001/02/山で過ごす夜――「今はもう寝ときな?」
「……は、はい、大丈夫です……」
見惚れている様子の少女を見て、獣耳の少女はため息をつく。
通常の人間からかけ離れた外見をしている以上、真っ当な人間からは距離を置かれるという経験もしている彼女からすれば、見惚れられるのはマシな部類ではある。
他人に嫌われたいと思う者はそう多くない。
しかし、今はそれよりも見惚れているこの少女――煌びやかな衣装を着ているこの人物が何者なのか、どうしてこのような場所にいるのかという点が彼女は気になっていた。
近くに転がっている壊れた馬車に、少女の身に着けている煌びやかな衣装。
手入れの行き届いている長い金の髪。
それだけでも、この少女がただの少女でない事は明白で、裕福な家の者であると彼女が推測するのは自然な事。
そして、そのような者が護衛の類もなしにこのような少女がこのような山奥にいるのはあまりにも不自然だ――と彼女は考えていた。
それを問わねばとわざとらしく「こほん」と咳払いをしてから「自分はマコト。あなたの名前は?」と彼女――マコトは尋ねる。
ここで漸く正気に戻ったか、少女は「あぁ、ごめんなさい……」と見惚れていた事を謝罪してから、自身の名を口にする。
「
少女――リリウムがそう名乗るとマコトは驚き目を見開いてから「オブライネンって、
すると、リリウムは「えぇ、そのオブライネンで合っておりますわ」と返す。
リリウムの口からもたらされた情報にマコトは内心で頭を抱えながらも、それを表情に可能な限り出さない。
しかしながら、それがわかった所でリリウムのような煌びやかな少女が此処にいる理由がわかった訳ではない。マコトは意を決して尋ねる。
「名家であるオブライネンの子がどうしてこんな山奥に?」
「それがわからないですの。気がついたら壊れた馬車に取り残されていて、しかも山奥に。本当にわけがわかりませんわ」
「――えぇ……?」
まるで要領得ないリリウムの発言に、マコトはどうしたものかと考える。
マコトの知る限り、オブライネン家はここから山の向こう側の麓にある名家。つまり、リリウムがここにたどり着くまでには山を一度越える必要がある。
要は、気軽に来られるような場所ではないという事だ。
それにも拘らず、リリウムがこのような場所にいるという事に対して、マコトが少々きな臭いものを感じるのは無理もない。
そのような面倒毎に巻き込まれたくない、と思うのは極めて自然だろう。
言うまでもない事だがマコトには、リリウムを助ける義務はない。
それは、悲鳴が聞こえて助けに向かうか否かを考える段階からも、マコトはそれを理解している。
マコトはリリウムとの関係は特になく、ここで見捨てたとしても彼女を責める者はどこにもいないだろう。
暫し、考え込む。
そんなマコトの様子を不安そうにリリウムは覗き込む。
輝く金の髪に、翡翠色の瞳、端正な顔立ちがマコトの視界に映り込み、そんなリリウムが不安そうにしているという構図は、マコトの良心を刺激する。
ここで見捨てたら良心が痛むぞ、と言わんばかりに。
暫しの間。
耐えきれずにマコトは「あぁ、もう!」と声を漏らす。
端的に言えば、根負けしたようなものであった。
「どうせ近くに用事があるんだ。無事に帰るまでの護衛はやってやるよ」
リリウムの美しい顔をまじまじと見つめてしまった事に対し、若干の気まずさから顔を赤らめながらマコトが仕方ない、とそう口にする。
それを聞いたリリウムの顔がパァと明るくなる。
「ありがとうございます!」
感謝の言葉を口にしながら、返り血で汚れているマコトに対してそんな事は気にしないと言わんばかりにリリウムは抱き着く。
これには虚をつかれた形のマコトはそのままの勢いで仰向けに倒れ込む。
「……随分とお転婆なんだな……」
マコトのその言葉にはっとしたリリウムは「す、すみません……つい……」と顔を赤らめながら申し訳なさそうに謝罪を口にする。
煌びやかな衣装はマコトについていた返り血で汚れていて「あー、もう……」とマコトは仕方ない、と言わんばかりに「
まさに一瞬の出来事で、ダメにしてしまった服が元通りになった様子を見てリリウムは目を大きく見開いて「い、今のって在野魔法ですか?」と知らないものを見た、と興奮気味に尋ねる。
魔法にも様々な種類がある。
在野魔法、と称されるものはあまり一般的には浸透していない、知名度の低い魔法とされている。
その為、リリウムは知らないもの――マコトの“洗浄”は在野魔法でないか、と尋ねたという訳だった。
「うん、在野魔法であってる。洗浄は冒険者やってると洗濯とか碌にできないから、大分重宝する魔法だよ」
リリウムの問いに対してマコトはそう肯定する。
自身の身体と身に着けている衣服を対象として、汚れと定義されているものを取り除くというもの。
この場合、返り血を汚れと認識してそれを取り除いた形であった。
そして、マコトはこの洗浄の魔法をかなり重宝していた。
今回のように返り血を浴びていなかろうと、山道を歩いていれば多少の汚れは身体や衣服につく。
それでいて、いつでも洗濯ができるという訳ではない。場所にも依るだろう。
となれば、この魔法があれば時間と場所を選ばず綺麗にできる。この重要性をマコトはよく知っていた。
「冒険者……?」
しかし、リリウムはマコトの口にしていた“冒険者”という言葉に引っ掛かりを覚えていて、それどころではない。
これに対しては「まずそこからか……」とマコトは頭を抱える。
とはいえ、いつまでもここで話をする訳にもいかない。
マコトにもマコトの用事がある訳で、その為の荷物はリリウムを助けに行く際、置きっぱなしにしてしまっていた。
「……一旦、説明は後だ。少し遠回りになるけど、自分の荷物のある所まで行ってもいいか?」
「は、はい。構いません。私は助けてもらう側ですから」
険しい獣道をゆっくりと下った二人は、先程までマコトが野宿をしようとしていたテントに辿りついた。
幸いにしてマコトの荷物は何者にも漁られていないようで、マコトは胸をなでおろしながら、鞄の中から簡易的なマットと寝袋を取り出してそれを地べたに敷く。
「……お嬢様には寝心地が悪いだろうけど、今晩はこれを使って寝て?」
これ、といわれてもリリウムにはなんの事なのかいまいち理解できていないのか「これは……?」と口にする。
この様子にマコトはリリウムが箱入り娘であると理解して、なんと説明しようかと言葉を選ぶ。
「寝袋。着るベッドというか布団というか。とにかく、ベッドの代わりみたいなものだよ。こんな所にベッドがある訳ないだろ?」
そう言って、マコトは寝袋を開き「ここに入って着るイメージで、そのまま横になる」と補足説明をする。
「……それはまあ、確かに」
世間知らずであろうとも、このような自然豊かな場所でも必ずベッドでないと無理という感性ではない様子を見て、マコトは「ふぅ」と安堵のため息をつく。
そして、マコトは地べたに直接寝そべる。その様子を見たリリウムが「えっ!」と驚きの声を挙げる。
「え、貴女は使わないんですか!」
「一つしか持ってないからね。それに、自分はこういうのも慣れてるから平気」
「慣れてる……」
「とりあえず、今はもう寝ときな?」
既に空は真っ暗闇。
これ以上の活動はリリウムの身体にも良くなかった。
故に、リリウムはマコトの厚意に甘えて寝袋に包まって横になる。
すると、あっという間に眠気に襲われてそのまますやすやと寝始める。
マコトはそんなリリウムの様子を見ながら、横になりつつも周囲を警戒し続けるのだった。
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