第一部 蒼空の果て 第八章

  1

 

 薄暗い室内に、人工的な白光が机面を照らしていた。円形の作戦卓を囲んで並ぶ席の中央では、複数のホログラムが浮遊する。

 

 投影された映像は、蒼の体内デバイスから直接流し込まれる二十七世紀の関連データ。戦争と実験の記録が、音もなく再生されていく。会議の準備を手伝っていたはずのカナタは、初めて目にする世界大戦の映像に、釘付けになっていた。


 重く張り詰めはじめた空気を、蒼の声が軽快に破った。


「はい、ちゅうもーく! 今度、調査に入るのは、〈ヘイムダル研究特区〉です! 実は俺の生まれた場所!」


 思いがけない発言に、至の目を見開く。戸惑いまじりの視線が蒼に送られるが、「びっくりした?」と口だけを動かし、いたずらが成功した子供のように笑った。


「ごめんね、情報量多すぎて、データの抽出に時間かかっちゃった」

 蒼は椅子に背を預け、周囲を見回す。ホログラムの青白い光が彼の顔を照らし、明るい声色とは裏腹に影を帯びた表情を浮かび上がらせた。


「えーっと」目線はホログラムを追い、端末に触れると研究特区の全体像を投影する。

「これが施設のモデルデータ。二十六世紀の真ん中くらいに完成して、特に軍事用途での研究開発に使われていたよ。空爆に耐える必要があったから、大半が地下施設なんだ」


「すっげえ広さだな……」龍道が3Dデータを指で回転させ、唸る。


「でしょ。マーケットの何倍だろう? 各棟は七層構成なんだけど、敷地がでかすぎて俺も全部は行ったことないんだ」


 ルースはダウンロードしたデータを解析に掛けながら、蒼を見た。

「でも、助かるわ。情報なしに地下に潜るのは危険だもの」

「今回は実験データと設備の調査が目的だったよね? 北側の研究棟に何か残ってるかもしれない」

「ありがと、ちょっと探索ルートを考えさせて。先に他の話を進めてもらえれば」ルースは端末に集中した。

 

「おっけー。じゃあ、至から質問もらった当時の主な実験の内容ね。俺の知ってる範囲だと兵士育成関係になるけど……」


 蒼の操作に応じて、ホログラムの映像が切り替わる。いくつかの解析グラフが、円卓の中央にじわりと表示される。

 

「いまは普通なのかもしれないけど、当時は長期の戦争下で効率的に兵士を生産するために、人工ポットでの成育システムが導入されたんだ。だいぶ数を吐き出させてた」


 ジェラードがスライドを操作し、片手で顎をさすった。

 「なるほどねえ。ポッド生まれってみんな優秀だと思ってたけど、量産型は能力差が大きいんだな。今の方式は数を絞って、管理精度を上げてるってことか」


 中央で、評価指標と能力値の分析結果のパラメータが、リズミカルに変化する。


「そうかも。発育・戦闘・知能――三つの指標で評価されて、一定基準を満たさなければ、そのまま廃棄。生き残った個体だけが、新生児として育てられた。量産型ポッドはアウトプットの安定性がまだ未熟で、処分もそれなりに多かったと思うよ」蒼は淡々と画像を送る。

 

「それで、生後八ヶ月くらいまではスタッフが育成を管理して、ポッド内で能力値を調整。ある程度の伸び代が確認されたら、生後九ヶ月ごろから適性に合わせたプログラムが始まる――そんな流れ」


「な、何かすごいな……。俺には分からん世界だ」

 龍道が沈黙に耐えかねて呟いた。消え入りそうな声で「僕も……」とカナタが言う。

 

「今の構造は、その延長にあるのか」「ポッドから出た子どもは、適性によって教育施設に振り分けられ、能力に応じて将来の役割まで決められている」


 蒼は軽く肩をすくめる。

「構造的には、たしかに似てるね。世界大戦中は兵器の量産と次世代人類の創出。で、今は資源配分の効率化と人口制御が中心かな?」そのまま興味がなさそうに、画面操作を続ける。


 さらに新たな投影が重なる。《Project D.I.A.D.》という文字が淡く浮き、遺伝子配列と細胞の分裂過程が連続で映し出される。


「ちなみに俺と弟は、けっこう特殊なケース。〈遺伝子双対適応育成計画〉――通称『プロジェクト・ディアド』ってやつで2615年に生まれた」


「やってることは似てるけど、俺たちは意図的に一卵性の双子として設計されたんだ。軍事・研究、それぞれの分野に特化した人間を計画的に育てられるかの実験。俺が軍人、弟が研究者。役割を初めから決めて造られた」


