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「少子高齢化中小企業に危機感」大きな見出しでそう書かれている新聞を松井圭は拾い上げた。

彼は湿気で少しふやけたそれを見て誰にも聞こえないような小さなため息をついた。

ここ一週間で梅雨に入り、蒸し暑い日が続いた。スクランブル交差点では人混みの荒い息と、汗の臭いが鼻につく。今日も昨日と同じ人間とすれ違う。

松井は新聞をゴミ箱に捨て、仕事へ向かった。社内にはコピー機の音だけが、絶え間なく響き、その単調なリズムは彼に少しの寂しさを感じさせた。

「おはようございます」彼はこぼれるように言う。皆それに反応することはなく、その音は虚しくコピー機の音に飲み込まれた。

彼はもう一度大きな声であいさつしようと考えたが、憂鬱な気分はそれを阻害した。

「おはよう松井くん来たとこ悪いんだけど、これちょっと直してくれるかい」

所長はそう言ってまとめられた資料を机に置いた。

「分かりました。確認しておきます」その言葉を言い終わるころには所長は、自分の席へ歩き始めていた。

早速、資料を手に取って修正を始めた。太く、皮の厚くなった手で迷いなく作業は進められた。実際松井は今年で入社から二十年になるし、ほとんどの業務は問題なくこなせていた。だが彼にはほかにもやるべき仕事があった。

定時になったが、仕事はまだずいぶんと残っている。彼は苛立ちと焦りの中、仕事を続けた。しかし、10分後所長は松井に近づき「帰りなさい」と、一言だけ放ち自動販売機へ歩いて行った。

松井は小さなため息をついた。今朝の新聞を思い出す。近年企業のホワイト化により、残業時間を減らす動きが掲げられている。しかし、実際はどうだろうか。少子高齢化は人員不足を引き起こし、それは一人に対する仕事量を大きく増やしている。だというのに無理なホワイト化によって、仕事をする時間は奪われていく。やらなければならない仕事を。

会社を出るときにすれ違った所長の手にはブラックコーヒーが握られていた。

毎日同じ道を通り、昨日と同じ電車に乗る。ただ一つ斜め前に座る若い青年、いや中学生かもしれない、男の子三人がやけに目についた。

帰り道にあるコンビニで、ビールを買いアパートに着いた。部屋はとても暑くすぐに冷房をつけた。心地いいプシュッという音が響く。美しい黄金を口に運ぶ。独特の苦みが広がって、ほろ酔い気分になり、彼は天井の青白いLEDを見つめる。あの頃は…


空を見上げる、眩い日差しが8歳の松井圭を照らす。

手にソーダ味のアイスが溶けべたついてる。その手を石の堤防に押し付ける。優しい故郷の海のにおいがする。

海の青色が果てしなく続いている。

「圭君は、将来なにになりたいの?」

「分からない」

小学校でいやというほど聞いた。何をしたいかは分からなかった。ただやりたくないことはたくさんあった。

クラスの女の子がふざけて、俺に砂をかけてきたことがあった。

「痛い!!」砂が目に入り涙が出た。きっと砂のせいだったはずだ。少なからず8歳の俺はそう言い張ったはずだ。涙と同時に行き先のない怒りと恨みがあふれ出た。

それらは渦を巻いて俺の血液をめぐって、俺の血液を沸騰させた。

自分の手を噛んでいた。なぜかは分からない、ただ子供のながらに感じた有り余る気持ちの矛先は自分だった。やってはいけないことは同時にやりたくないことだった。

手の甲に残った噛み跡から血が出ている。


中学の夏、俺はバスケに夢中になっていた。夢中になるという経験は初めてだった。それは毎日に刺激を与えた。

「今日も部活の後残って練習してこーぜ」

「よっしゃやるか!なあ松井お前も」

「おう!」

俺は同級生の二人と毎日のようにバスケをしていた。

毎日ひたすら同じ練習、繰り返し、繰り返し。

俺はその日常に意味を見出していたし、充実していた。履いているシューズは溝がなくなって、平らになっている。汗でびしょびしょになった服は、彼らに満足感を与えていた。

体育館の床にボールが弾む。その音と振動は心地よく、またそのリズムがバスケに熱中させた。

響き渡る独特なリズムは俺の青春を熱く、濃く彩った。

帰り道、三人で並んでチャリを漕いだ。そして決まって俺らはサイダーを買って飲んだ。爽やかな甘みが口に広がる。黄昏は真っ赤に染まり、俺らを照らしていた。サイダーは光を反射し、綺麗な透明をみせる。少しの哀愁を残して日は落ちる。暗い夜が来る、道はまるで深い落とし穴のようだ。底のない闇、もしここに何かを落としたらきっともう戻ってくることはないのだろう。


「えーあのゲーム機って発売そんな前なの?」

「最近、時間の流れはやいよな」

十八になるとそんな会話が増えた。そのころ俺はバスケをやめていた。

夢中になれるものはなかった。いや、夢中になれるものはもう作れはしなかった。無情なほど早く時間は過ぎた。

俺を取り巻く環境は時間についていけず、ただの点にすらみえた。

あの日俺を照らした黄昏は、もうそこになく虚しい気持ちを残して消えていった。何かやらなければと考えていた。未来を考えなくては。


入社してすぐ、俺は仕事を覚えるのに必死だった。

やりたくない仕事だってあったが、やはりやるしかない。

「なんで俺がこんな事やんなきゃ」ブラックコーヒーの缶を蹴飛ばす。

青白い顔でパソコンに向かう。


気づくと、うっすらと空が明るくなってきていた。

「仕事行きたくないな」

松井はメールに「熱が出たため休暇を取ります」とだけ打った。

彼はまた目を閉じる。あたりは暗闇に包まれる。

「どこにあるんだ」暗闇の中、夢中になって探す。

いつ、どこで、なぜ、何を落としたかなんてわからないが、探している。

「どこだ!いつ落とした!」

「こんなところに」

足元には何かがある。

故郷の青い海だった。ソーダ味のアイスだった。血が出ている手だった。

バスケをしている3人だった。バスケットボールのリズムだった。汗でびしょびしょになった服だった。サイダーだった。黄昏だった。

それは眼がくらむほどに、眩く美しい光を放っている。

「欲しいよ!これ」

手は届かない、底のない闇は静かに彼をなだめていた。

闇の中松井の泣きじゃくる声だけが響いていた。何も気にせず泣いた。

その涙は眩く光っている。憂鬱も虚しさも流れ出る。新たな色彩になって。闇を色づけていく。その瞬間、闇は美しく色づいて世界を作る。

思い出の一つは絵の具になって彼自身を染め上げていく。

「今の僕の世界は」


目が覚めると、眩い白金の太陽が俺を照らしている。

松井はコンビニでソーダ味のアイスとサイダーを買ってきて、大事そうに冷蔵庫の中に入れた。冷蔵庫の中にはブラックコーヒーとビールがある。

新聞の見出しには「梅雨明け いよいよ夏本番か」






















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