第7章「黒い影」

第1話「放課後の不審者」

【前回までのあらすじ】

血脈の継承者としての宿命を知り、スニク様との出会いを経た桐人。平安時代の英雄の悲劇を聞き、自分も同じ運命を辿るかもしれないという不安を抱えながらも、前に進む決意を固める。翌日、いつも通りの学校生活が始まるが、剣道部では後輩の絢音から相変わらず敵視されていた。

—————————————————


剣道部の稽古が終わって、道場から校門まで。


さくらと俺が並んで歩いていた。



夕暮れの光が校舎に長い影を落としている。



道場の掃除が終わったのか、絢音が小走りで追いついてきた。赤いメッシュの入った髪が揺れている。



「桐人先輩、今日も結局誰の竹刀にも触れさせませんでしたね」


絢音が息を切らしながら言った。



「剣の腕は……認めざるを得ませんが」


悔しそうに唇を噛む。



「いや、まあなんだ。さくらの爺さんが鍛えてくれたおかげだ」



「さくら様のお爺様を爺さん呼びなんて」


絢音の眉がピクリと動いた。



「少々強いからって調子に乗ってますよね」


声のトーンが一段下がる。



「それに、必要以上にさくら様と親しくしないでください」



そう言い放つと、「失礼します!」と背中を向けて走り去っていった。



(さくら様、か。徹底してるな)



俺が思わずさくらを見ると、困ったような微笑みを浮かべていた。



「絢音は私のことを心配してくれているんです。悪く思わないでください」



「ああ、分かってるよ」



再度校門に向かって歩き出そうとしたら————


今度は後ろから双子が足音を殺して近づいてきた。まるで忍者のような動きだ。



「「さくら様、お先に失礼いたします」」


「「本日もお疲れ様でした」」



小梅と小菊がぴったり息を合わせて礼をする。そして顔を上げたかと思ったら————



俺の方を見て、左右対称の変顔をした。舌を出して、目を寄り目にする、見事なシンクロ率だ。



「「変態クズ男〜」」


小声でハモりながら、足音もなく走り去っていった。



(この双子、毎回変顔で締めるのな。しかも今日は声付きかよ)



