拝啓-その想いは手紙の中で-

寝転猫

拝啓-その想いは手紙の中で-

 春の夕暮れ、柔らかな橙色が空を染める中、私たち「手紙部」の最後の活動が始まった。


 学校の裏庭は、すでに廃部になった部活の道具や、もう使われなくなった備品が雑然と置かれている。その一角にひっそりと佇む、古びた焼却炉。錆びついた鉄の扉には、過去に何度となく炎が灯された痕跡が、黒い煤となってこびりついていた。


 焼却炉の前に、五人の部員たちは静かに立ち並ぶ。風が緩やかに吹き抜け、枯れ草がささやくように揺れた。手の中には、一枚の便箋が握られている。未来への不安、過去への後悔、そして誰にも言葉にできなかった秘めた想い。この一年の間に、何度も何度も綴られてきた、私たちだけの「手紙」。


——そのすべてを炎に託し、燃やす。


「それじゃあ、始めようか」


 部長の鏡美 颯太(かがみ そうた)くんの声が、夕暮れの静寂に響いた。彼の声はいつも通り静かで、感情の起伏は感じられない。ただ、その瞳の奥には、どこか遠い場所を見つめるような寂しさが宿っている。


 颯太くんが、手にしていた手紙を焼却炉の火に投じた。紙は、ぱちぱちと乾いた音を立て、あっという間に黒く焦げていく。炎が文字を飲み込み、想いを灰へと変えていくその様子を、私たちは言葉もなく見つめていた。それぞれの胸の中に、様々な感情が渦巻いているのが分かった。


「……燃えるの、案外早いな」


 ぽつりと呟いたのは、副部長の柳 高茶菓(やぎ たかさか)くんだった。彼は細い顎に手を当て、まるで何かの真理を確かめるように、炎の燃え盛る様子を見つめている。高茶菓くんの表情はいつも冷静で、感情を読み取るのが難しい。


「まあ、紙だしな。あっという間に消えるもんだろ」


 そう言って肩をすくめたのは、少し軽い性格の宮次 凛久途(みやじ りくと)くん。彼は苦笑しながら、灰になっていく颯太くんの手紙を眺めている。普段のおどけた様子とは少し違い、彼の表情にもどこか寂しさが滲んでいた。その隣では、一年生のの昼華 咲(ひるか さき)ちゃんが、小さくしゃがみ込んで呟いていた。


「でも、なんか変な感じ。自分の気持ちを綴ったのが、こうして跡形もなくなるって……」


 咲ちゃんの声は、風に紛れてか細く聞こえる。彼女は、手紙部の最年少で、私たち三年生をいつも慕ってくれていた。


「だからこそ、意味があるんじゃない?」


 私は、無意識にそう口走っていた。


「手紙は本来、誰かに届けるものだけど……私たちのは違う。どこにも届かないし、誰にも読まれない。でも、書くことで、私たちは自分自身と向き合える。そうでしょう、鏡美くん」


 私は、彼の横顔をじっと見つめた。颯太くんは、ゆっくりと私の方を向く。


「うん、渡先さんの言う通りだ。ここにいるのは、小さな手紙に文字を書くことで、虚空(こくう)に思いを綴ることで、救われようとする人たちだ。僕も含めてね」


 しばしの沈黙が、私たちを包んだ。それぞれの心に、様々な想いが巡る。宮次くんが、その重い空気を破るように、軽い口調で颯太くんに近寄って言った。


「鏡美、そりゃないぜ。そんな今が幸せじゃないみたいにさ」


「でも、今が幸せだったらここに僕たちは居ないと思うよ」


 颯太くんの言葉に、宮次くんは何も言い返せなかった。たしかに、私たち手紙部は、みんなが過去や現在に色々な物を抱えて生きている。だから、よく今を悲観するし、過去を思い出して涙が溢れてくる。けれど――今日は少し違う。手紙部という場所がなくなる、最後の日なのだ。


