3話 月相

 あの子は絶対無理をするから、今日はお前も一緒に居なさい。

 けど、分かってるね。


 お前が無理させたら目にものを見せるから。と、朝一番にクリストファーに釘を刺された。


 昨日の今日で仕事なんかしないだろうと、高をくくっていたら、ミリアは青い顔で支度を整えていた。


 クリストファーは無言で僕に遊戯室を指差したので、サーラと部屋を準備した。


 この人たちは何でこうも僕に拷問を強いるのだろう。


 僕がうっかりミリアを汚すとは考えないのだろうか?


 信用されているのか?

 ミリアは僕の慾を汚ないと思うだろうか?


 ミリアが、僕に口付けた。

 何度か軽く口付けたあと、舌を絡めてくる。


 何処で覚えてきたのだろうと、思わなくはなかったがそんなことは些細なことだった。


 ミリアが僕に答えてくれてる事に夢中になっていた。


 夢中になっていた。

 夢中になっていて気付かなかった。


 ミリアが息をしていない。

 無体なことをやってしまったのだと後悔した。


 医者が云うには、深く眠っているだけ、との事だ。

 時期目を覚ますでしょう、と。

 それが何時かは分からないけれど。

 栄養が採れないので砂糖水を飲ませるようにと言われた。

 


 ミリアは本当に眠っているだけだ。

 規則正しい寝息が聞こえる。


 一度は、あの時より冷たくなった体が、幾何かの熱を取り戻していた。


 このまま此処に居ても、お前の体が弱るだけだ、とクリストファーには仕事をさせられていた。

 けれど、そんなクリストファーも結局は上の空だ。


 仕事で引っ張り出される以外は、時を止められたかのように眠り続けるミリアの傍にいた。


 そんな僕が寝ている間に何か仕出かすのではないか、とイーラ達とクリストファーの間で問題になったらしく張り付かれた。


 何か、て何だよ。


 僕は眠る事が出来ず、朝が来るまでミリアの手を握り続けた。


 けれども九日目の夜、唐突に起きた異様な眠気に耐えきれず僕は眠りに落ちた。



 ──夢を見た。

 夢だと思う。


 見たこともない世界。

 不思議な触感の世界。


 目の前にミリアと同じ様に、

 けれど見た目が全く違う女性が寝ている。

 目が離せない。

 この女は何者なのだろう?


 不意に名前を呼ばれた。

 知らない。

 誰だ?

 ラウノ?

 誰だ?


 名前を覚えていなかったが僕が刺した子だった。


 あの時消えたように見えたのは、元々が生きている世界が違っていたからなのか?


 仕事があるから待ってろと言われた。

 どうやら僕はこの世界の者に認識されないことを覚った。


 ラウノと同じ格好をしたものが何度か出入りし僕を通り過ぎる。

 彼女たちは、何事もないように作業を続ける。

 作業をする以外の者が現れなかった事が奇妙に思った。


 家族は、無いのだろうか?

 

 そんなとき、眠っていた女性の瞼が薄く開き、僕を捉えた。


 見えているか、いないか分からない、睫毛が動いただけの反応。


 僕の名前に僅かに動く唇。

 ああ、この者はミリアだと思った。


 少しも似ていないのに、とても似ている。

 何と言うわけでもない。

 

 女性の目尻から涙が流れたが、僕は拭うことさえ出来ず、ただただ歯痒さを感じた。



 ラウノの話は、僕が生きてきた世界が、この世界の創作物だと云うことだった。

 些か衝撃はあったが、クリストファーに引き取られた事を考えると納得出来た。


 決められていたのだ。


 ミリアに、この世界の者の魂が入り込んで物語が変化したのだろう、とラウノが言う。


 ふと、ミリアを初めて見たときの竦むような感じを思い出す。


 なんにせよ、僕に関する物語はごっそりと違っているらしい。

 物語の中では、嵐は起こらないし、僕は本来の姿ではないらしい。


 ──なんだ、こいつ。

 しかしラウノはこいつが好きらしい。

 まあ、こいつはこいつで僕ではない。

 そういうことだと思った。


 これ誰だ?と軽薄で年をとったクリストファーの絵を見せられた。

 やはり、あいつの本性はこんななのか?と思った。


 僕はラウノを殺したことを詫びようとした。

 けれどラウノは僕に殺されたことで、このもとの世界に戻れて良かった、と言う。


 それでも人を殺めるのは許されないことだ。

 けれどラウノは、夢の中での事だからと言う。

 だから感謝だけを告げた。


 では、ミリアはどうしたいのだろうか?


 ミリアが僕に接吻くちづけたのは、この女性の夢の中なのだろうか?


 この女性がこちらで目覚めれば、ミリアも消えてなくなるのだろうか?


 一向に"こちら"で目覚める様子のない女性。


 作業をするもの以外訪れることのない、なにもない部屋。


 自分の事で泣くことのないミリア。

 君の欲しいものは、どこに有るのだろう?


 ねえ?ミリア。

 クリストファーが待ってるよ?


 イーラも、アルラも、サーラも。

 君が目覚めるのを、待ち望んでいる。


 勿論、僕もだ。


 そうだ。

 …連れて帰ろう。

 共に在ればいい。

 僕は念じ続けた。


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