第5話「揺れる勝負」
【前回までのあらすじ】
優れた動体視力と、一度見た動きを自ら再現できる能力によって、桐人はサッカーで神技を披露した。それを見たさくらは、ますます桐人を道場へ誘うが、桐人は興味がないと断り続けていた。
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木下がドリブルをしながら近づいてきた。
「おい、桐人、もう息が整ってるな」
「皆にフェイントを教えてやってくれ」
「桐人、私にも教えてください」
さくらが言った。
「さくらはスカートだから流石にやめておいた方がいいんじゃねえか」
「ふむ、スパッツを履いているので心配無用です」
さくらが少し考えるような仕草をした。
「もし私が桐人をドリブルで抜けたら、うちの道場に来るというのはどうですか?」
(え? なんだその勝負)
「おー、さくらちゃん面白いこと言うね」
木下が笑いながら言った。
「よし、うちの1年も桐人を抜けたら俺が帰りにラーメンを奢ってやる」
後ろで下級生達から歓声が上がった。
「よし、みんな、桐人に見本見せてもらうからよく見ておけ」
「桐人、まずはゆっくりやって見せてやってくれ」
俺はゆっくりとボールをついた。
クライフターンやエラシコなどを繰り返しやって見せる。
(まあ、剣道の全国チャンピオンでも、サッカーは素人だろ)
(楽勝だな)
* * *
その後の勝負では、1年全員のドリブルはあっけなく止めてやった。
「先輩マジですげえ!」
「動きが全部見えてるみたいだ」
下級生たちが感嘆の声を上げる。
「桐人、やはりあなたは剣をとるべき男です」
さくらが真剣な表情で言った。
「私の番ですね。さっきの賭け、忘れてませんね」
「忘れてねえけど、俺が勝っても何もないんじゃ不平等じゃねえか?」
「よろしい、私が負けたらラーメンを奢りましょう」
(ラーメンか……悪くない)
そう言うとさくらがボールを受け取り、ドリブルを始めた。
ゆっくりと俺に近づいてくる。
(なんだ、動きは素人そのものじゃねえか)
(余裕だな)
だが、次の瞬間————
さくらが上体を軽く前後に揺らし始めた。
最初は小さな動きだった。
サッカーのフェイントのつもりなのだろうか。
しかし、その動きが徐々に大きくなっていく。
右に体を傾ける。
左に戻す。
前に体重をかける。
後ろに引く。
その度に————
激しく揺れる。揺れる。
ブラウスの中で、明らかに物理法則を無視した動きが起きている。
上下の振動。左右の揺動。前後の波動。
まるで別々の生き物のように、それぞれが独立して動いている。
(ちょ、待て、これは————)
俺の視線が磁石に引き寄せられる鉄粉のように、その一点に集中し始めた。
周辺視野で捉えようとしても、中心視野が勝手にそちらに向いてしまう。
振動エネルギーが強いほど、視線を惹きつける引力が強くなる。
リズミカルな上下運動。
優雅な左右の揺れ。
ダイナミックな円運動。
三次元的な複雑な軌跡を描くその動きに、俺の脳が処理しきれなくなっていく。
まるで催眠術師の振り子を見ているような————
いや、これは催眠術なんてレベルじゃない。
呪いが完全に発動してしまった。
視線が胸に固定されて動かない。
瞬きすることすら忘れている。
(やばい、足元が見えねえ!)
ボールの位置も、さくらの足の動きも、何も見えない。
視界のすべてが、その激しい振動に占領されている。
その隙をついて————
さくらはあっさりと俺の横を抜けていった。
周りからどよめきが起きた。
「うそだろ!?」
「桐人先輩が抜かれた!」
「さくらちゃんすげー!」
(いや、その大半はその激しい振動に対して起こったどよめきだろ)
さくらは俺にだけ聞こえる声で囁いた。
「桐人の視線を誘導するのは簡単ですからね」
「約束です、明日の学校帰りにユリと一緒にうちに寄ってください」
(くそ、してやられた)
* * *
校門まで歩く道すがら、さくらが隣を歩きながら明日の予定について話し始めた。
「それで、明日は何時頃伺えばいいんだ?」
「放課後すぐで構いません」
さくらが答えた。
「ユリには私から話しておきます」
「うちの道場は学校から歩いて15分ほどですから」
「ところで、さっきのは反則じゃねえか?」
俺は恨めしそうに言った。
「あんな戦法ありかよ」
さくらは少し意味深に微笑んで答えた。
「勝負に反則も何もありません」
「戦いとは、相手の弱点を突くものです」
「桐人の弱点があまりにも明確だっただけですよ」
(ぐうの音も出ねえ)
「祖父も桐人のような逸材には興味を示すでしょう」
「ただし————」
「ただし?」
(なんか不安な前置きだな)
「祖父は厳格な方です」
「礼儀作法にうるさいので、そのあたりは気をつけてください」
「うわ、俺、そういうの全然できねえんだけど————」
俺は焦った。
「正座とかも苦手だし、敬語もちゃんと使えてるかわからねえし」
「つーか、道場とか行ったことねえし」
俺がしり込みしているのを見て、さくらは苦笑いを浮かべた。
「大丈夫です。桐人は入門するわけではありませんから」
「祖父もそこまでうるさく言わないでしょう」
「それなら安心だ」
(ホッとした)
「それに、ユリも一緒ですから」
「何かあればユリがフォローしてくれるでしょう」
(ユリがフォロー? むしろ余計なこと言いそうで怖いんだが)
「明日は私が桐人の基礎を見させてもらいますね」
そう言って振り返ったさくらの表情は————
教室で見せる穏やかな顔とは違って、どこか戦士のような鋭さを帯びていた。
まるで獲物を見定める剣士のような。
「きっと面白いことになりますよ」
(なんか怖えんだけど……)
「あ、あの、さくら?」
「なんですか?」
「手加減してくれるよな?」
「ふふ、それはどうでしょうか」
さくらは謎めいた笑みを浮かべたまま、何も答えなかった。
俺は期待と不安が入り混じった気持ちで、明日のことを考えながら家路についた。
(道場か……俺みたいな虚弱体質が行って大丈夫なのか?)
(つーか、さくらの爺さんってどんな人なんだろう)
(ユリも来るってことは、あいつも剣道やってんのか?)
考えれば考えるほど不安になってくる。
でも、約束は約束だ。
(まあ、なんとかなるだろ)
そう自分に言い聞かせながら、俺は重い足取りで家へと向かった。
【次回予告】
ついに道場を訪れることになった桐人。想像を超える道場の規模と、道着姿のさくらに圧倒される。そして始まる稽古で、桐人は剣道の世界に足を踏み入れることになる------。第三章「桐人、剣に目覚める?」
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毎話、胸を見るネタを考えるのが、大変でした。作者がいつも目で追ってしまうわけではありません。
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