 細胞分裂から胎児へ、さらに能力値の推移データが次々と映し出されては、淡く溶けて消えていく。


 体を機械に置き換える前――少年時代の蒼。

 

 誰もが、明るく笑う姿を想像していた。

 記録の中の彼は、測定器具をつけられ、機械的に役割をこなしていた。ほとんど変わることのない表情に、飢きった獣のごとき鋭く濁った瞳が印象的だった。

 その隣には、瓜二つの容姿をした少年。ほんのわずかに細身に感じられるが、「双子の弟だ」とすぐに分かる。どこか儚げで、なぜか対照的に透明な瞳をしていた。


 静寂が落ちる。


 誰もが言葉を失い、ただホログラムの光に照らされていた。

 透流は腕を組んだまま、映像を睨む。

 瀬司は会議卓の端末に手を置き、じっと画面を見つめていた。時折まばたきに合わせて、頬に落ちた睫毛の影が揺れる。

 地上で生まれ育った龍道やカナタは、意味すべてを飲み込めないまま、ただ蒼を見ていた。


「そろそろルースは探索ルートの組み立てできたかな?」

 蒼は話題を終わらせるべく、ルースに話を振る。

 それを合図に、会議は実務的な確認へと進む。施設構造、探索ルート、チーム編成の話へ。


「調査に向かうのは――ジェラード、光莉、瀬司、透流、蒼、カナタ、それから俺。龍道はマーケットの復興を優先してくれ。ルースはいつも通り、情報支援を頼む。以上だ」


 会議は終わった。蒼は立ち上がる誰かの気配を感じてはいるものの、どこかで場違いな静けさに身を委ねて目を閉じていた。

 地上生まれの龍道とカナタからは理解しきれないものを前にした困惑が色濃く滲む。

 光莉は、そっと蒼の顔を覗いたが、声をかけることはしなかった。蒼もまた、彼女の視線に気づいていたが、気づかないふりをした。

 

  2


 深夜の闇に飲まれたベースの片隅。

 キッチンのオレンジの照明が、蒼の横顔を照らしていた。冷蔵庫から取り出した栄養補給パウチを手に、階段を上がる。


 ロフトの奥――。

 薄闇に包まれたその空間には、かすかな気配がひとつあった。窓際の木箱に腰掛け、夜のとばりと混ざり合うかのごとく、瀬司がグラスを片手に黙って座っていた。

 

「お疲れ様。いい?」

 尋ねる蒼に、瀬司は視線で促した。間にひとつ分の距離を残し、彼の隣に腰を下ろす。

 二人の間に言葉のない時間が流れる。

 風も通らない、密室感。かすかに機械の作動音と、遠くから響く低い振動音だけが、空間を満たしていた。


 やがて、先に沈黙を破ったのは、瀬司だった。

 

「さっきの話」

「なあに?」

 

 気の抜けた返事に、瀬司はかすかに口元を緩める。


「研究特区、興味深かった」


 蒼はふと視線を上げる。ロフトの天井。黒く塗られた鉄骨の梁が無骨に走っていた。

 多少の温度をまとった声で、ぽつりと言う。


「ありがと」

「……昔、いくつか記録を読んだことがある」

「調査の仕事?」

「それもあるが……単純に、歴史というか時代を辿るのが好きなんだ」

「へえ、意外。瀬司って後ろは振り返らなそうなイメージあったから」

 蒼が笑い、瀬司もそれに応じて小さく微笑んだ。

 

「インペリウムは、美しい街だ」

 瀬司の声が、どこか遠くを見るような響きになる。

「整然としていて、空も湖も、青が透き通ってる。歴史伝承地区なんかは、地上の失われた建築様式を再現してる場所もあって、俺はそういうのが好きだった」


 蒼は、じっと彼を見つめる。

「それなのに地上に来たの?」

「軍の仕事で、元々よく来ていた。決まった目標を完遂するだけじゃなくて、もっと自分の頭で考えて、世界を見たくなったんだ」

 

「なぜ今のあの街ができ、なぜ今の地上があるのか」

 瀬司は目を伏せ、蒸留酒に口をつける。

「でも、インペリウムが好きなんでしょ? 戻りたいって思わないの?」

「Valkが、行き来できるようにするんだろ?」瀬司が笑った。

「そっか。だから、ここにいるんだね」蒼も笑った。


「俺は、生まれた街は大切に思っている。でも、たまに檻みたいに感じたのは確かだ。変革を全て否定するわけじゃない」瀬司は真剣な口調で言った。


「うん。俺は、インペリウムもここも、どっちも思い入れがあるわけじゃないけど。助けてくれた仲間がいるから、力になれたらいいなとは思ってる」蒼は少し距離を置いて返した。


