第一部 蒼空の果て 第七章

  1


 蒼に「弟子にしてくれ!」とぶら下がるルイ、「せすくんと離れたくない」と抱きつく璃音。口々に言う二人を「まずは待ってる人を安心させてあげて」と宥めすかして、マーケットの避難シェルターに送り届けた。


 朝の空気はすでに熱を帯び、陽炎が地表に揺れている。


 先に復興作業へ入っていたジェラードは、新入りメカニック三人に的確に指示を出し、トラクターとドローンのAI制御を駆使して瓦礫の除去を続けていた。ルースとカナタもローカルネットワークの復旧に向けて奔走しており、シェルター周辺は小さな再生の営みが感じられた。


 シェルターを出る頃には、痛いほどに太陽が照りつけていた。

「俺の温度センサー、41度」

 蒼がダグに体を預けて、ぼそりと呟く。

「こっちは体感、45度だ」

 龍道がうんざりした顔でジープに乗り込み、後部座席を振り返った。


「よし、次は遥とナツ、あと今日はソエルも。ルミナリーフ農園に案内する。殊葉ことははがさつだけど良いやつだから安心しろよ」

 その言葉に、遥は緊張した面持ちで姿勢を正し、隣のナツも無言で頷いた。ソエルは助手席でナビの座標を確認し、素早くルートを設定する。

 

「俺も行く!」

 ジープの横から蒼が手を振りつつ、軽やかにダグへ跨った。

「私も!」

 その背中を追い、光莉も蒼の後ろに跨る。蒼からヘルメットを受け取り、被った。

「上空偵察がてら、ついてくよー」

 蒼の声とともにダグのエンジン音が小さく響いた。


 マーケットから東へ。

 崩れた高層ビル群を抜け、瓦礫の谷間を越えていく。

 灰色の街を見下ろす。


 やがて視界が開けた。

 乾いた風の中に、わずかに湿った土の匂いが混じる。 廃墟と砂埃に覆われた世界の果てに、まるで大地を侵食するかのごとく、青と緑が地を這い、息づいている。


 ルミナリーフ農園。


 荒野の中に芽吹いた再生の象徴だった。


 丘の上空を旋回していた蒼と光莉は、太陽の光を浴びて輝く深い緑に目を奪われる。何度見ても、圧倒される生命の色だった。

 

 ジープから降りた遥は「すごい……」と思わず感嘆の声を漏らした。


 広大な敷地には、ガラスとビニルの質感を併せ持った素材で出来た温室が点在している。その内部を気候管理ドローンが浮遊し、巡回する。微粒子ミストが霧状に満ち、葉を濡らし、やさしく光を屈折させていた。

 

 ナツは小さな白い花を見つけて、しゃがみ込む。

「みたことない花だ」

 

 そのとき、畝の間から歩いてくる人影があった。

「いらっしゃい。よく来てくれたね」


 少しかすれた温かみのある声とともに現れたのは、農園の主――殊葉だった。日焼けした肌、泥が残る作業用グローブ。

「大口の取引で大量に収穫しなきゃいけないから助かるよ」飾り気のない豪快な笑顔で出迎える。


「ここで食べるもの、作ってるの?」

 ぽつりと尋ねたナツに、殊葉は頷いて答えた。

「うん。ここで採れた野菜やハーブを、料理人たちが腕を振るってくれる。今日から君もお母さんも、その仲間だね」

 遥は反射的に頭を下げた。

「私、ちゃんと役に立てるかわからないけど」

「焦らんでいいよ。最初は、土に触って、風の音を聞くところから始めてくれたら。少しずつ教える」

 その声に、遥の肩からほんの少しだけ力が抜けた。

 

「じゃあ、早速案内する。ついてきて」

 殊葉が先に立って歩き出す。そして、一番手前の温室に足を踏み入れた。外の世界とは異なる、しっとりとした空気が流れる。扉が閉まると、乾いた風の音が遮断され、葉を心地よく揺らす音だけが残った。


「この中、普通の畑と違うんですね」光莉が興味津々に見回す。

 畝が整然と並び、土の表面にはセンサーが点在する。土壌の解析データ、栄養バランス、水分量などが即時に解析され、空中ホログラムに色鮮やかに映し出されていた。

 

