【設計図 No.16】凛の強さ


永遠の時を過ごしていたかのような感覚の中、腕の中で抱きしめていたこころが静かに問いかけた。


「気になってたんだけど……どうしてその姿になってるの?」


つぐみは、瞬時に自分の髪の色や瞳の変化についてだと理解した。《修繕(エンチャント)》によって生み出されたカルメル鉱製の剣は、今もなお、強い光を放っている。正直なところ、つぐみ自身もその理由を理解できていなかった。《工房スキル》の能力を試すために作ったこの剣は、まるでつぐみの意志を宿したかのように、生き生きと動く。


「つぐみさんは、やっぱり凄いですね……その立ち姿を見て、改めて感じました」


腕の中で抱きしめられたゆずりはと梓も、つぐみにそう告げた。


「ああ……どうしてか、異質な鬼将を前にしても、臆することなく立ち向かえた」


ふと、つぐみは自分の体に違和感を覚える。先ほどの戦闘で負ったはずの傷が、徐々に塞がっていくのに気づいたのだ。それは、つぐみだけではなかった。腕の中の三人も同様に、傷が癒えていく。梓が持つ《聖光スキル》は傷の治癒ができるが、彼女はまだ発動していない。なのに、傷が塞がる。


「どうしてなんだろう……」


その時、こころの声が響いた。


「さ……行きましょう。まだ、終わってない。魔獣殲滅の始まりよ」


こころの声に呼応するように、鬼将が倒れた後の静寂を保っていた空間に、新たな魔獣たちの咆哮が飛び交い始める。やがて、出口の方からわらわらと魔獣が走り込んできた。

ゆずりははゆっくりと立ち上がり、刀を抜く。梓は深紅の宝石が埋め込まれた杖を握りしめ、魔獣の方を向く。そして、こころは一歩前に出て、拳を握りしめた。


つぐみは、凍てつくような冷気と燃えるような闘志の中、地面に落ちていた剣を握り、立ち上がる。柄から伸びる光が三人を照らす。その瞬間、時間がゆっくりと進む感覚を覚えた。三人の立ち姿が、スローモーションのように動く。こころがスキルを発動しようと、拳を前に突き出す瞬間。ゆずりはが地面を強く蹴り、魔獣に向けて走り出そうとする瞬間。梓が杖を握り、力を込め始める瞬間。

全てが一枚の絵のように鮮明に過ぎていく。三人を照らす光が、つぐみの問いに答えるかのように微かに輝いた。つぐみは視線を下げ、柄に反射する自分自身を見て、確信した。


「……───だったんだ」


つぐみが《工房スキル》の真の力を理解した瞬間だった。スローだった時間が元に戻り、いつもの時間へと戻る。───つぐみは、大切にぶら下げたペンダントを胸に、戦闘へと体を走らせた。


******


一方、地上では───。

魔獣の行進を止めるため、冒険者たちが互いに連携を取りながら、魔獣を撃退、妨害していた。


「───そこが心臓部だ!頼む!」


「了解!───《風之舞(ウィンドカット)》!」


魑魅魍魎のような魔獣たちはそれぞれ異なる能力を持つため、近距離と遠距離のスキルを組み合わせ、効率的に戦っていた。しかし、参加している冒険者の平均ランクはC。圧倒的な魔獣の数に対応できるはずもなく、次第に負傷者が増え、戦闘不能になる者が続出する。このままでは街へと向かい、蹂躙を始めてしまうだろう。冒険者たちは歯を食いしばり、さらなる力を発動しようと武器を構えた。


「───どうやら間に合ったようね」


「───そのようですね!師匠!」


けたたましい咆哮が響く中、透き通るような声が頭の中に響いた。冒険者たちが振り向くと、二人の女性がこちらに向かって歩いてくる。その立ち姿から、誰もが一瞬で理解した。

……Sランク冒険者。


「探知機によると、親玉は既に倒されている。……残るは残党の殲滅のみね。奈留、死亡者を出さないようになるべく早く終わらせるわよ」


「はい!師匠にもウチの鍛え上げた能力を見てほしいっす!……それにしても、これほどまでの魔獣を差し向ける奴を倒すなんて、相当な実力者みたいっすね!」


「……そうね」


水色の髪を一つにまとめ、忍者のようなロングコートに厚手のマフラーを巻いた女性が、スマホのような探知機から目を離し、周囲を見渡した。───鈴本 凛。若くしてSランク冒険者であり、普段はギルドの受付嬢である。彼女は多くの人々に知られ、**<最強>**と名高い人物だ。

