時間の向こう側で待ってる
凍龍(とうりゅう)
想いは時間を越える
「あと三日で卒業式だね」
美月が教室の窓際でそう呟いた時、僕の胸に鋭い痛みが走った。
「そうだな」
僕は平静を装いながら答える。でも、声が震えているのを隠すことはできなかった。
三年間、僕たちは同じクラスで過ごしてきた。いつも一緒にいて、いつも笑い合って、気がつけば互いを意識し合うようになっていた。告白したのは去年の文化祭の後。美月も僕の気持ちを受け入れてくれて、この一年間は本当に幸せだった。
でも、それももう終わりだ。
「リセットプロジェクトの最終面接、合格したんでしょ?」
美月の声に、寂しそうな響きが混じる。
「ああ」
僕は小さく頷いた。
人類史修正計画——通称〝リセット・プロジェクト〟。
環境破壊、資源枯渇、戦争の激化によって破綻寸前の現代文明を救うため、選ばれた人間を過去に送り込んで歴史を意図的に改変する壮大な計画だ。選ばれるのは全世界でわずか十人。その一人に偶然僕が選ばれたのだ。
派遣先は西暦二千二十五年。今から百五十年ほど前、現代技術で遡行可能なもっとも古い時間、まだぎりぎり修正可能だった分岐点の時代。
「いつ出発するの?」
「来週の月曜日」
「……そっか。すぐだね」
美月は窓の外を見つめたまま、何かを自分に言い聞かせるように小さく頷いた。
時間移住は一方通行だ。二度と元の時代には戻れない。タイムパラドックスを防ぐため、未来の記憶は部分的に封印され、もっともらしい記憶と背景が植え付けられる。
それで任務は果たせるのか? その疑問は当然だ。だけど、僕が選抜されたのは、ある問題に直面した時にどう考え、どう判断するか、つまり僕という人間の動作をつかさどるいわゆるOS、行動原理が評価されたためであって、それは記憶の有無によって変わることはないのだと説明を受けた。
そして何より、僕の行動がきっかけで首尾良く歴史が改変されれば、この時代の僕の存在そのものが消えてしまう。最初から退路などないのだ。
「君にとってはそれが正しい選択なんだろう、けど」
美月が振り返る。その瞳に涙が滲んでいた。
「君は昔から、この世界の矛盾を真剣に考えていたものね。環境破壊も、格差も、戦争も。君なら過去の世界で、本当に意味のある変化を起こせると思う」
「美月……」
「私も一緒に行けたらよかったのに」
そう言って、美月は苦笑いを浮かべた。
彼女は記憶継承能力者だった。
生まれながらにして先祖の記憶を綿々と受け継ぎ、決して忘れない特殊な能力を持つ人間で、その貴重すぎる能力ゆえに時空移動を禁じられていたのだ。
人類の歴史と文化を保存する生きたデータベースとして、彼女はこの時代に留まらなければならない。そして、仮に歴史が改変されても、彼女だけは元の歴史の記憶を改変後の歴史と共に持ち続け、その変化を測定する役割を担う。
「……僕、やっぱり辞退しようかと思ってるんだ」
僕は思い切って言った。選抜の通知を受けて以来、ここ数日、さんざん考えた結論だった。
「君と離れるなんて、やっぱり耐えられな——」
「ダメだよ!」
だが、美月は激しく首を振った。
「そんなことされたら、私、一生後悔する。私のせいで、君が人類の未来を変えるチャンスを失ったなんて」
「でも……」
「お願い。行って」
美月の声が震えた。
「君が過去で頑張って、この絶望的な世界を変えてくれれば、新しい歴史線では、私たちはもっと幸せに出会えるかもしれない」
「そんな保証はないよ。歴史が変われば、僕たちは出会うことすらないかも——」
「絶対にない、とは言い切れない。そうでしょ?」
美月は僕の言葉を遮って薄く微笑んだ。
「それに」
美月が少し俯いて、小さな声で続けた。
「私は記憶継承能力者。先祖のあらゆる記憶を受け継いでいる。ということは……」
彼女が言いよどむ。
「どういうことだ?」
「実は、もう知ってるの。君が過去で何をするか、そこで誰と出会うかも」
僕は息を呑んだ。
「私の中には、西暦二千二十五年に生きていた先祖の記憶がある。田中光希という名前の、私の五代前の先祖」
美月の瞳に涙が滲んだ。
「その先祖の記憶の中に、君がいる」
「え!? じゃあ……」
「そう。君は必ず過去で幸せになれる。私が保証するわ」
美月の声が震えた。
「だから約束して」
美月が僕の手を強く握った。
「過去で出会うすべての人を、心から愛して。私の先祖の記憶が、その先に何があるのかを知っている」
「……君は、それを知っていて僕を送り出すのか?」
「そうよ」
美月は涙を拭いながら微笑んだ。
「愛してるから。君の幸せを願うから。たとえそれが、別の誰かとの幸せでも」
「美月!」
「じゃあね。さようなら、愛しい人」
彼女はそれだけ言い残すと、僕の前から走り去った。
◆◆
出発の日がやってきた。
時間移住施設は地下深くにある巨大な研究所だった。僕は白い実験着を着せられ、時空転送装置の前に立った。
「転送に先立って、記憶の封印処理を開始します」
研究員が確認する。
「はい」
僕は頷いた。美月は見送りに来なかった。
「それでは、処理を開始します」
装置が起動する。
僕の記憶が、少しずつ封印されていく。この時代の詳細な知識も、美月との思い出も。
最後まで残ったのは、美月の面影だった。
「新しい世界で、幸せになって」
意識が薄れる中、僕は美月の声を聞いた気がした。
◆◆
二千二十五年八月。
僕は高校の教室にいた。環境問題に関心のある普通の高校三年生だ。でも、心の奥底には、誰かにとても重要な使命を託されたという想いがずっと燻っていた。
重度の中二病患者? 構わない。たぶんそうなんだろう。
僕は高校に入ってから本格的に環境保護活動を始めた。SNSで情報発信をし、同世代の仲間を集めた。数万のフォロワーを集め、企業や政府に積極的に働きかけた。
そして、運命の日がやってきた。
「転校生が来るんだって」
クラスメイトが騒いでいる。
教室の扉が開いて、一人の女子生徒が入ってきた。
僕は息を呑んだ。
黒い髪、大きな瞳、優しい笑顔。初めて見るはずなのに、なぜかひどく懐かしく感じた。
「初めまして。今日からお世話になります、田中光希です」
〝ミツキ〟
その名前を聞いた瞬間、僕の心は激しく震えた。いまだ見ぬ未来の記憶の奥底で、やわらかい声が聞こえた気がした。
(了)
時間の向こう側で待ってる 凍龍(とうりゅう) @freezing-dragon
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