第8話「異世界社会人、二日目──理不尽って、こういうこと?」

あれから、ほんの一晩だった。


リクガキの処理法をまとめたマニュアルは、翌朝には無駄にフォーマットの整った技術資料に再構成され、ナクセリ討伐局の光帳掲示板のド頭に晒されていた。


そして今──


「……なぁに?このマニュアル」


朝礼後、俺はジト目のリッテルアさんに肩をがっしり掴まれていた。


「い、いや俺も初めて見ました! たぶん誰かが勝手に……」


「【狭間野悠真式 開殻マニュアル】~鳴き音から始まる素材革命~

……なにこれ、英雄譚でも始まるの?」


リッテルアさんが平坦な声で、タイトルを読み上げる。


「タイトルの盛り方どうした!?  いやこれ、昨日のと全然違うよな!?」


見れば見るほど、昨日のマニュアルとは別物だった。

フォントは美しく整い、これでもかという程に俺の名前が強調されている。


「特許申請はご希望に沿わないということですので、名誉を得る方向で調整しました」


「やっぱりお前かぁ!!!」


振り返ると、ザズがいつもの涼しい顔で立っていた。


「──戻せ戻せ! 余計な最適化すな!」


光帳を必死で操作する。


リッテルアさんは若干引いていた。


「……あんた、変な苦労してそうね」


──!!


「ようやく……わかってくれる人が……!」


なんだろう、泣きそう。いま確実に、何かが報われた気がする。


感動に打ち震えていると、リッテルアさんがニヤリと笑った。


「どうせ、怒れなくて、つい許しちゃってるんでしょ」


「──う゛っ」


「そういうの、“報われたがり”って言うのよ」


図星すぎて動けなかった。

やっぱ俺が悪いのか……。


「なんでわかるんですか…? もしかして、経験談……?」


「は?」


あ、やべ。絶対、変な地雷踏んだ。


リッテルアさんの口元が、三日月のように弧を描いていた──ただし、目はまったく笑っていない。


「いえ! なんでもないです……!」


全力で首を振る俺を見て、ザズがずいっと割り込んでくる。


「鋭いご指摘です。私の分析でも、確かにリッテルアさんは“つい許して仕事の責任抱えがち”タイプで──」


「踏みにいくなバカ!」


慌ててザズの顔を押さえ込む。


リッテルアさんはというと──


「あんたたち、面白いね」


そう言って、笑っていた。


その“面白い”がどんな意味なのか、怖くて聞けるはずもなかった。


しばらく俺を見つめていた彼女は、やがて視線を外す。


「……はいはい。コントやってないで、もう本題に戻るわよ」


呆れ顔。いや、もはや諦めに近かった。


「本題?」


「そのマニュアル、ナクセリ“以外”に広めたいなら、教えてね」


「えっ……いえ、今のところそのつもりは」


「……なら、いいのよ」


淡々と、ホログラムを閉じる。


でもその声には、どこか重さがにじんでいた。


「 “成果”って名前がつくとね。変な人が寄ってくるの。……気をつけて」


「悠真くーん! 討伐行くよー!」


「……はーい!」


声に応えて装備を整え、走り出す。


ふと振り返ると、リッテルアさんは静かに作業を続けていた。


その横顔の、かすかに引き結ばれた口元が――

まるで、遠い昔の痛みを噛みしめているように見えた。


※ ※ ※


「今日もアタリ、たくさんいるな!」


「そうね、これならリッテルアさんも大丈夫でしょ!」


朝から上機嫌のダリオチームは、討伐──というか実質的には採集作業──に精を出していた。


ザズ命名の鉄殻リクガキ、通称アタリ個体は、素材の質も量も段違いだ。


「リッテルアさんがどうしたんですか?」


気になってつい聞き返すと、隣にいたティナさん──ショートカットの、先輩討伐員──が、とぼけたように視線を逸らした。


「……いや、なんでもない。それより悠真くん、それ≪サラマンダー≫もっと短くても開くよ」


「……あっ、すいません!」


露骨に話題を逸らされた。


……なんだろ。品質も配置変更も、問題は解決したんじゃなかったのか?