そんな凛の隣に立つのは、彼女が唯一弟子をとったと噂される、《雷合スキル》を持つ新東 奈留。Aランク冒険者でありながら、その実力はSランク冒険者にも匹敵すると言われている。彼女は淡い赤色の髪を無造作にまとめ、鋭い金の瞳が獲物を射抜く。へそを覗かせたショートパンツ姿に、雷を纏うかのような攻撃的な気配が漂っていた。そんな二人が、緊急事態のために駆けつけてくれたようだった。


「負傷者の確認後、適切な処置をお願いします。私と奈留は冒険者の方々と一緒に戦います」


「「「はい」」」


後方から続々と黒子のような衣装を纏ったギルド関係者が、凛の指示で動き始める。冒険者たちは戦闘を続けながらも、負傷者の保護を優先して魔獣と対抗した。


「さあ……奈留、''力''を合わせましょ」


「了解っす!」


奈留と凛が向き合い、目を合わせた。しばらくすると、奈留の黄色く星のような輝きを持つ瞳と、凛のマリンブルーのような瞳が微かに光る。


「あ、危ない!」


一人の冒険者が二人に向かって叫んだ。魔獣が二人に飛びかかり、牙を立てる。しかし、残り数センチのところで、全身がバラバラになり崩れ落ちた。片方は稲妻が走ったような線を残し、もう片方は何度も切り刻まれてボロボロになっている。


「これが……Sランク冒険者か。……何も見えなかった」


一人の冒険者がそう呟くと同時に、凛は奈留にサインを送った。奈留は素早く走り出し、一気に空中に高く跳躍する。人間離れした高さにまで到達すると、手にしている杖を高く掲げた。先端にある黄色の水晶玉の中で、気泡のようなものが上がり始める。


「───《雷電新生(ライトニングノヴァ)》!」


水晶玉の気泡が一カ所に集まり、黒い空へと黄色い光線が、少し深い深海の色を帯びながら射出される。刹那、天から無数の淡い青色の雷が周囲に轟いた。無造作に繰り出される雷は、不思議なことに冒険者には一切当たらず、的確に魔獣の急所を射抜いていく。数の多い魔獣は次々と崩れ落ち、負傷者の救助ができる環境が作られていく。


「奈留、上手く使いこなせているようね。なら……私も!」


凛は携えているナイフを空へ一振り。すると、ナイフの残像が雷を纏った斬撃となり、直進だけでなく、屈折や反射を繰り返して魔獣の元へと辿り着き、確実に急所を捉えた。凛の太刀は目に見えるものではなく、一瞬のうちに斬撃を繰り返し、あっという間に周囲の魔獣を壊滅させた。

しかし、まだ全体の1割程度であり、遠くのダンジョン入口には大量の魔獣が跋扈している。


「埒が明かないわね……少し、能力を使いましょうか」


凛がそう呟くと、おもむろに目を閉じて意識を集中させた。《透視スキル》は、対象の弱点を見抜いたり、読心術に長けているため、攻撃系の能力はないとされている。しかし、凛のスキルはS。スキルの極地に到達している


「───《雷電音奏(ライトニングソニック)》」


それはスキルのコピー。対象の能力にまで干渉を起こさせる。凛が地面を踏み込むと、大きな窪みを残してその場から消えた。魔獣は状況を理解できないうちに、全身を解体され、崩れ落ちていく。奈留による落雷と、凛による音を残した高速移動で、たちまち戦場は、電光石火の地へと変わっていった。


*****


「外が騒々しいわね……」


「何が起きてるんだろう……」


つぐみたちはダンジョン内部から魔獣の殲滅を行っていた。鬼将を倒したつぐみたちにとって、危険度が並程度の魔獣に負けるはずもなく、それぞれのスキルを駆使することで、あっという間に地上へと続く入口が見えてきた。しかし、耳を壊すほどの騒音が起きている地上。新たな魔獣の出現かと不安を抱えつつ、地上を目指した。

地上に出ると、魔獣の姿は一つも見当たらず、荒れ果てた地面に冒険者たちがぐったりと倒れている光景が広がっていた。


「こーこーろー!!」


「え!?ばふっ」


神速のごとく走ってきた凛により、数メートル後ろに吹っ飛んだこころ。凛はこころを抱きしめながら、頬ずりをやめない。そんな二人につぐみたちが近づいていくと、もう一人の人物がいた。


