千栞の物語

第1話 過去の影

 中学三年生の秋頃、私の世界は音を立てて崩れ去った。


 私は、昔から本を読むのが好きで、少し大人しいけれど、友達と話すのも、笑うのも大好きだった。クラスにも仲の良い友達が何人かいて、毎日が穏やかに過ぎていくと思っていた。


 でも、ある日、突然、私の周りの空気が変わった。


 最初は、ひそひそ話。

 私が教室に入ると、急に会話が止まったり、視線を逸らされたり。何が起こっているのか分からず、ただ戸惑うばかりだった。


 そして、ある日、耳にした言葉が、私の心を凍らせた。


「ねぇ、橘さんってさ、センセと寝たらしいよ」

「え、マジで!? それで成績優遇してもらってるんだって?」

「なにそれ、清純派ぶってやばいじゃん」


 その噂は、あっという間に学校中に広まった。


 私の親友だと思っていた子たちも、私から距離を置き始めた。

 最初は「そんなの嘘だよ、千栞ちおりはそんなことするはずない」と言ってくれていたのに、日が経つにつれて、彼女たちの目にも疑いの色が浮かぶようになった。


「ごめんね、千栞。私、ちょっと……」


 そう言って、私を避けるようになった友達の背中を見るたびに、胸が張り裂けそうになった。


 私は、誰にも何も言っていないのに、なぜこんな噂が流れるのか分からなかった。

 ただ、毎日、クラスメイトたちの好奇と軽蔑の視線に晒され、息をするのも苦しくなった。

 学校に行くのが怖くなった。教室に足を踏み入れるたびに、心臓が激しく脈打ち、吐き気がした。


 私は、学校を休みがちになった。

 家にいても、心を休めることはできなかった。

 なぜ私がこんな目に遭わなければならないのか、毎日、布団の中で泣き続けた。


 両親は、私の異変に気づき、心配してくれた。


「千栞、何かあったの? 何でも話してごらん」


 母の優しい声に、私は泣きながら、噂のことを打ち明けた。父も母も、私の話を真剣に聞いてくれた。


「そんなの、千栞がするはずない。私たちは千栞を信じているから」


 両親の言葉は、私の心を少しだけ温めてくれたけれど、学校での現実は変わらなかった。



 私は、自分を隠すようになった。誰にも見つからないように。誰にも話しかけられないように。

 そうすれば、もう傷つくこともないだろうと。



 私は、メガネをかけるようになった。

 度が入っていない、伊達メガネだ。全くかわいくないダサメガネ。

 これをかけていれば、私の顔は少しだけ地味に見える。目立つこともない。


 服装も、地味なものばかり選ぶようになった。


 本来の明るい自分を、心の奥底にしまい込んだ。

 そうして、私は、透明な存在になることを選んだ。

 

 誰にも気づかれず、誰にも関わらず、ひっそりと生きていこうと。

 私の世界は、色を失い、灰色に染まっていった。

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