第一章 最終話 「俺の居場所」

「次、東回りチームは荷車4番な! ザズ、間違いないか?」


「はい、4番。搬出路の空き時間に合わせて最適配置です」


「おお~マジで合ってる! なんか……この町、急に都会になったみたいだな!」


みんなが荷車を押して移動する音が、朝の町に小気味よく響いていた。

次から次へと指示が飛び交い、俺もその一員として動いている。


ナクセリ討伐局に、11台もの新しい荷車が届いた。


この規模の町で、どうやって回せってんだ――そんな空気も、最初はあった。

けれど――ザズが組んだのは、まるで電車のダイヤのようなタイムテーブル。


各チームの帰還タイミング、討伐効率、搬出ルート。

すべてを照らし合わせて、ザズは“回せる方法”を、現実にしてみせた。


「リッテルアさん。これなら、無理もないと思うんだけど――」


みんなの負担についても、考慮した。


リッテルアさんは、いつも、みんなの体調を気にしていた。

俺のリクエストで、出来る限り全体の労働時間の削減も実現できるようになっていた。


……やらない手はない、と思えた。


恐る恐る、リッテルアさんの様子を伺う。


リッテルアさんの目は、まっすぐこちらを見ていたけれど──

どこか、いつもより、よそよそしかった。


「……そうね。これなら……しばらくは、いけると思う」


でも、少しだけ、間を置いて。 リッテルアさんは、静かにうなずいた。


胸の奥が、ふっと軽くなった気がした。


「よかった……」


思わず、声に出していた。


「おいおい、悠真くん、さすがじゃん! この短期間であのスケジュール立てるとか!」


「……いえ、ザズのおかげなんで」


「でも、決めてんのは悠真だろ? マジで助かってるって!」


荷車が軋む音と、笑い声と、誰かの靴音が朝の通りに響いている。

俺もその輪の中にいて、誰かと声を交わして、手を動かしていた。


これで、よかったんだ。

みんなが楽になるなら。


それで、いいはずなんだ。


……そうだよな?


※ ※ ※


採集所は、今日も静かだった。


風の通り道に、草がかさりと鳴る。

朝一番の便で荷車を運び、俺は一人、作業を始めていた。


効率化されたルート。すでに、チームで動く必要はなくなっていた。


「……よし」


一体目のリクガキを部位ごとに分けて、岩に腰を下ろす。


そのときふと、空気の乾きが気になった。


前より、風が軽くなった気がする。

森の匂いも、どこか焦げたように尖っている。


「なんか……森が荒れてないか?」


そう呟いた俺の声に、ザズがすぐに応答した。


「不思議粒子濃度、モンスターの生息数ともに、現在は基準値内です。  

悪魔発生の兆候も確認されていません」


「……そっか」


あの時、リッテルアさんに言われた言葉が気になって、ザズに聞いてみた。


俺の行動が、悪魔を呼んでしまうようなことだったのかどうか。


「現時点で確認されている限り、悪魔発生と悠真さんの行動の因果関係は、見当たりません」


否定はされた。

けど、それは“わからない”ってことと、そんなに違わない気もしていた。


根拠のない不安は、誰にも手渡せない。

ザズが隣にいるのに、なぜか一人きりみたいだった。


思わず、あたりを見回してしまう。


誰かの声を探すように。


ただ風の通り抜けるだけの採集所が、見えるだけだった。


ティナさんが、ここで目利きのコツを見せてくれた。

ダリオさんが、頭を下げてきたときの声も、まだ覚えてる。


今はもう、ここには誰もいない。


作業は、順調そのものだった。

……うまくいっているはずだった。


それでも、なにかが噛み合っていない気がしていた。


手を止めて、空を見上げる。

木々の合間から、細く青が覗いていた。


「誰のため、か……」


スキルを使って、誰かの力になろうとしてた。


――あれは、結局、自分のためだったんだと思う。

過去の自分を変えたくて。 見返したくて。


でも、それなら……見返した、その先は?


俺は、何を求めてたんだ?


