第3話「聖痕の守護者」
【前回までのあらすじ】
スニク様の導きにより、さくらは初めて宝具を発現させることに成功。30センチの桜色の光の剣を手にした。しかし、桐人より劣っているという強い自己否定により、右腕の痣が発光し、激痛と共に剣は40センチまで伸びた。そこへ東京で面識のあった吉井が現れ、始祖の右腕の情報と共に、負の感情と力の危険な関係について警告を残して去った。
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吉井が去ってから、会議室は再び重い沈黙に包まれた。
俺はただテーブルの上の写真を眺めていた。
焼け焦げた島、溶けた地面、そして空っぽの地下空洞。
短毛丸は生きている。その事実が、鉛のように俺の心を押し潰していく。
(全部、無駄だった)
何度も同じ思考が頭を巡る。
ウトちゃんも、島民も、全員死んで、それで敵は逃げた。
しかも始祖の力を手に入れて。
「坊主」
爺さんの声も遠くに聞こえる。
「どうする? 緋滅組への正式入隊の話もあるが……」
「……」
答える気力もない。
何をしても無駄だ。
俺が強くなっても、結局守れない。
青い剣があっても、何も変わらなかった。
その時、俺のスマホが振動した。
画面を見ると、ユリからのメッセージだった。
『今どこ? 話がある』
(ユリ? なんでこのタイミングで……)
俺は返信を打つ。
『米軍基地。でも今は……』
すぐに返事が来た。
『基地の正門前まで来て。待ってる』
(は? もう来てるのかよ)
『悪い、今はちょっと』
『あたしの誘いを断るとはいい度胸ね』
続けてメッセージが来る。
『5分以内に来なかったら、基地に乗り込むから』
(マジかよ……)
俺は溜息をついた。ユリならやりかねない。
実際、中学の時も学校に乗り込んできたことがあった。
「すまない、ちょっと外に……」
立ち上がろうとしたが、足に力が入らない。
島から戻ってから、ずっとこんな調子だ。
体が重く、何もかもが億劫になる。
「桐人?」
「大丈夫。少し……外の空気を吸ってくる」
さくらが心配そうに俺を見ていたが、俺は視線を逸らした。
* * *
基地の正門前に、ユリが立っていた。
腕を組んで、明らかに不機嫌そうな顔をしている。
でも、俺を見た瞬間、その表情が変わった。
「ひどい顔ね」
開口一番、それだった。
「また、あの時と同じ目をしてる」
「あの時?」
「叔父さんと叔母さんが亡くなった時よ」
ユリの声が震えていた。
俺は何も言えなかった。
確かに、あの時と同じかもしれない。いや、今の方がもっとひどい。
「桐人、あんた今、すごく危うい感じがする」
ユリが俺の腕を掴んだ。
「前にも見たことがあるのよ、そういう目」
「大切な人を失って、自分を責めて、全部背負い込もうとしてる目」
(ユリ……)
「ちょっと歩きながら話しなさい」
俺たちは基地から少し離れた防波堤へ向かった。
夕日が海を赤く染めている。
「で、何があったの?」
ユリが俺を見る。
「桐人、あんた……何か大切なものを失ったでしょ」
俺は答えられなかった。
島での記憶が蘇る。
ウトちゃんの笑顔、燃え上がる炎、最後の「忘れないでね」という言葉。
全て鮮明に覚えている。
覚えているからこそ、胸が引き裂かれそうになる。
「……色々あった」
「色々で済む顔じゃないでしょ」
その時、ユリの表情が変わった。頭を押さえ、苦しそうに顔をしかめる。
「ユリ?」
「うっ……頭の中で、何かが……」
ユリの瞳が、一瞬、不思議な光を帯びた。
「聖痕(せいこん)の守護者……」
その呟きは、ユリ自身も驚いたような声だった。
「せいこん……何それ?」
「詳しくは分からない……でも、あたしの中で何かが目覚めてる」
ユリは震える手でスマホを取り出した。
「お父さん? うん、今桐人と……何か、あたしの中で……」