「師匠〜!早いっすよ〜!」


「あなたは……新東 奈留さん!?」


「おっ!知ってるんすね!」


一番早く反応したのは梓だった。つぐみも冒険者関係の話に疎くないため、すぐにその人物が誰であるか理解できた。ゆずりはは表情一つ変えず佇んでいる。


「あのっ、私あなたの大ファンで!こんな所で出会えるなんて思ってもみなかったです!」


奈留の手を握りながら熱心に告げる梓。普段はおっとりした雰囲気の彼女が、情熱的に伝えるのを見て、つぐみは自然と口角が上がっていた。


「いや〜、ウチにファンができるなんて!しかも、とっても可愛い子ちゃんじゃないっすか〜、嬉しいっす!連絡先とかいります〜?」


「是非!実は───」


そんなやり取りを傍から見ていたつぐみは、有無を言わさぬゆずりはに手を引かれ、こころの方へと引きずられる。

───すごい力で握られてる。


こころは未だに凛からの頬ずりを受けており、凛の背中をリズミカルに叩き「大丈夫だから……」と声をかけているのを見ると、どちらが姉か分からなくなりそうだった。


「こころさん……大丈夫ですか?」


「ああ、つぐみ。姉がごめんね。たまにこうなるのよ」


「だってぇ……こころに何かあったら……」


「''仲良し''だな」


数分後、凛の手からこころが離れる。凛は一礼して謝り、つぐみの方へ近づいた。


「……つぐみちゃん。改めてお礼を言うわ。今回の緊急依頼の活躍は、あなたが一番よ」


「……私ですか?」


凛はつぐみの肩に手を置く。


「ええ。もちろん、こころとゆずりはちゃん、梓ちゃんも一緒だけどね。今回の異質な鬼将は、並の冒険者ではかすり傷も与えられないほどの凶悪さだったわ。あなたたちは、それでも立ち向かい、無事に生きている。パーティー全員で称えられるべき功績よ。特につぐみちゃんは、鬼将の攻撃を躱したり、仲間を守ったり、鬼将に最も大きなダメージを与えた。あなたは、もう立派な冒険者よ」


こころとゆずりはは頷き、梓もにこやかに微笑んでいた。嬉しかった。誇らしかった。自信に繋がった。

……だけど、''何か''が足りなかった。

その''何か''が分からなかった。しかし、つぐみはすぐに考えるのをやめた。───素直に受け取ろう。つぐみは「ありがとうございます」といい、全身全霊の微笑みを見せた。


「でも……どうしてダンジョン内のことが分かるのですか?」


「あら、忘れちゃった?私のスキルは《透視スキル》。見えない部分を見るなんて朝飯前よ。地下200mなんて余裕だわ!」


凛は綺麗なウインクをつぐみに返した。───次元が違う。


その後、戦場に来ていたギルド関係者の中に《衣服スキル》を持つ者がいたため、つぐみたちの服を繕ってもらった。


「さようなら!凛さん、奈留さん」


「奈留さ〜〜ん!また会いましょうね〜!」


つぐみと梓が手を振りながら、バスに乗り込む。先に行ったこころとゆずりはは、バス内で''英雄''と持て囃されていた。梓と顔を見合わせて、小さな笑みをこぼす。───この戦いで、大切なものを手に入れた。


*****


「で……あの子が師匠の見込んだ子っすか?……確かに只者じゃないっすね」


「ええ……綾瀬つぐみ。奈留も分かるでしょう?今回の魔獣暴走の親玉は、異質体。少なくともSランク冒険者がタイマンで勝てるかどうかのレベルよ。私だって無傷では済まなかったでしょうね。こころやゆずりはちゃん、梓ちゃんを合わせても、勝機はなかった……。つぐみちゃんのあの''力の発現''は、容易く鬼将をねじ伏せていた」


「なるほど。冒険者ランクに見合わない戦闘能力を持ち、そのスキルは''他のとは異なる''って言いたいんすね。……俄然燃えてきたっす!」


あの子は、''他のスキルとは異なる''。数々の冒険者たちのスキルを覗いてきて分かったこと。

……救える可能性は、あるのかしら。


凛は数秒間俯き、すぐに顔を上げた。空には、綺麗な星々が二人を照らすように輝いている。誰もが絶景だと呟くような夜空。現に、奈留は手に持つ杖を天に掲げ、水晶玉に夜空を映していた。