歩き進んで、校門を出ようとすると————


「おつかれー、今帰りか?」



体育館の方から山本が現れて、声をかけてきた。



「おう、山本。お前もバスケ部帰りか」



「ああ、これから運動部男子有志で見回りをするんだ」



「見回り?」



「桐人は運動部に入ってないから知らないか」



山本が真剣な表情で説明を始めた。


「最近、部活帰りの時間に女子生徒が変質者を見たって情報がいくつかあってな」



「黒い服装の男らしいんだが、学校から駅までの間とか学校周辺を、男子で少し見回ってから帰ろうって話になってるんだ」



「桐人も付き合えよ」



俺がどうしようかとさくらをちらっと見ると————


「私なら、変質者が出ても問題ありません。むしろ返り討ちにしてしまうでしょう」



さくらが涼しい顔で言った。



「桐人、行ってきてください。女子の安全は大切です」



「なら、いいけど。ほら、修学旅行の時に渋谷での事があったから」



「気にしていたんですか? 意外ですね」



さくらは優しく微笑みながら手を挙げて去っていった。



  *  *  *



「なあ、山本、お前、モテ期ってあったか?」



俺は歩きながら聞いた。商店街を抜けて、住宅街に入ったところだ。



「モテ期? うーん」



山本が首をかしげる。



「女子から手紙もらったりとか、告られたりみたいな事はよくあるけど」



「ある時期に固まってとかあったかな……」



「あーあ、お前みたいなとこもての男に聞いたのが間違いだったわ」



「とこもて? なんだそれ?」



「お前知らないのか?」



俺は呆れた。



「ハワイを常夏の島って言うだろ」



「だからお前みたいに常にモテてる奴は常モテだろうが」



「ああ、そういう事ね」



山本が納得した。



「っていうか、桐人がそんな話をするって事は」



山本の目が輝いた。



「もしかして、お前、今モテてるのか?」



「あ、いや、そういう訳じゃねえ」



俺は慌てて否定した。



「だいたい、お前は俺が女子を苦手な事を知ってるだろ」



山本は大笑いして————


「中学から、いや小学生の頃からずっと変態扱いされてるもんな」



「そんなに笑うんじゃねえよ」



「そういえば、桐人、お前剣道部の稽古に顔を出してるんだよな?」



「ああ」


俺は頷いた。



「絢音っていう一年生に声かけられて、さくらに拉致られて行ったのがきっかけだ」



「なんか情報過多だな」


山本が苦笑いした。



「絢音って赤いメッシュが髪に入った一年の子だよな?」



「ああ、よく知ってるな」


俺は感心した。



「山本は女子のデータベースにアクセスできる特別な権限でもあるのか?」



「お前は剣道部の騒動を知らんのか?」



山本が驚いた顔をした。



「もともと剣道部には男子もいたんだぜ」



「それが絢音っていう一年生の子が入ってきて、みんな追い出しちまったんだよ」



「え? どういうこと?」



「さくらと絢音と同じ中学出身の奴から聞いたんだけどな」



山本が声を潜めて説明を続けた。



「さくらって剣道強くて美人で女剣士的な感じがあるだろ」



「それで中学の時からずっと絢音を中心とした連中は『さくら様、さくら様』って取り巻きだったんだよ」



「しかも高校まで追っかけてきて、剣道部から男子部員も追い出しちまったんだぜ」



「マジで?」


俺は驚いた。



(道理で男子部員を見ないわけだ)



「俺、その絢音から剣道部の稽古に誘われたんだけど?」



「それはお前が特別なんだろ。きっとさくらが認めた相手だから————」



山本の言葉が途中で止まった。



「今、なんか悲鳴っぽい声が聞こえなかったか?」



「ああ、確かに聞こえた。あっちだ」



俺と山本は急いで声がした方へ駆けつけた。



薄暗い路地の入り口で、うちの制服を着ている女子の腕を掴んでいる奴がいた。


そいつは黒いシャツに黒いジャケット、黒いズボン。全身黒づくめだ。



黒髪で前髪が極端に長く、顔の半分以上が髪で隠れていて表情は見えない。


ただ、髪の隙間から覗く目が、薄気味悪く光っているような気がした。



(なんだこの怪しい格好は。まさか————)



嫌な予感が背筋を走る。



「おい、やめろ!」



山本が大声で呼びかけた。



その黒ずくめの男はゆっくりとこちらに顔を向けて————


髪の隙間から、ニヤッと笑った口元が見えた。



その笑みは、人間のものとは思えないほど不自然に歪んでいた。



そして————俺にだけ見えたのかもしれない。



口元から覗いた歯が、妙に尖っていたような気がした。


まるで牙のように。



男は驚くほど素早く、まるで影が動くように走り去った。



(あの動き……普通じゃねえ。そして、あの歯は————)



山本が女子に駆け寄る。


「大丈夫か?」



「あ、山本先輩。は、はい」



女子生徒が安堵の表情を浮かべた。顔は青ざめているが、怪我はないようだ。



「あの男の人にいきなり腕を掴まれて……」



彼女は山本を見つめながら話し始めたが、ふと俺の存在に気づいた。


一瞬、眉をひそめたが、山本が隣にいることを確認すると、また山本の方を向いた。



「でも、すぐに山本先輩が来てくれたので、何ともないです」



「とにかく無事でよかった。俺と桐人で駅まで送るから安心してくれ」



その時、女子生徒が改めて俺をちらっと見た。


瞬間的に、その瞳の温度が氷点下まで下がった。まるで汚物を見るような目だ。



(うわ、きっつ……)



けど、何もなかったかのように山本に向き直って————


「山本先輩に駅まで送ってもらえるなんて、逆に得しちゃった♪」



とハートな目で山本の事を見つめていた。



(おい、お前の視線の温度差に俺の心が凍りついたわ。相変わらずのこの反応の差は何なんだよ)



俺は内心でため息をつきながら、さっきの黒ずくめの男が消えた方向を見つめた。


あの不自然な動き、人間離れした素早さ。



そして、一瞬見えた尖った歯————



(まさか、学校の近くにまで吸血鬼が?)



何か嫌な予感がする。ただの変質者にしては、あの動きは異常すぎた。



そして何より、あの牙のような歯が気になって仕方ない。



(明日、さくらと爺さん、そしてスニク様に相談した方がいいな)



黒い影は、もう俺たちのすぐ近くまで迫っているのかもしれない。


【次回予告】

黒ずくめの男の正体に不安を抱いた桐人は、翌日水前寺館でスニク様に報告する。牙を見たという桐人の証言に、スニク様の表情が曇る。花房姉妹も交えた稽古の中で、吸血鬼の脅威が身近に迫っていることが明らかになる。次回「花房家の忍び」。街に潜む闇の正体とは。

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