電話の向こうで、叔父さんの声が聞こえる。
内容は聞き取れないが、緊迫した様子が伝わってきた。
「聖痕の守護者の役割……うん、わかったわ」
ユリが電話を切る。その顔は、決意に満ちていた。
「桐人」
「なんだよ」
「ちょっとこっち向いて」
俺が振り返った瞬間、ユリの拳が俺の腹に突き刺さった。
「ぐはっ」
思わず前かがみになる。
(なんだよ、いきなり……)
顔を上げようとした瞬間、ユリが俺の頭を抱きしめた。
「は?」
「動かないで」
ユリの手が震えていた。そして、不思議な温もりが流れ込んでくる。
「聖痕の守護者……それが、あたしたち一族の真の名前なんだって」
「聖痕?」
「あたしもまだよく分からない。でも、あんたは特別な存在」
「そして今、あたしの中でも同じ力が目覚めた。あんたの危機に反応して」
ユリの手から流れ込む温もりは、まるで春の陽だまりのようだった。
そして、俺の中で何かが変わっていく。
記憶は全てある。島で何があったのか、ウトちゃんの笑顔も、燃える炎も、全て覚えている。
ただ、それを思い出しても、胸が引き裂かれるような痛みはない。
「記憶の『毒』だけを抜いてる……痛みを、あたしが預かる」
ユリが汗を拭いながら呟く。
「麻酔みたいなもの。記憶は全部ある。経験も学びも残る。でも、自分を壊すほどの痛みは、今は預からせて」
そして、ユリの表情が急に険しくなった。
「桐人、あんたの中に……残留思念みたいなものがある」
「残留思念?」
「赤い瞳……銀髪……すごく強い憎悪と執着」
(まさか……)
「短毛丸……」
「その名前!」
ユリが俺をより強く抱きしめた。
「あんたの敵は、まだ生きてる。しかも、あんたに対してすごく強い執着を持ってる」
俺の中で、怒りが燃え上がった。
痛みは和らいでも、あいつへの憎しみは消えない。
いや、痛みに邪魔されない分、むしろはっきりとした。
「あいつは……生きてるんだな」
「ええ、間違いない」
ユリは俺から離れた。その顔は真っ青で、額には汗が滲んでいた。
「あんたの痛み、ちょっとだけ味見しちゃったから」
苦笑いを浮かべるユリ。
「重いわ……よくこんなの抱えて立ってたわね」
「ユリ……」
「でも、これで少しは動けるでしょ?」
確かに、心は軽くなっていた。
記憶は全てある。
守れなかった悔恨も、失った悲しみも。
でも、それに押し潰されることはない。
「いずれ、その痛みと正面から向き合わなければならない」
俺は呟いた。
「その時まで、俺は強くならなければ」
「そうよ」
ユリが頷く。
「これは逃げじゃない。戦うための準備」
「いつか必ず、あんたは自分の力でこの痛みを乗り越える」
「桐人、あたしはあんたの従妹で、幼馴染で……そして今日から、守護者」
ユリが振り返る。
「あんたが前を向いて戦えるように、陰から支える。それが、聖痕の守護者の役目」
ユリは去っていく。その背中を見送りながら、俺は深く息を吸った。
(短毛丸は生きている。その事実は変わらない)
(あいつを、必ず止める。今度こそ、終わらせる)
不思議なほど心は凪いでいた。
ウトちゃんの顔を思い出しても、燃え盛る島を思い返しても、以前のような胸を引き裂く痛みはない。
ただ、そこにはぽっかりと穴が空いているだけだった。
まるで、分厚いガラス一枚を隔てて、遠い世界の出来事を見ているかのようだ。
「……さてと」
俺はわざと明るい声を出し、頬をパンと叩いた。
「メソメソしてても始まんねえよな!」
急に張り上げた、その声が、やけに虚しく響いたことには、気づかないふりをした。
(そうだ、これでいい。今は、戦うための準備だ)
(いつかこの痛みと正面から向き合って、乗り越えてみせる)
(それが、生き残った者の責任だ)
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