第8話「恐ろしき代償」

【前回までのあらすじ】水前寺館の蔵に案内された桐人とさくら。そこで出会ったのは、爺さんの師匠である白いテンの神様・スニク様だった。

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「で、イタチじゃなくてテンさん」



「いてっ」


また、扇子で叩かれた。



しかし、テンの動きが俺の目をもってしても追えない。


「妾を"テンさん"とはなんじゃ」



テンが呆れたような声を出した。


「其方は桐人と言ったか。其方は人間さんよ、と呼ばれたらどんな気分じゃ」



「そ、そうだな。悪かったよ」



「ふむ、素直でよろしい。妾のことはスニク様と呼ぶが良いぞ」



「スニク様って、イタチの神様か?」



「だから、テンじゃと言っておるじゃろうが」


また扇子で叩かれた。



今度はさくらも爺さんも俺と同じように叩かれていた。



(さくら、すまん、とばっちりだ)



「なあ爺さん、このテンはなんなんだ?」



「痛っ。ぽかぽか叩くなよ。痛いって」


「わかった、わかったよ。スニク様」



「最初からそのように呼べと言っておろうが」



爺さんが慌てて頭を下げた。



「スニク様、この坊主には後でわしからよく言って聞かせますゆえ、この後は、失礼の段、ご容赦願います」



扇子で叩かれた頭をさすりながら頭を下げて床につけた。



「この者らに桐人が強くなった件について、ご教示お願いいたします」


爺さんが頭を下げたまま言葉を続けた。



「ふむ、よかろう。少々長くなるぞ」


スニク様は瑠璃色の瞳を妖しく光らせて話し始めた。



   *  *  *



「遠い昔、日の本の国には、人ならざる者たちが紛れ込んでおった」


スニク様の声が蔵に響く。



「血を啜ることで生き永らえる、緋(あけ)の一族よ」



「彼らは人の世に溶け込み、権力者の影で囁き、歴史の裏側で暗躍しておった」



「緋の一族の中には人に害をなすもの達がおったのじゃ」



「そして人の中には緋の一族の横暴を許さぬ者たちもいた」



「古より、人に害をなす吸血鬼———血染めの爪牙———を狩ることを宿命とする一族」



「『緋滅組』じゃ」



「彼らは代々、秘伝の技と武器を継承し、血染めの爪牙の暗躍を阻止しようと戦ってきたんじゃ」



「ここまでは其方らも秀豊から聞いておろう」



「ああ、ざっくり言えば悪い吸血鬼が血染めの爪牙で、それを退治する人間の組織が緋滅組なんだろ」


俺は整理するように言った。



「その緋滅組一番隊の今の隊長が爺さんってことまでは聞いてる」



「ちなみに人間の味方の吸血鬼が白夜の一族だったよな」



「その通りじゃ」


スニク様が頷いた。



   *  *  *



「そして、ごく稀に、吸血鬼を倒すことで強くなる特異体質を持つ者が誕生する」


スニク様の声が、より重みを増した。



「彼らは『血脈の継承者』と呼ばれ、緋の一族にとって最大の脅威であった」



「ってことは、俺は血脈の継承者ということか」



「うむ」



「そして、ここにおる秀豊、そしてさくらも同じく血脈の継承者である」



さくらが息を呑む音がはっきりと聞こえた。



俺は横目でさくらを見た。



普段の凛とした表情が崩れ、青ざめている。



「しかし、その力には、恐ろしい代償が伴っていたんじゃ」


スニク様の声が重くなった。



「吸血鬼を倒せば倒すほど、血脈の継承者たちの血は緋の一族の血に近づく」



「やがては自らも吸血鬼へと変貌してしまうという残酷な運命を背負っていたのじゃ」



さくらの顔から完全に血の気が引いた。


肩を小刻みに揺らし、震えている。両手をきつく握りしめ、爪が手のひらに食い込むほどだった。



(こんなに動揺するさくらを初めて見た)