「うん。土には微生物を混ぜて改良してあるし、地中には自動給水ラインも埋めているんだ」

 彼女は足元の小さなソーラーパネルを指差した。

「こっちは電力の補助用。これでドーム内の気候を細かく管理できるんだ」


 龍道が感心して腕を組む。

「すげぇな……進化してる」

「瀬司くんが昔の農園跡を調べてくれて、至とルースが情報を分析、ジェラードが装置を作ったの。私はその力を借りてるだけ」

 

「でも、この子たちの命は、私が預かってる」殊葉はそう言いながら、土色に染まったグローブを外し、指先で腰につけた作業袋から、いくつかタネを取り出す。ひび割れと土の色が染み込んだ掌には、どこか神聖さすら宿っていた。

 

「この畑では、遺伝子操作をしていない古代種の野菜を育ててるんだ」

「古代種?」遥が不思議に思い、質問する。

「そう。数百年前に主流だった種類。見た目は無骨だけど、味と力が詰まってる」

 殊葉は説明しつつも、近くのホログラフに目をやる。何かに気がついた表情。流れるような手つきで画面をスライドさせた。

「このへんの風向きが変わりはじめてるね。そろそろ微生物剤、撒かないと」

 

  2

 

 遥が、殊葉から細かい作業の説明を受け始めた頃、畝の縁に腰を下ろした蒼は暇を持て余していた。足元の土を指先でいじる。

 そして、ソエルに向かって口を開く。

 

「ソエルさんって。めっちゃ強いよね。動きが無駄ないっていうか、姿勢もすごく安定してた」

「恐縮です」

 頭を下げた彼女を見て、蒼は後押しするように続ける。

「ここんとこ物騒だからさ、心強いよ」

 ソエルは小さく「ありがとう」と安堵した表情を浮かべた。


 ふと、畝の片隅でナツが小さな木の実を拾い上げる。光莉の方を振り返って、素直に尋ねた。

「これ、食べられるの?」

「あ、食べられるよ。茹でると美味しいんだ! 今度、一緒にやってみようか」

「うん!」

 光莉がにこりと笑うと、ナツもつられて小さく微笑んだ。その表情は、どこかまだ照れくささが滲むが、少しだけ心を開いていた。

 

 風が吹いた。

 温室の外壁をかすかに揺らし、葉を優しく鳴らす。

 蒼は視界の隅に、動く何かを見つけた。蛙だ。


 データでは見たことがあるが、本物は初めてだ。今となっては珍しい野生生物を興味津々で追いかけ、しばらく観察していた。

 

 隣で手持ち無沙汰にしていたソエルがぽつりと尋ねる。


「この前から聞きたいことがあって……。聞いても、いいですか?」


「ん?」

 蒼が振り返ると、ソエルは少し迷いを含んだまま質問する。

「いつから、蒼さんは今のお身体に?」


 光莉が怪訝な顔で口を開きかけたが、蒼は小さく首を振って制止した。


「22歳になって、すぐのとき。急性の免疫異常が起きて、全身ほとんど使い物にならなくなってさ。他に生きるための選択肢がなかったんだ」


「っ、すみません! 大戦時代は体の一部を機械化した融合兵が多数存在したと文献で読んだことがあったので、てっきり……」

「全然。もちろん戦闘目的で改造した奴らも、結構いたからね」


 蒼は人工皮膚で覆われた自分の右手を、何気なく開閉する。

「すごい技術だよね。もとの俺なんて、ほとんど脳みそだけだよ」


 ソエルは何と答えて言いか分からないまま、しばらく黙ったあと、戸惑いがちに口を開いた。

 

「実は、私の父も……免疫異常で亡くなりました。地上に来てからだったから、手の施しようがなかった」

 

