記憶喪失のエルフですが、冷酷貴族様に拾われてメイドになったら、激重感情を向けられました

こいち

プロローグ:金の瞳、闇に堕ちる

この世界に、ひとつの掟がある。


――五百年に一度、地上へ「光の子」を送ること。


エルフの王族に連なる純血の乙女は、神託により選ばれ、使命を持って旅立つ。それが、太古から続くエルフの義務であり誇りであった。


地上の争いごとに関わらず、ただ世界の均衡を見守る。その役目を、静かに果たしてきた。




だが――今回は違った。







「どうして……どうして、あなたは……!」




白い光が炸裂し、空が引き裂かれる。


地上と天上を隔てる境界。その狭間で、ふたりの少女が対峙していた。


ひとりは、金色の髪をたなびかせた少女――アンジー。琥珀色の瞳が、まっすぐ敵を見つめている。背中にはエルフ特有の光の紋章が浮かび、足元の空間がきらめいている。


もうひとりは、黒い衣に身を包み、宙に浮かぶ少女。銀色の髪が風になびき、瞳は深い闇のように濁っていた。




「リリー……あなた、本当に……ダークエルフなの……?」




「……は? 今さら何言ってんの、アンジーちゃん」




彼女――リリーは嗤った。その瞳には、怨嗟と嘲り、そしてどこか悲しげな色が混ざっていた。




「ねぇ、あんたさ。エルフの“使命”とか“誇り”とか、ほんとに信じてるわけ?」




「私は……それを、教えられて育ったもの」




「だよねえ。お上品な上の世界で、何も知らないで育ってきたお姫様」




言葉が終わると同時に、リリーの周囲に闇が渦巻く。






次の瞬間――空間が砕けた。






目に映るものすべてが暗黒に飲まれ、音すら消える。圧倒的な“闇の魔力”が、嵐のように吹き荒れた。




「っ……これが、ダークエルフの……っ!」




アンジーの防壁が音を立てて割れた。内臓を潰されるような重圧に、膝が地に触れる。


彼女は知っていた。ダークエルフは、忌み子だと。闇に身を染め、エルフの法に背いた存在。決して許されぬ“堕ちた者”。




だが――




「……リリー、どうして……?」




アンジーの問いに、リリーは静かに目を伏せる。




「……あたしは、生まれながらに“はじかれた側”なんだよ。あんたと違ってさ」




その声には、怒りでも憎しみでもない、虚しさが滲んでいた。


そして、次の瞬間。リリーの手が、闇の刃を生み出す。




「ここで終わりにしよっか。どっちが“正義”かなんて、もうどうでもいいから」




アンジーは、最後の力を振り絞った。光が奔り、魔法陣が宙に展開される。




(……私は、リリーを……封印する!)




咆哮にも似た音が空に響く。


光と闇が衝突し、世界が裂けた。



――そして、すべてが静まり返った。


草原の上。風が止まり、鳥の声が戻る。


そこに、ひとりの少女が倒れていた。


金色の髪は陽に透け、琥珀色の瞳は、まるで夢から覚めたばかりのように、ぼんやりと空を見上げている。


その顔に、記憶のかけらはない。


名前も、使命も、封印すべき“誰か”のことも。


ただ、風がそっと髪を撫でていた。


次の瞬間、少女は――くしゅん、と小さくくしゃみをした。




「……え? あれ? わたし……どこ……?」




そして、ぽつりと、きょとんと呟いた。


天然で、少しおっちょこちょいなその声が、風にまぎれて遠くに消えていく。


少女はまだ知らない。自分が何者で、これから何と出会い、何と戦うのかを。


だが、それでも彼女は、生きている。


名を――アンジーという。


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