第14話 クリスマスイヴだよ小出さん!

 あの日――秋葉原へ行ってから二週間が経った。


 楽しかった。本当に楽しかった。だって、僕の知らないことだらけだったから。あの街も。メイド喫茶も。同人誌ショップも。


 ふと、小出さんが言ってくれた言葉を思い出す。


『園川くんにも、この街を好きになってほしいから』


 小出さんは僕にあの街を好きになってほしいと思ってくれた。望んでくれた。そして、その通りになった。


 僕はあの秋葉原という街が好きになった。小出さんのおかげで。


 だけど今、僕は学校の教室の中、沈んでいる。気持ちも、心も。まるで泥沼の中へと沈み込むように。


 その理由は明らかだし、明瞭。僕は未だに小出さんをクリスマスデートに誘うことができていないんだ。


 チャンスはいくらでもあった。一緒に秋葉原へ行って以来、僕と小出さんは前よりもいっそう話すようになっていた。本やアニメや漫画、そして同人誌について。


 なのに、僕は誘うことができなかった。言葉にすることができなかった。


 それで気付いたことがあった。何についてと問われるならば、恋心。


 僕が最初に小出さんに勇気を出して話しかけた時、僕は彼女に恋をしているのだと言っていた。一目惚れをしたのだと言っていた。


 だけど、それは違ったんだ。


 僕は恋に恋していただけだったんだ。


 でも、小出さんと接していく中で、僕の『心のカタチ』は変わっていった。


 いつもキョドキョドしている小出さん。本のことになると夢中になって止まらない小出さん。好きなものに一直線な小出さん。秋葉原で知った、ちょっとイタズラ好きな小出さん。僕の知ってる、全ての小出さん。


 そんな彼女に、僕は本物の恋をしたんだ。恋に恋していた僕の『心のカタチ』はいつの間にか変わっていって、本当の意味で小出さんに恋をしたんだ。


 だからこそ、言えなかった。誘えなかった。


 断られてしまうことが怖くて。


 今日の日付は十二月二十四日。つまりはクリスマスイヴ。今日が最後のチャンスだった。だって今日が終業式だから。なのに、僕は――。


「大丈夫? 園川くん? 今日はずっとボーッとしてたけど」


「え!? こ、小出さん! ど、どうしてそう思ったの!?」


「もう帰りのホームルームが終わっちゃてるのに動かないから。それに、なんだか最近元気ないなって思って。心配で」


 言われて気付いた。ホームルーム、終わってたんだ。そして僕は教室のぐるりを見渡す。皆んなはすでに帰り支度を始めていた。でも、僕のことを心配してくれてたんだ、小出さん。


「だ、大丈夫だよ! ちょっと考え事をしてただけだから。元気だよ!」


「それならいいんだけど……。そうだ。あの、これ」


 小出さんは僕に用紙の束を手渡した。パンチで開けた穴に紐を通して括ってある。もしかして、これ。


「うん、私が書いた小説。約束してたのに渡すの忘れちゃってて。ごめんね」


「――小出さん」


 書いた小説を僕に手渡すと、小出さんも帰り支度を始めた。今、言わなきゃ。誘わなきゃ。勇気を出さないまま、今日を終わらせたくない。もしそうなったら、僕は一生後悔することになるだろう。言わないと。絶対に言わないと。


「こ、小出さん!!」


 人気の少ない乾いた教室の中、僕の声が響き渡った。そして、鞄を手に持って帰ろうとしていた小出さんは足を止めて、くるりと僕を振り返る。


 でも、出ない。声が、出ない。手も震えてる。どうして言えないんだ! 言葉にできないんだ! 誘うことができないんだ!


「……どうしたの、園川くん? やっぱりなんか変だよ?」


 言わなきゃと思えば思う程、僕の喉が締め付けられるような感覚を覚える。呼吸ができない。こんなこと、生まれて初めての経験だった。


「ごめん、なんでもないよ……」


「そっか。それじゃあ園川くん、また冬休みが終わったら学校でね」


 僕に軽く手を振り、小出さんは教室を出て行った。僕はそれを、ただただ見送る僕だけ。


「――終わった、な」


 それからしばらくの間、僕はその場から動くことができなかった。生まれて初めて恋の辛さ、苦しさ、切なさを知り、その苦味を感じながら。


 そして、自分の弱さに絶望しながら。

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