引きこもりの夏

太刀山いめ

引きこもりの夏

 私は引きこもりだ。重度も軽度も分からないが引きこもりである事に変わりはない。病気の身を抱えて日々過ごしている。


 今日は訪問看護師さんが来てくれる日である。外出しない、外界と隔たれた私の数少ない話し相手である。

「お変わり無いですか?」

 そんな言葉から始まる会話。看護師さんである。病気の加減を気にするのが仕事。外が暑かったのだろう。タオルで汗を拭っている。

 そんな暑そうな相手と裏腹に私は空調の効いた部屋で話をしている。私にとって季節とは「人が運んでくるもの」なのである。


 カロン…カロン…カロン…


 訪問看護師さんのリュックから涼やかな音がする。

 そう、「氷の音」である。

 水筒に冷やした飲み物を入れている。私みたく冷蔵庫から出して飲む事が出来ないので涼を持ち歩いているのだ。


「涼やかな良い音ですね。水筒」


 私がそう言うと、「お加減良さそうですね」と返ってきた。

 三十分程で訪問も終わる。あくまで相手は仕事である。引き留める訳にもいかず帰ってもらう。

 

 それで終わり。


 テレビを見ていた。夏の話題の映画について特集が組まれていた。アニメの映画だった。


 普段なら気にもとめないのだが訪問看護師さんとの会話で話題に上がったので憶えていた。


 最近調子が良い。


 私も氷の音涼やかに外出するのも良いかもしれない。

 私は早速水を製氷皿に入れて氷を作る事にした。水筒も用意する。水筒の中身は何にしようか…オーソドックスに麦茶か少し手間を掛けて水出し煎茶か…


「面倒くさいから…麦茶で…良いか」


 ただの面倒くさいではない。私はアウトプットが人より遅いのだ。若い頃はそうでもなかったが今はADHDを発症して薬で抑えている。服用する薬が二十を超えた辺りからてきめんに動きが鈍くなった…


 主治医からは「服用してる薬が…」との事だった。だが量を減らして動きの鈍さを取ったとてADHDが活発になるのはうまくない。故に現状維持である。


 私は氷が出来て水出し麦茶が仕上がるのを楽しみに微睡む事にした。微睡む事こそが私を「苦痛無い」所に運んでくれる。夏の日差しも遮ってしまえば眠りの邪魔にはならない。

 そのまま少しでもウトウト出来たなら幸いだ。


 睡眠も私には厳しい。処方された睡眠導入剤を飲んでも寝られて三時間程度。故に身体が保たなくなってくる。更に悪く私は食事も最近は摂らない。スポーツドリンクで何とか命脈を保つ有様。


「早くお迎えが来れば良いのに…」


 何度も思った。切っ掛けは去年の夏の出来事。

 従弟がコロナで亡くなった。

 出不精な私をよくドライブに連れて行ってくれた人だった。

 私の中では従弟は未だ死んでいなくて…現実だと受け入れられずにいた所食事が摂れなくなっていった。私は従弟が寂しがって私を「引っ張って」いるのかと思った。無念の死をとげると稀に死にきれずに誰かを道連れにしようとするとか。

 私は別にそれでも良かったのだ。

 死に至る病では無い。ただ「生きられない」病に罹った私。道連れにするならして欲しかった…


 だがそれは従弟を侮辱する話である。元々が明るい人だった従弟。そんな人が今更悪さをする訳が無い…

 食べられないのは私の心の問題なのだ。従弟のせいにして「命を消費している」だけ…


「迎えに来てくれても良いのに…」

 私は従弟に懸想けそうしていたのだろうか?

 だが思いを伝えようにも従弟は夏に旅立った。


 だから、私は夏が嫌いだ…


 従弟が亡くなってから一年で私の体重は三十キロ程落ちた。元々福々しかったが訪問看護師さんからは「見る影もない」と言われてしまっている。失礼な話だ。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 長く微睡んだ。大半が「命を消費する」為だけに費やした微睡み…


 朝に仕込んだ麦茶と氷も出来上がっていた。

 そう。映画を観に行くのだ。


 カロン…カロン…カロン…


 水筒に氷を敷き詰める。そこに冷えた麦茶を注ぐ。


 コポ…コポ…コポ…コポ…


 蓋を閉めれば出来上がり。涼やかな氷の音を閉じ込めた水筒の完成。


 スマホで上映時間は調べてある。今から出かけたら開演に間に合う。良い塩梅。


 私はバスに揺られて映画館へ。住処すみかから乗れるバスが乗り換えも無く目的地に向かうのが有り難かった。夏の日差しも帽子だけで防ぐには心許ないのでバスに素早く乗れたのは重畳だった。


 だが引きこもりには堪える事態が起こる。

 券売機での事だ。


「チケット…『ニ千円』…」


 最後に映画館に来た時は千八百円位だったと思った…物価高騰の波も引きこもりには余り響いていなかった。

 買い物もヘルパーさんに行ってもらっていたし、食品に掛かるお金も最低限でそれでも値上がりを感じてはいた。だが映画が一本二千円になる日が来ようとは思っていなかった。


 更に券売機がゴネる。会計しようとしたらどうやってもお金が投入出来ない。エラー画面になってしまう…不思議に思いよく見ると…前の人が釣り銭を取り忘れていたようでセンサーが反応していたのだ。私は先にも述べたがアウトプットが兎に角遅い。どうしたら良いか分からずにフリーズした位には…


 カロン…カロン…カロン…


 私は麦茶で喉を潤して何とか現実に帰ってくる。


 エラーの事を従業員に伝えて私は改めて券売機に並んだ。私の遅さを責める人は誰も居なかった。


「アイツと一緒に来たかったな…」


 そう独り言ひとりごちて開演を待つ。


 汗をタオルで拭う。そして涼やかな氷の音を響かせて麦茶を飲む。


 夏は嫌い…


 でも夏は毎年やって来る。いつか夏が好きと言える日が来るだろうか…その時は…従弟の事も忘れているのだろうか…


 兎も角、夏は始まったばかり。入場口が開く。私は夏を楽しむ人達の「群れ」に紛れて入場口に赴く。


 どうか心躍る作品であってくれと願いながら。




 終わり


 

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