「今日くらいはいいんじゃない?三年生五人しかいない手紙部、今日はそれの最後の日で、明日には廃部になってるんだよ。今日くらい、今に焦点を当てなくても」


 私は、颯太くんに向かって言った。彼の表情が、少しだけ和らいだように見えた。


「昼華ちゃんもそう思うでしょ?」


 私が咲ちゃんに問いかけると、彼女は大きく頷いた。


「チサが言うなら私もそう思うかも」


 颯太くんは、一つため息をついた。


「僕の負けだ。そうだね、今日は未来に想い馳せる時間にしよう。ほら、次は柳君の番だよ」


 颯太くんが、高茶菓くんに微笑みかける。


「今までありがとな」


 そう言って高茶菓くんの手紙が炎へと投じられる。部長の次、二番目の手紙だ。燃え上がる火は、一瞬だけ手紙の内容を照らし、その後すぐに形を失わせる。


「なに書いたんですか」


 咲ちゃんが、興味津々に高茶菓くんに尋ねた。彼は、少し顔をしかめながら、答える。


「小学校の頃から続いてた、自分の中の癖……言い方を変えれば、逃げ癖、それを終わりにしようと思ってな」


 そう言って私の方を向いた彼。

 高茶菓くんが言うそれとは、一体何なのだろうか。


「次は俺だ」


 宮次くんが、からかうような笑顔でそう言った。彼は手にしていた手紙を、少し芝居がかった動作でひらひらと揺らし、火へと放り込む。


「卒業したら、この学校のことなんてすぐに忘れちまうんだ。でもまあ、楽しかったぜ」


宮次くんの言葉は、いつものように軽快だった。けれど、その瞳の奥には、彼なりにこの場所を大切に思っていたことが伝わってくる。


「私は……」


 咲ちゃんが、震える声でそう言った。彼女は、手紙を両手でしっかりと握りしめている。


「私、ずっとここにいたかった。チサとも、みんなとも……」


 咲ちゃんは、涙をこぼしながら手紙を火に投じた。小さな炎が、彼女の涙を蒸発させるかのように燃え盛る。


「渡先さんの番だよ」


 そして、私の番が来た。


 私は、手にしていた手紙をじっと見つめた。そこには、誰にも言えなかった、颯太くんへの特別な想いが綴られている。この手紙を燃やせば、私のこの気持ちも、跡形もなく消えてしまうのだろうか。


「うん」


 颯太くんの声が、私を呼んだ。私は、ゆっくりと彼の方を向く。彼の瞳は、私をまっすぐに見つめていた。


 私は、小さく息を吸い込み、手紙を火に投じた。紙切れは、ひらひらと舞いながら、炎の中へと吸い込まれていく。炎が燃え上がり、手紙が文字を飲み込む瞬間、私は、手紙の最後に書いたたった一言が、一瞬だけ鮮やかに照らし出されたのを見た。


「これで、終わりだね」


 颯太くんが、静かにそう言った。私たちの間に、再び静寂が訪れる。五人分の想いが燃え尽きた焼却炉は、もう二度と火が灯されることはないのだろう。その静けさは、手紙部という場所が本当に終わりを迎えたことを、私たちに突きつけているようだった。


 宮次くんが、その静寂を破るように、からかうような口調で言った。


「……なあ、鏡美。こんなタイミングで言うのもアレだけど……お前さ、智里のことどうなんだよ、結局」


 宮次くんの言葉に、私は心臓が跳ね上がるのを感じた。高茶菓くんと咲ちゃんも、私たちのほうを静かに見つめている。


「宮次くん……」


 颯太くんは、何も言わなかった。ただ、燃え尽きた焼却炉の底をじっと見つめている。彼の横顔は、いつも以上に静かで、何を考えているのか全く分からない。彼は、私たちのやり取りを聞いているのだろうか。それとも、遠い過去に心を馳せているのだろうか。


 私は、彼からの返事を待っていた。


「うん、好きだよ」


 しばらくの沈黙の後、颯太くんは、静かにそう言った。その声は、夕暮れの空と同じくらい、美しくもどこか寂しい色をしていた。


「でも」


 そして、彼はゆっくりと私の方を向いた。その瞳は、何かを決意したかのように、真っ直ぐに私を見つめていた。


「もう、いいんだ」


 彼の言葉に、私は息をのんだ。


「僕がこの場所に居続けたのは、渡先さんがいたからだ。でも、もう手紙部はないし、全てを忘れないといけない」


 颯太くんは、空に舞い上がる灰を見つめた。


「だから、もう大丈夫なんだ。僕たちは未来に行かないといけない」


 彼の声は穏やかだった。


「颯太くん……」


 私は、何も言葉が出てこなかった。

 手紙は、誰にも読まれずに燃え尽きた。夕暮れの色が、深い紺色に変わっていく。焼却炉は、完全に火が消え、ただの鉄の塊に戻っていた。


 けれど、私の心の中では、燃やしたはずの手紙がまだ燃え続けていた。




 ——拝啓、鏡美 颯太くんへ

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