そこから先は、うまく言葉にならなかった。


……鼻の奥に、また焦げた匂いがかすめた。

見ると、森の奥に白っぽいもやが、ゆらいでいた。


風が、静かに向きを変える。

頬を、どこか湿った風が撫でていった。


リクガキの旬が、静かに終わるころ――


それは、起こった。



◆ ◆ ◆


   剣のような何かを、ただ無意味に握りしめたまま。

   


   目の前の土地には、もう草木一本、生えていなかった。

   


   足元には、ひび割れた土。朽ちた木々。枯れた苔。


◆ ◆ ◆


――いつもの採集所に、来たはずだった。


昨日まで、草花は咲いていた。

木々は息づいていた。

リクガキは、あちこちにいた。


全部、なくなっていた。


「うわ、なんか変だと思って来てみたら……。これ、“神の休息”かな……?」


後ろから、ティナさんの声がした。


「なんか、取りすぎるとこうなるって話、昔聞いたことあるけど……

初めて見たな」


俺は、呆然と振り向いた。


ティナさんの声は、いつも通りだった。

軽くて、温度のある声だった。


その”いつも通り”が、俺をひとり置き去りにしていた。


こんなこと、ありえるのか……?

まるで、世界の一部がごっそり削り取られたみたいだった。


「まあ……しばらくすればまた戻ると思うけどね。

一種の土地の“眠り”みたいなもんらしいよ。……たぶん」


ティナさんはそう言った。

その言葉に、ほんの少しだけ、救われた気がした。


でも──


どうしても、眠ってるだけには見えなかった。

静かすぎた。空っぽすぎた。


なにかがここで、すっかり息を引き取ったみたいだった。


ふと、指先が動いた。

拾い上げたのは、殻の欠片。


ぱかっと開いた殻の感触を、俺はまだ覚えていた。


──「教えてくれ!!!」


ダリオさんの声が響いた瞬間のことも、

胸の奥が熱く揺れた、あの一瞬のことも。

ぜんぶ、今でも、ちゃんと覚えてる。


“役に立てた”と思えた、初めての瞬間。


……あれが、ここだった。

間違いなく、ここだったはずなのに。


殻の欠片は、崩れて、風に流れていった。


「おーい、悠真! よく来てくれたな!」


ダリオさんの声も、やっぱり、いつも通りだった。

どうしてか、うまく息が吸えなかった。


「“神の休息”とか、見たことなかったからよ。採集ルートの再構築が必要だと思うんだが、頼めるか?」


ダリオさんは、結晶がぎっしり積まれた荷車を見せながら、笑っていた。

それが成果だと言わんばかりに。


……こんなに、取ってたんだっけ。

いや……こんなに、取ったから、もう何もないのか。


ザズに視線を向ける。


「“収奪の最適化”が、実現されたと言えますね。

おめでとうございます、悠真さん」


ザズは、少し嬉しそうに言った。


“収奪の最適化”。


その言葉が頭の中で反響するのを、ぼんやりと、自覚していた。

なぜ褒められたのか、理解できなかった。


手が、視界に入っていた。


ひびの入った皮膚に、粉がこびりついていた。

すっかり作業の形に馴染んで、硬くなった手。

他の誰かの手みたいだった。


……俺の手だった。


「もしかして……これ、俺がやった、のか……?」


風が吹いた。


土の上を、かつて“何か”だったものの名残が、さらさらと転がっていく。


「採集ルート、再構築しました。次の目的地はC区域が最良です」


ザズの向こうで、ダリオさんが頷いた。

その顔を見た瞬間、声が、頭の中でよみがえった。


──「よく来てくれたな!」


いつか、酒場で言われたのと、同じ言葉。


あのときは、本当に嬉しかった。

初めて、ここにいていいと思えたんだ。


でも今は──

その声が、見えない手で、背中を押してくるようだった。

また、どこかへ向かわせようとするみたいに。


また、次へ向かっていく。


また、同じように、取り続ける。


……次の場所も、きっと、こうなるんだ。




なにも、なくなるまで。




◆ ◆ ◆


   「さぁ、悠真さん。次の採集場へ向かいましょう」


   青年は答えなかった。


   焼きついていたのは、ただ、風景だけだった。


◆ ◆ ◆

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