俺はまだ通常リクガキの処理に四苦八苦している。慣れないカキベラを握り、肩幅級の貝を慎重に開く。


中には、牡蠣の身と、黒光りする金属の塊、そして白くくすんだ結晶が見えた。


「……結晶は品質1だね。捨てちゃおう」


「え、捨てるんですか?」


「うん。品質1なんか持っていったら怒られるよ? 最近は2でも文句言われるんだから」


「でも、大丈夫なんですか? 誰かが勝手に使うとか」


「勝手に使う? ……あー、その発想はなかったなぁ。悠真くん、そういうとこ面白いね」


ティナさんはそう言うと、ケラケラと笑った。


どゆこと? 普通に考えそうな話では……。


「勝手には使えないよ。討伐局通してない結晶は教会が受け取らない。だから信仰値にはならない……って、学校で習わなかった?」


「……あ、忘れてました! アハハ……」


俺の常識がないだけだった。


ていうか、この結晶って教会にあげてるんすね。勉強になります。




採集は順調で、夕方前には荷車がパンパンになった。


「よーし、帰ろう! 今日は祭りの準備ができる~」


「よっしゃよっしゃ。贅沢言えば、もうちょっと運べればいいんだがな!」


今日の作業は昨日よりもさらに早く終わった。

早く終わりすぎて、時間を持て余しているくらいだった。


「しょうがないよ。これ以上積んだら荷車壊れちゃうって!」


ティナさんがダリオさんの背中をバンバン叩く。咳き込むダリオさん。


「ま、そうなんだがよ。うし、押すぞー!」


全員で荷車を押す。金属がしこたま載ったそれを、未舗装の道で運ぶのは重労働だった。


ちなみに≪ホーンラビット≫のスキルは瞬発的な脚力補助のため、重量運搬には向かないそうだ。


特にもうすぐ行ったところにある、デカい穴が鬼門で──


「わっぷ」


必死に押していると、突然荷車が重くなって、頭をぶつけそうになった。


見ると、ダリオさんが光帳を開いていた。


「すまんすまん、なんか急に連絡が来てよ。──はぁっ!?」


いきなり声を荒げたダリオさんに、みんながぎょっとして立ち止まる。


「な、なに? どうしたの?」


ティナさんが不安そうに近づく。


「……受付資格の“本停止”だ。今期終了日付けで……」


その瞬間、みんなの息を呑む音が、はっきりと聞こえた。

まるで冷たい水を浴びせられたみたいに、全員の動きが止まる。


「は……? ちょっと待ってよ、それって──」


「リッテルアちゃんが、降ろされる」


──えっ?


思考が、一瞬で霧散した。


身体の感覚が、急激に、自分から引きはがされていくようだった。

ティナさんの叫ぶ姿が、映像みたいに遠く見えた。


「昨日の報告で改善は確認済みって言ってたじゃん!」


「……書類上の貢献度に“安定性の欠如”って、追記されてた」


ダリオさんが苦い顔で答える。


「改善しろって言うから改善したら、今度は“安定してない”ってなんなのよ!」


「めちゃくちゃですね、奉納局……!」


みんなの会話は、どんどん先に進んでいく。


俺だけが取り残されていた。


理解が、追いつかない。


頭は動かないのに、心臓だけが無駄にバクバクとうるさかった。


「降ろされる……って?」


思わず口を挟んでいた。声がうわずっているのが、自分でもわかった。


ダリオさんが、少しだけ考え込んだ後、重く答えた。


「担当業務の解除と、再申請の制限。実質的には……」


言い淀んで、唇を噛む。


「──追放、だな」


言葉が、地面に落ちた。

誰かの震えた吐息が、地面の上を転がって消えていった。


なんで、リッテルアさんが──


「それはおかしい」

身体のどこかが、そう叫んでいた。

でもその声は、喉の奥で凍りついたままだった。

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