時間が減っただけ。だけど、それが一番こたえるのかもしれない。


帰り際、エレベーターの前で、彼女がつぶやいた。


「なんか、夢の中みたい」


僕が「え?」と聞き返す前に、扉が開いて、彼女は乗り込んでいった。

扉が閉まる寸前、こちらを向いた彼女の目は、どこか遠くを見ていた。

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