「インペリウムでは、私も酷いアレルギー体質だったから、すぐ父の後を追うだろうと覚悟していたんです。でも、少しずつ反応が出なくなって、今は殆ど症状が消えました」

 蒼は少し首をかしげた。

 光莉が話に割り込む。

「不思議だよね。インペリウムでは免疫異常って凄く多くて。でも、ここではそんな話をあまり聞かない。そういえば、私も食べれないもの結構あったな」

「あちらほど管理されてないから、正確なところは分からないですけどね」


「うまい野菜と肉食って、よく働く! そんでよく寝る。それが1番だよ。おしゃべりしてるなら手伝って!」


 いつの間にか近くに来ていた殊葉が仁王立ちになって催促した。光莉が「はーい!」と元気よく手を挙げる。そのまま腰に手ぬぐいを巻いて、すぐさま温室へと走っていった。


「光莉さん、慣れてるんですね」

「いや、たぶんノリだけ」


 蒼が苦笑しながら立ち上がり、手袋を受け取る。ソエルも無言で手を伸ばし、黙々と準備を始めた。


「蒼、雑草抜きとミスト整備、どっちがいい?」

「どちらでも」

「じゃあ両方。はい、よろしくー。ソエルと適当に分担して」

 殊葉はさらりと流し、ホログラフの地図を指差す。ソエルは「私、南の端から雑草処理します」と駆け出して行った。

 蒼は無言で見送ると、畝の端にしゃがみ込む。小型の雑草取りロボットと自身を無線接続した。丸みのあるフォルムに、視線で指示を送る。ロボットは根を張った雑草を丁寧に引き抜いていく。センサーの近くは触れないよう注意が必要で、意外と神経を使う作業だった。


「おー、結構根が深いな、こいつ」


 ロボットが引き抜いた雑草を、蒼は手際よく回収していく。蒼は様子を見つつ、操作するロボットを増やした。ロボットたちが内蔵AIで刈り取り進路を自己補正し、作業が軌道に乗りはじめた。

 

 一方、光莉は温室のミスト機の噴射ノズルに脚立でよじ登っていた。

「この調整ネジ、固すぎない?」

「それ、回すんじゃなくて、引っ張るとロック外れるやつ!」殊葉の声が飛ぶと、「あーなるほど!」と返事が返る。

 しばらくすると、音を立てて霧が広がり、上から優しくミストが降り注いだ。


「やった、かかった!」


 ビニールの壁が光を透かし、湿った空気が甘く鼻をくすぐる。風は静かに流れ、畝の上をふわりと撫でた。


「わ。太陽浴びて輝いてる!」

 

 蒼が、嬉しそうに手のひらで霧を受け止める。普段よりも表情が輝く彼に、光莉は得意げにウインクを返した。


  3


 仲間たちがほとんど出払ったベースは、ひとときの静寂に包まれている。

 外光が差し込む吹き抜けの下、作業スペースでは瀬司と至が端末を並べ、次の調査先に関する情報を整理していた。

 

「候補は、三つだな。食糧プラント跡、情報中継塔、そして——」

 至の指が画面に触れると、表示が切り替わる。現れたのは、廃墟となった施設の衛星写真と、かすれた記録文書の断片。

「二十六世紀に造られた遺伝子実験、その関連施設〈ヘイムダル研究特区〉。名称は間違いないか?」至は瀬司に視線を送る。


「断定はできないが、文書の符号が一致している」

 瀬司の指がキーボードの上を滑り、画面に細かく残されたコードを呼び出す。一瞬、彼の表情がわずかに険しくなる。


「ルースの資料を見る限り、アクセス痕跡が近年になって一度ある」

「誰かが入った?」

「おそらく。だが、データの抜き取りはされていないと思われる。臨時滞在目的か……」瀬司は顎に手をあて、考え込む。

 

 そのとき、扉が開き、ルースとカナタが入ってきた。ルースは軽く手を振る素振りで謝る。

「ごめんごめん、ネット復旧と併せて聞き込んでたら遅くなった」

「大丈夫だ。収穫はあったか」

 至に聞かれ、ルースはちらりとモニターを覗きこむ。

「そうね、中継塔は、アクセスが良いから、最近、散策に行った人から話を聞けたわ。映像も見せてもらったけど、かなり劣化していて優先度は薄いかな。何かのついででいいと思う」

「わかった」


「話は変わるが、プレトリアの侵入者の件、進展はあったか?」

 すると、カナタが勢いよく前に出た。

「それは僕から! 可能性として、つい一週間ちょい前に潰されたコロニー出身のテロ組織の残党かもしれないっす。名前はまだ出てないけど、少人数で行動してるみたい」

 ルースが補足する。

「マーケット崩壊の直前にも、似た特徴の足取りは情報がある。ただ、直接ミサイル攻撃と関係してるか、いまのマーケット内にいるのかまでは、まだ断定できない」

 