「ちっ……」


一つ舌打ちを残した凛。奈留の手を取り、ギルドへと歩き始める。


*****


綺麗な夜空の下、つぐみたちはギルドへと戻り、制服に着替えた。こころたちは私服に着替え、緊急依頼の報酬を受け取り、揃って帰路につく。


「そういえば、つぐみはみんなに敬語を使っているな。もっとフランクに話してもいい」


「そうですねぇ。よそよそしく感じてしまうのは、仲間として良くないことでしょうからね」


「え……ちょっ!」


突然、隣を歩いていたゆずりはに言われる。理解する間もなく、ゆずりはにつぐみの両手を握られた。つぐみよりも頭一つ高く、女優のようなスタイルの彼女の行動に、顔が熱を持つのをものすごく感じた。


「ゆ……ゆずりは……」


「うん。満足」


普段の冷静な顔からは想像できないほどの美しい笑顔をつぐみに向ける。見下ろす形からそれを受けたつぐみは、口をパクパクと動かし、しばらく静止していた。しかし、また違う感覚が手に伝わる。脳が素早く反応し、つぐみに信号を送った。目の前にいたのは、同じように手を握っている梓だった。


「私のことも呼んでください!」


「あ……あずさ……」


「……はい!」


いつも穏やかな微笑みを見せていた彼女だが、初めて見るこんなにも美しい笑顔。まるで、彼女の後ろで百合の花が咲いたように見えた。───いや、本当に見えた気がする。


流れ的に、と思っていると、案の定、ゆずりはと梓にこころと向かい合う形にさせられる。顔だけでなく、手も真っ赤な状態。


(あの二人……ニマニマしちゃって……)

「はぁ……分かったわよ」


こころは手を握り、つぐみと向かい合う。つぐみの瞳は、鬼将との戦闘時に見せたオレンジ色ではなく、普段の茶色い瞳をしていた。つぐみより一回り小さいためか、自然と上目遣いになる。


「こ……こころ」


「ッ!もういいから!」


こころは咄嗟につぐみから目を逸らし、手を離す。無言で歩き出すこころに、慌ててつぐみも歩き出す。ゆずりはと梓は、その様子を後ろで微笑みながら見守っていた。


(こころに嫌われた……)


顔を見せずに前を歩くこころにつぐみは自然とそう感じてしまった。

ゆずりはと梓は十字路で別れ、偶然にも一緒の方向であったこころと一緒に歩く。相変わらず、こころはつぐみと顔を合わせようとはせず、深刻な表情をした横顔だけが目に入る。

数分後、こころの家に着き、別れを告げる。


「さようなら、こころさん。今日はありがとうございました!」


「……」


返答はなく、こちらを振り返ったままつぐみをじっと見つめている。少しだけ微笑み、家へ向かおうとすると、突然、こころに袖を引かれた。


「……敬語はいらない。こころでいいから」


「わかり……うん、こころ」


こころは屈託のない笑顔を浮かべ、袖から手を離し、家のドアへと向かう。

……なんだか子供みたいだ。そう言ったら怒るだろうから、胸の内に留めておく。こころの足取りは、自然と軽そうに見えた。

こころは踵を返し、つぐみに振り返った。


「つぐみ……気づいていないようだから言わせてもらうわ。冒険者は危険よ」


こころはそれだけを残し、足早に去っていった。冒険者は常に死と隣り合わせ。つぐみもそのことは十分に理解している。あの言葉に何が込められているのか。通学カバンから微かに光を感じたため、覗くと、ダンジョンを去る前に《分解》により素材へと戻ったカルメル鉱が、微細な光を放っていた。


つぐみは家に着き、鍵で玄関を開ける。もう既にお母さんは仕事から帰り、夕食を済ませている時間。さすがにつぐみの分はないと思い、最寄りのコンビニで惣菜を買っていた。靴を脱ぎ、リビングへと向かうと、電気が消えていた。電気をつけ、電子レンジで惣菜を温めている間、スマホを手に取ると、充電が切れていた。すぐ近くの電源タップで充電を済ませ、スマホの液晶に衝撃的な光景が映る。


30件 [お母さん: 不在着信 ギルドにいる。今どこ?]