 再びしばらくの無言の時間が訪れた。

 やがて、瀬司が問いかける。


「生まれた後、両親は知らされるものなのか?」

 

「んーん、知らない」

 パウチを咥え、くぐもった声で呑気に返した。

「瀬司はいるの?」

「ああ。父は早くに亡くなったが……子どもの頃は、両親と過ごした」

 

 グラスの中で琥珀色の液体が波打つ。


「それってどんな感じ?」蒼が物珍しそうに聞いた。

「一緒に日々食事をして、幼い頃は並んで寝て……アカデミー以外での知識もトレーニングも、なんでも父と母に教わったな」

「へえ……すごいなあ」

 蒼は手にしたパウチをいじりながら、小さくぼやいた。その声には、羨望にも似た憧れが、かすかに混じっていた。

 

 瀬司は一度グラスを見つめ、顔を上げる。

「お前の時代のこと、もっと知りたい」

 その声は深く真っ直ぐだった。蒼は穏やかに返す。

「ありがとう、興味持ってくれて。でも……うまく言えるかな」しばらく言葉を探り、そして、ゆっくり話し出す。


「そうだな。この国の、いや、世界のほとんどは戦場だった。陸も空も海も。色んな国が入り混じって戦ってた。このエリアも少し西に行けば戦闘の真っ只中」

 声は淡々としているが、どこか寂しげだった。

「俺は都市防衛ラインの最前線に配置されることが多かったかな。情報が必要だから、捕虜にする場合も多かったけど、当たり前に殺した」

 瀬司は、あふれる蒼の言葉を、ただ聞いていた。

「ラグナロクは良く覚えてないけど、ずっと今が世界の終末なんだろうなって感じてたよ」

 

 暫くの間、空白の時間が流れる。

 蒼はふっと目を細め、懐かしそうに続ける。

 

「ああ、でも──弟と一緒にいた時だけは、たぶん、ちゃんと日常があったな」人の温度を帯びた声。


そらっていうんだ。俺の弟。20歳で結婚して、すぐ子どもが生まれたんだよ。研究者で、生命の成り立ちとか、やたらこだわっててさ。俺らって被検体だから勝手なことできないんだけど。『絶対にポッドなんかに頼らない!』って言って、奥さんと政府を説得して、なぜか俺まで巻き込まれて……」


 蒼は微笑みを浮かべて語る。思い出すたび、声のトーンが優しくなっていく。

 

「奥さんも優秀な研究員だったから、『非効率だ』って上層部に止められたけど、最終的に実証実験として特例で通ったわけ。あれほんと大変だったけど」


「だからかな。姪っ子を初めて抱き上げた時、すごく感動したんだよね。『わー!小さい人間だあ!』って思って。あれは、すごく不思議な感覚だったな」


 その姿に瀬司の口元が弧を描く。

 だが、次の瞬間には少し強張った。


「弟、今は」

「わかんない」彼の声が、少しだけ低くなった。

「たぶん――ラグナロクで、死んじゃったんだと思う」

 

 時が止まったと錯覚するかのような空白。

 瀬司の指先が、グラスの縁をなぞる。

 

「……悪い」

「ううん、いいよ。気にしないで。俺が今こうしてここにいる方が、変なんだ」

 蒼はパウチを傾ける。ぬるくなった液体が、喉を通っていく。

 

「こっちに来てからさ――すごく不揃いで、統一感もなくてバラバラだけど、『これが人間なんだ』って、なんか、思ったよ。二十七世紀の人間のほうが、きれいに整ってて、機能的だったけど、どこか無機質で作られた感じがあった。俺が言うのも変だけどね」


 瀬司は黙って、それを聞いていた。ゆっくりと近くの木箱にグラスを置く。


「人間とは……にんげん……? ニンゲン……」と繰り返しながら百面相をする蒼を見た。


「お前は、ちゃんと、人間だよ」その一言は、静かで、でも、力強かった。

 蒼は目を丸くして瀬司の方を向いたあと、照れくさそうに笑った。

「へへっ、そうかな」

「周りが思う以上に、お前は物事を考えて、生きてるだろう」

「ありがとう」

 

 ふたりは、ほぼ同時に窓の外を見た。そこには、雲に覆われた夜空。 星見えなくとも、確かに空は広がっていた。

 

 蒼はしばらく窓の向こうに思いを馳せた。そして、首をかしげつつ呟いた。

 

「人間って、案外、不格好でいいのかも」

 

 瀬司はそれに応えることなく、再びグラスを手にし、傾けた。カラリ、と氷の気持ちの良い音が響く。その余韻を味わうかのように、静けさだけが後に残った。


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