「他のコロニーまで広げると人手が足りないな。近場で情報収集は続けておくか」

  至の考えに、瀬司は静かに頷いた。

「独断での無差別攻撃と子供回収の失敗が、立て続けに起きている、さすがにプレトリアも慎重になるだろう。今は動かない可能性が高い」

「だな。ソエルに協力要請して対応してもらうか」

「そうね。龍道の仲間と連携してもらえば、ある程度任せていいと思う」


 報告が一段落し、至はモニターの別タブを開き、新しい資料を呼び出す。

 そのとき、端末のひとつから、通知音が鳴った。

 

「彗からだ」

 受信許可のボタンを押すと同時に、無機質な白いアバターが表示される。

『頼まれていた資料を入手しました。データ転送したので、確認してください』

 

 至が、すぐにメッセージの添付ファイルを開いた。

 ルイ、ナツ、璃音の出生に関するデータ。ルイと璃音は完全な遺伝子操作による出生であることの証明と、幼少期のアレルギー有無の分析資料だ。ナツは母胎から生まれた出生記録と、軽いアレルギー体質の表示がある。


 資料に目を通す傍らで、機械の音声が響く。

『まだ確実なことは言えませんが、先日の失踪事件の目的が子供たちの回収となると、当初から〈再選別〉を利用した可能性があります。』


『自然発生的な抗体生成の実証実験は、研究部門ならやりそうですね。何とか本人たちの血液サンプルをこちらで分析できるといいのですが……』

 

「難しいな。当日中に廃病院へ戻って入手した血液サンプルですら、変色していて使い物にならなかった。この暑さではインペリウムに届けられるまで持たないだろう」


 冷静に返す瀬司に、悩み顔を浮かべたアバターが揺れる。


『ですよね。分かってはいるんです。授受するリスクも高い。エレベーターで行き来すればいいだけなのに……。すみません、誰か来ました。通信を切ります』


 彗は誰の返事を待つこともなく、通信を切った。

 

「こっちのインペリウム居住者の資料、アレルギー保有率が38%近くなっているわね。死亡率も上がってる。子供たちとの関連性も知りたいところだけど、何か解決策を見出だせれば、向こうとの交渉材料になり得るわ」


 至は画面を見つめたまま「ヘイムダル研究特区で確定だな」と呟いた。

「ああ、100年以上前の施設だ。期待はできないが、こちらで分析できる環境を作ることができれば、状況は変わる」

 瀬司の返答に、至は静かに頷く。画面に表示された施設の情報を再確認しながら、彼は小さく息を吐く。

「戦時下における遺伝子の管理と兵士の最適化育成——、か」

 

「また遺跡かよ。どうせ瓦礫と埃ばっかだろ」

 日差しの届かない室内の隅。透流は椅子にもたれ、気怠い動きで脚を組み替える。虚ろな目と声には、どこか諦めにも似た棘があった。

 

「お前な」

 瀬司が冷ややかに返すが、透流は気にせず続けた。

 

「残骸なんか見たって、意味ないんじゃねーの。」

「それでも、掘り出す意味はある」至はモニターに映る資料から目を離さずに言った。

「この施設には、ラグナロクまでの内部情報が残っている可能性がある。応用できれば、地上の立ち位置を変えられるかもしれない」

 

 その言葉に、部屋の空気が引き締まる。透流はそれ以上続けず、不機嫌な面持ちで顔を背けた。

 

 カナタが眉をひそめる。

「僕、彗さんのこのデータ自体はすごいって思うんですけど、信用していいのかな」

「少なくとも、向こうにいるのは間違いない。公式なシステムから出力されてる。ここカーソル合わせてみろ」

 瀬司が即座に答えた。

「なんか透かしが入ってる!」

「公式文書には必ずある。覚えておけ」

「勉強になります!」

 ルースが「教えるの忘れてた」とバツの悪そうな顔をした。

 

「決まりだな。次の目的地はヘイムダル研究特区。蒼に当時の話を聞けないか相談しておく」


 至が、メモを打ち込むと、端末を閉じる。この小さな一歩が、新たな真実を引きずり出すことになるかもしれない。彼は、緊張気味にゆっくりと息を吐いた。


 

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