52件 [まひる: つぐみつぐみつぐみ……]

1件 [京子: 明日、学校で]


お母さんに連絡をし、冷や汗を滝のように流しながら、ギルドへと走る。……まひると京子には怖くて連絡できなかった。ギルドの入口に長身のお母さんが立っており、声をかけるやいなや抱きしめられる。


「心配かけんな」


そう一言だけ言われ、さすがのつぐみも反省し、次からは必ず一本連絡を入れることを心に誓った。


******


「凛、帰らないのか?」


ギルド内の事務室で声をかけられる。凛は戦闘後、奈留に指導を行い、ギルド本部へと帰還していた。声をかけたのは、凛の上司である一村 慶三。その巨体と強面から多くの人に距離を取られそうだが、穏やかに笑う姿が多く目撃され、すっかりギルド内のマスコットとなっていた。


「この資料をギルマスに届けたら帰りますよ。何かありましたか?」


「いや〜、仕事を放っぽり出してどこに行くのかと思ったら、緊急依頼の対応をしてたんだってな。そして、戻ってきたと思ったら事務室に籠って資料整理。少しは休んだ方がいいぞ」


「あはは〜、ご心配ありがとうございます。体の調子はいいので大丈夫ですよ!」


慶三は一息漏らしながら、納得したように自席に戻り荷物を持って仕事を終える。少人数しかいない事務室に残った凛は、複数のファイルとバインダーを抱え、エレベーターで最上階にあるギルドマスターの部屋へと向かう。その足取りは、とてもゆっくりであった。


コンコン。

「……ギルドマスター」


「……入ってこい」


ガチャ、とドアを開けると、都市が一望できるほどの大きな窓を背に、大きなデスクの大量の資料に手を乗せ、椅子に座る男がいた。綺麗な白髪をセンター分けにし、緋色の目をしたその男は───ギルドマスター。日本政府よりも強い権力を持ち、日本のダンジョン全てを管理する。世間にもその詳細はなく、滅多に姿を現さない謎の多い男だ。


「それで、今回はどんな用件だ」


「冒険者たちの詳細資料です。近日の状況を《透視スキル》で覗き、細かなデータを取ってきました。''冒険者ランク''の判断をお願い致します」


「……承知した」


ギルドマスターは席を立ち、凛から資料を受け取る。おもむろにファイルに手をつけ、パラパラとめくり始めた。厳しい表情を崩さず、手を止めない。冒険者ランクは、単に活躍度だけで決まるわけではない。ギルドへの近況報告や成績をデータに残し、ギルドマスターの判断によって結果が決まる。もちろん、ギルドマスターの匙加減で決まるのではない。今後の活躍が本当に見込めるかが重要視されるのだ。


凛が考え事をしている間にも、ギルドマスターはファイルを読み漁り、顔を崩さずに読み進める。しばらくすると、ファイルの一部で手が止まった。


「凛。こいつは本当か?」


「はい。情報は確かです。鈴本 こころ、小宮 ゆずりは、神山 梓。高い戦闘能力を保持し、今回の緊急依頼の貢献度も高い人物です。加えて、そのバインダーをご覧下さい」


ギルドマスターはファイルから目を逸らし、読み漁ったファイルの下に埋もれていたバインダーを見た。その瞬間、ギルドマスターの目の色が変わる。


「……綾瀬つぐみ。Dランク冒険者。しかし、先ほどの人物にも次ぐ、もしくはそれ以上の能力を保持。緊急依頼の根源である異質体の鬼将の討伐に最大限貢献。……いかがでしょう」


「……やはりな。以前から目をつけていたが、ここまでとは。凛、引き続き頼む」


ギルドマスターはそばにある年代別に分けられた本棚に、ファイルと例のバインダーを整理する。凛は一礼してその場を去ろうとすると、ギルドマスターに静かな声で、しかし強い圧力を込めて告げられた。


「……あと、''スキルの報告''だけは忘れるな」


「……承知しました」


ドアノブに手をかけ、閉める時にギルドマスターの顔を見る。男は作業へと戻り、ペンを走らせていた。凛が見たその顔には、確かな笑みが見えた。


エレベーターに乗り、事務室へと向かう廊下を歩く。静寂の中で長い廊下を歩くのは、凛にとっては慣れている。凛は今日の一日を思い出した。つぐみを含めたパーティーは確かに成長を遂げ、異質体である鬼将の討伐を成し遂げた。凛は全てを知っている。《透視スキル》は相手の思考にまで干渉する。知らなくていいことまで知ってしまうくらいに。

───あの男だけは分からない。自分に害をなす者なのか。みんなに害をなす者なのか。


「馬鹿野郎」


ドゴォン、と鈍い音がギルド内に響く。広い廊下で長い距離を音が反響する。事務室から数人の職員が覗きに来た。彼らが目にしたのは、凹んでボロボロになった壁に手をめり込ませ、拳から血を流している凛の姿。職員が心配をし声をかけると、「大丈夫です!」と笑顔で答え、事務室に戻っていく。


「……家、帰ろう」


凛は頭でそう考え、手に簡単な処置を施し、妹・こころの待つ家へと歩き始めた。───凛の気持ちは、一体誰に理解できるのだろうか?

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