「大宮家の者は代々その体質を受け継いでおる」



「そして、その代償を最小限に抑えるために、肉を口にしないようにしておるのじゃ」



「それでさくらや爺さんは肉を食わないのか」


俺は納得した。



「俺もこれからは肉を食わなければいいのか?」



「坊主、残念ながら、今から肉を断っても、坊主の代償は変わらないのじゃ」



爺さんのその言葉を聞いて、さくらが俺の肩に手を置いた。



その手が震えているのがはっきりと分かった。


震える声で言った。



「桐人、どのように謝ったら良いか……」



「私があなたを道場に誘ってしまったばかりに、こんなことに巻き込んでしまって……」



涙が頬を伝い始めた。普段の強気な彼女からは想像もできない姿だった。



「おい、さくら、謝るなよ」



俺は首を振った。



「そもそもお前が道場に連れてきてくれてなかったら、六本木で俺は女吸血鬼に血を吸われてたんだ」



「それがお前のおかげで、こうして無事に熊本に戻って来れたんだぞ」



「……ありがとう、桐人」



さくらは俯いて、涙声でその一言を口にした。


こんなに弱々しいさくらの声を聞くのは初めてだった。



「それよりも、さくらの方が生まれた時から色んなこと背負ってるんじゃないか」



「そう言われてみればそうですね」



さくらが顔を上げた。目は赤く腫れていたが、少しだけ笑みが戻っていた。



「桐人のことが気になって、自分のことは二の次になっておりました」



「さくらが高校を卒業したら伝えるつもりだったんじゃが」


爺さんが重い口調で言った。



「スニク様がこうしてお目覚めになり、血染めの爪牙の活動が活発になってきておる今、前倒しで伝えたというわけじゃ」



「お爺様、大宮家の役割については、先日お聞きし、自分なりに覚悟を決めたつもりでおりました」



さくらが毅然とした声で答えた。


「しかし、そのような宿命も抱えていたとは……」



   *  *  *



「さて、話してばかりおっても気分が塞ぐじゃろう」



スニク様が立ち上がった。


「妾は桐人の腕前を見たいのじゃ」



「確かにそうだな。道場に戻って、少し身体を動かすか」



「坊主の深刻にならない具合は美徳じゃな。礼を失するところはあるが」



「褒めるか貶すかどっちかにしてくれよ、爺さん」



爺さんはにやりと笑って、俺を見たあと、スニク様の方を見た。



「本来はこのままの姿の方が妾は強いんじゃが」



スニク様が説明を始めた。


「手加減ができん故、姿を変えよう」



「こちらの姿でも其方よりはかなり強いはずじゃ」



そう言うと、スニク様の身体が光り始めた。



蔵の薄暗い空間が、瑠璃色の光に包まれる。



「蒼穹の彼方より響く、山神の古き呼び声よ!」



「我が名はスニク、天山に宿りし神の化身なり」



「汝が輝きに抱かれし時、『瑠璃の帳』が世界を覆う!」



スニク様が右手を挙げると、天井から瑠璃色の光のカーテンが降りてきてスニク様を覆った。



光の粒子が舞い踊り、まるで星屑のように輝いている。



声が少女のものへと変化していく。



「見よ、神秘なる変化の瞬間を!」



「今こそ、妾は人として、汝らの前に立とう!」



瑠璃色の光がより強くなった後、徐々に収束していった。



   *  *  *



そこに一人の少女が立っていた。



見た目年齢は、俺達と同級生くらい。


髪はスニク様を思い起こさせる艶のある白い髪。月光のような輝きを放っている。


肌も白く、顔立ちはどこか幻想的な美しさがある。



その色素の薄さからか瞳も青い。しかし、その奥には千年を超える叡智が宿っているような深みがあった。



東洋的な美しい顔立ちなので、西洋の妖精とは違う、独特の神秘性を醸し出している。


服装は巫女服に近い。



(なんだこの神秘的な美少女は……)



(ちなみにサイズはユリよりやや大きいか)



「どこを見ておる」



スニク様が俺をじっと見つめた。その瑠璃色の瞳が、まるで俺の内側を見透かすように輝いた。



「ほう……桐人、其方の視線には強き『煩悩』が宿っておるのう」



俺の背筋に冷たいものが走った。



(まさか、見抜かれた?)



「それは呪いか、それとも……ふむ、面白い」



スニク様は意味深な笑みを浮かべた。



「その煩悩、単なる欲ではない。もっと複雑な何かじゃ」



「今の段階では、妾にもその正体はわからぬがのう」



そう言って、スニク様は扇子で軽く俺の頭を叩いた。



「いてっ」



(呪いが恨めしい)



「道場に行くぞ」



「妾は手加減というものが苦手でな」


スニク様が不敵な笑みを浮かべた。



「其方がどこまで成長したか、この身で確かめさせてもらおう」



その瞬間、少女の姿からは想像もできない圧倒的な殺気が放たれた。



(やべえ、これは相当強いぞ)



俺は背筋に冷たいものを感じながら、道場への道を歩き始めた。



【次回予告】


道場でスニク様と対峙した桐人は、圧倒的な実力差を思い知らされる。三段突きさえも通じない絶望的な戦い。そして語られるのは、平安時代に吸血鬼へと堕ちた英雄と、彼を討った幼き少女の悲劇。千年の時を生きるスニク様の瞳に宿る深い悲しみ。血脈の継承者の残酷な宿命を知った桐人は、それでも前に進む決意を固める。


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