第9話 王二狗の霊獣?!
「はあ……」
複雑な想いを込めた長い嘆息(たんそく)が静寂(せいじゃく)の渓谷に響いた。徐令の眼差(まなざ)しから警戒(けいかい)が薄れ、言い知れぬ情感(じょうかん)が加わる。再び剣を掲(かか)げた。
ガシャン!ガシャン!ガシャン!ガシャン!
今度は一切(いっさい)の手加減(てかげん)なく、煉気十二層頂点の霊力を剣身(けんしん)に叩(たた)き込み、一寸の裂痕(れっこん)の周囲を嵐(あらし)の如(ごと)く斬りつけた!一撃ごとに巨大(きょだい)な反動(はんどう)が襲い、腕(うで)は痺(しび)れ、虎口(ここう)は裂(さ)けて鮮血(せんけつ)が柄(つか)を染(そ)めた。一撃ごとに裂痕は広がり、銀灰色の液体が滲(にじ)み出て、細長(ほそなが)い触手の痙攣(けいれん)は激(はげ)しさを増す。
「イイヤア」という悲鳴(ひめい)は焦燥(しょうそう)を帯びた。
岩屑(がんせつ)が飛散(ひさん)し、裂痕は蜘蛛の巣状(くものすじょう)に広がる。徐令の額(ひたい)は汗(あせ)で覆(おお)われ、呼吸(こきゅう)は荒(あら)いが、眼差(まなざ)しは異様(いよう)に強固(きょうこ)だ。岩を斬っているのではなく、前世の息詰(いきづ)まる運命の枷(かせ)を断(た)ち切っているかのようだった!
バキッ!……ドゴォン!!
数十回目の斬撃(ざんげき)が炸裂(さくれつ)した瞬間、鈍(にぶ)い轟音(ごうおん)と共に、蠢(うごめ)く岩面は内圧(ないあつ)に耐(た)え切れず、爆散(ばくさん)した!岩下から、先(さき)の十倍(じゅうばい)も濃密(のうみつ)な銀灰色の光と気配(けはい)が爆発(ばくはつ)のように噴出(ふんしゅつ)した!
衝撃波(しょうげきは)が徐令を吹き飛(と)ばし、渓谷の対岸(たいがん)の岩肌(いわはだ)に叩(たた)きつけた。内臓(ないぞう)が攪拌(かくはん)され、喉(のど)に鉄臭(てつくさ)い味(あじ)が広がる。しかし彼は痛みを押(お)し殺(ころ)し、光の中心(ちゅうしん)を凝視(ぎょうし)した。
光が徐(おもむろ)に収束(しゅうそく)する。
徐令の眼前に現れたのは、恐(おそ)ろしい怪物(かいぶつ)ではなかった──それは一頭(いっとう)の……獅子(しし)?
家猫(いえねこ)ほどの大きさで、全身(ぜんしん)が流動(りゅうどう)する金属光沢(きんぞくこうたく)の銀灰色液体で構成(こうせい)されている。形態(けいたい)は曖昧(あいまい)だが、獅子の原型(げんけい)を何とか認(みと)められる──
丸(まる)めた四肢(しし)、微(かす)かに上向(うわむ)けた頭部(とうぶ)。しかし、それは生き霊獣(せいれいじゅう)というより、荒削(あらけず)りで未凝固(みぎょうこ)の銀灰色液状彫刻(えきじょうちょうこく)だった!原始性(げんしせい)と未完成(みかんせい)の感覚(かんかく)に満(み)ちている。
先ほど岩面で狂(くる)ったように蠢(うごめ)いていた細長い「触手」は、今や徐令にはっきりと見えた──
それは触手ではなく、この奇妙(きみょう)な幼獣(ようじゅう)の頭部から流(なが)れ出た、燃える炎(ほのお)のように漂(ただよ)う……
「たてがみ」だった!しかし今、それら液状(えきじょう)のたてがみは力無(ちからな)く垂(た)れ流れ、萎靡(いび)していた。
「これは……」
徐令の瞳孔(どうこう)が収縮(しゅうしゅく)する。見覚(みおぼ)えのある光景(こうけい)が脳裏(のうり)を駆(か)け巡(めぐ)る。
この姿は……
眼前の存在は遥(はる)かに小柄(こがら)で、形態(けいたい)も未熟(みじゅく)だが、その核心(かくしん)の「神韻(しんいん)」、液状金属(えきじょうきんぞく)のような質感(しつかん)──
前世で彼が死の間際(まぎわ)に、王二狗(おう・にぐ)が冷(つめ)たく見下(みお)ろす中、手を挙(あ)げて召喚(しょうかん)した、天(てん)を覆(おお)い尽(つ)くすほどの巨躯(きょく)、壊滅(かいめつ)の気配(けはい)を放(はな)ち、一撃で彼の丹田(たんでん)を粉砕(ふんさい)した恐怖(きょうふ)の銀灰色巨獅(ぎんはいいろきょし)……に酷似(こくじ)していた!
むしろこの衰弱(すいじゃく)した幼獣(ようじゅう)は、前世の王二狗の霊獣(れいじゅう)の……幼体(ようたい)のように思われた。
ドン!
この認識(にんしき)は天雷(てんらい)の如(ごと)く徐令の脳髄(のうずい)を劈(つんざ)き、全ての僥倖(ぎょうこう)と疑惑(ぎわく)を粉微塵(こなみじん)に砕(くだ)いた。
合点(がてん)がいった。
前世……あの月潭任務の隊列(たいれつ)に、王二狗がいたのだ。
だが当時の彼は、ありふれた風貌(ふうぼう)に田舎臭(いなかくさ)い雰囲気(ふんいき)を纏(まと)い、驕(おご)れる徐令の一瞥(いちべつ)にすら値(あたい)しなかった。
王二狗は師兄弟(しけいてい)が粋晶石に熱狂(ねっきょう)する中、岩面下の異変(いへん)にも気づいたのだろう。何らかの隠蔽術(いんぺいじゅつ)で岩面の変化を覆(おお)ったかは知れぬが、結局この幼獣は王二狗に持ち去られたに違いない。
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