幕間 〜叔父の記憶〜

(これは、桐人が小学5年生の時、球磨瑠璃光院(くまるりこういん)で呪いを受けた直後の出来事である。修学旅行で光の剣を発現させた今、過去の真実が明かされる———)

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GWのさなか、甥の桐人が一人で我が家にやってきた。



両親が来ないなら行きたくないと駄々をこねていると聞いていたが————


姉に「桐人、戻ったら大好物のハンバーグを作ってあげるから」となだめられ、渋々やってきたらしい。



小5になったばかりの桐人は、まだ幼い。


都会の喧騒から離れ、自然豊かなこの地で羽を伸ばしてくれればと思っていた。



(まさかこれが、姉夫婦との最後の別れになるとは)



娘のユリたちとゲームをしたり、裏山を探検したり————


それなりに楽しんでいるようだった。



球磨瑠璃光院の特別開帳にもユリと一緒に行っていたようだ。


あの日、桐人の運命が大きく変わったことを、私はまだ知らなかった。



     *  *  *



しかし、最終日————


桐人を自宅まで送り届ける車中、私は嫌な予感に襲われた。



胸騒ぎが止まらない。



まるで何かに呼ばれているような————


見慣れたはずの家の前に、パトカーが数台停まっている。



周囲には黄色の規制線が張られ、物々しい雰囲気だ。


近所の人々が遠巻きに様子を窺っている。



警察官に尋ねる。


「事件が発生しましたので、関係者以外は立ち入り禁止です」


血の気が引いた。



まさか————


「お父さんとお母さんは…?」



不安げな桐人に、私は何も言えない。


ただ抱きしめることしかできなかった。


その小さな体が震えているのを感じた。



     *  *  *



警察署の待合室。


無機質な蛍光灯の下で、警官から信じがたい話を聞かされた。



姉夫婦が「変死体」として発見されたという。



「遺体の状況が……通常では考えられないものでして」


警官の声が重い。



「全身に無数の傷があったのですが、不思議なことに、血痕がほとんどなかったそうです」



「まるで血液が全て抜き取られたような……」


私の背筋が凍った。



(まさか、この地にまで……)



いや、今は余計なことを考えるべきではない。



「現場の状況から、何者かに襲われた可能性が高いのですが……」


警官が言葉を濁す。



「凶器も、犯人の手がかりも、何一つ見つかっていません」



私は努めて冷静を装った。


一般人として、当然の反応をしなければならない。



「そんな……信じられません」



数日後、葬儀が行われた。



桐人は、ただ両親の遺影を見つめている。


涙も流さず、ただ虚無感に襲われているようだった。


その横顔があまりにも痛々しくて、私は目を逸らした。



     *  *  *



葬儀の後、桐人は私の両親に引き取られることになった。


しばらくは私も桐人のことが心配で、両親の家に泊まり込んでいた。



桐人の新しい生活が始まった。



だが————


両親の死を受け入れることができずにいるようだった。



食事も喉を通らず、夜もまともに眠れない。


ある夜。


桐人の叫び声で目が覚めた。



「やめろ! お母さんを離せ!」



部屋に駆けつけると、桐人は汗びっしょりで震えていた。


「どうした、桐人」


「夢を……怖い夢を見たんだ」


桐人は震え声で話し始めた。



夢の中で、両親は何か得体の知れないものに襲われていた。



鋭い牙と爪を持った、真っ黒な怪物に。


赤く光る目。


人ならざる速さ。



そして————



「お母さんの首に、その怪物が噛みついて……」


「桐人……逃げて……」


母親の声が聞こえた気がして、目を覚ましたという。



     *  *  *



翌朝、桐人は私にもう一度夢の話をした。



より詳細に。


より鮮明に。


まるで実際に見てきたかのように。



「おじさん、あれは本当に夢だったの?」



その問いに、私は答えられなかった。


桐人の瞳には、ある種の光が宿っていた。



(まさか、桐人も…"視える"のか?)



我が一族に稀に現れるという、特別な資質。



だが、桐人はまだ小学校5年生だ。



この年齢で全てを知るのは酷だろう。


真実を知れば、恐怖で押し潰されてしまうかもしれない。



私は苦渋の決断を下した。


桐人には、しばらくこの記憶は忘れてもらおう。



「桐人、ちょっとこっちに来なさい」



私は5円玉と糸を取り出した。



「おまじないをしてあげよう。怖い夢を見なくなるおまじないだ」



5円玉がゆらゆらと揺れる。


桐人の瞳が次第に焦点を失っていく。



「桐人、お前の両親は交通事故で亡くなったんだ」



「突然の事故だった。誰も悪くない」



「お前は、強い子だ」



「両親がいなくても強く生きていける」



そのように暗示をかけた。



同時に、あの恐ろしい夢の記憶も封印した。


催眠から覚めた桐人は、穏やかな表情をしていた。



「おじさん、なんか眠くなっちゃった」


「ああ、少し休みなさい」



     *  *  *



私は今でも思う。


あの判断は正しかったのだろうか、と。



真実を隠し、偽りの記憶を植え付けたこと。


いつか桐人が真実を知った時、私を許してくれるだろうか。



だが、あの時の私にできたのは、それだけだった。


姉夫婦を殺した…"何か"から、桐人を守るために。



そして、桐人自身が持つかもしれない特別な力から、桐人を守るために。



いつか、桐人が自分の運命と向き合う時が来るだろう。



その時まで、私はこの秘密を墓場まで持っていくつもりだった。



だが、運命は残酷だ。


桐人は既に、別の形で…"呪い"を受けていたのだから————



     *  *  *



あれから7年。


桐人は高校2年生となり、私が封印した記憶は今も眠ったままだ。



だが、今夜、ある筋から驚くべき報告が入った。



六本木で青い光の剣を使う少年が現れたと。


吸血鬼を倒したと。



(ついに、あの血が目覚めたか)



我が一族が代々見守ってきた「特別な血筋」。


その力が発現したということは、もう普通の生活には戻れない。



封印した記憶が蘇る日も、そう遠くはないだろう。



その時、桐人は私を許してくれるだろうか。



(ユリに連絡を取らなければ)



東京にいる娘に、桐人のことを頼むしかない。



いや、今はただ、あの子が生き延びることを祈るしかない。



あの血が目覚めた以上、もう後戻りはできないのだから。

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