推察無双 〜かもしれないで異世界を征く。チート級の察する力は冒険を加速させない〜

おべ

第1話 推察厨大地に立つ


 ……大きく深呼吸している訳でもないのに、どことなく香りが鼻に届いてくる。


 今まで嗅いだことのない匂いだ。どこかスパイシーで乾いたような香り。


 エキゾチックな異文化の風に包まれるという事はこういう事なのかと、昔テレビで聞いた事があるような言葉が頭をよぎる。


 新生児はまず匂いで世界を知るという。


 どうやら今の自分もそうなのだろう。少々困った事になりそうだな……。

 


 ───。


 眩しさに目を細めながら、ゆっくりとまぶたを持ち上げる。


  

 ……真っ白だった世界に、じわりじわりと色が戻っていく。

 

 視覚が未発達でないことが、ただただ良かったと思える。

 

 さすがに乳幼児からのやり直しは、成人して暫く経つ身にとって少々辛いものがある。正直“助かった”という感想しかない。



 ───。



 視界が落ち着いてくると、見知らぬ未舗装の十字路の真ん中に1人立っている事がわかってきた。

 


 遠くの方から雑踏の音が次第に耳に届いてくる。


 ……なるほど。嗅覚、視覚、聴覚の順か。人が生まれて感覚を持つ順と同じだな。生まれ変わりを体現させようとしているのだろうか。


 

 少し心を落ち着かせ、周囲を見渡す。


 目の前にある未舗装の道は広くなだらかだ。広さはだいたい2車線と路側帯を足したぐらいか。あいにく今は歩行者しか見当たらないが、道には馬車の通った轍が見える。


 交差点には車輪で掘ってしまわないよう敷石がある。インフラ整備の観点で見るとかなり進んでいると思われる。


 馬車が対向する交通量。馬車から人を守る路側帯の思想。継続して交差点のメンテをコスト面を考えて出来る文化水準であると言うことになる。

 


 世界人口や分布は不明だが、道幅から発展度を推し量るとそこそこ栄えている場所のようだ。下手をすれば地域一番の街かもしれない。

 

 ここが都市なのか、片田舎の領都なのかはもう少し観察が必要だろうな。

 


 ───。


 通りにはそこそこの人通りがある。だが誰も自分のことを見てはいない様に感じる。


 ……通り過ぎる人々の視線が自分に止まらず素通りしているような。 


 まさか…見えていないのか?


 残念ながら幽体でーすってオチなのだろうか。 それともゴースト系モンスター転生だったりするのか?



 少し俯き自分の手足を見てみる。怪我はなく足も健在だ。透き通ってもいない。目線の高さや自身のサイズ感は以前の自分と変わりなく。違うとすれば裸眼で周りを見るのは久しぶりなことぐらいだ。


 服装はよく知った質感ではなく、例えていうならよく通ってた雑貨屋で見かけたコーヒー豆の袋のようだ。

 

 頭から被る貫頭衣になるのか、丈が短いのでチュニックと言った方がいいのだろうか。


 ザラザラとサラサラの中間ぐらいで、思ったより肌触りは悪く無い。どちらかと言えば結構好きな風合いになる。


 下は七分丈の同じ素材のズボンで、腰のところはベルト代わりの紐で縛られている。


 自分はこの紐の結び方を知らない。


 解く前に一度ちゃんと結び方を確認しないと蝶々結びしか出来なくなるな。

 自分の蝶々結びは、なぜか結び目が縦になって不恰好なのだ。

 


 ありがたいことに靴は履いている。


 ソールがあるタイプというより、革で出来た靴下のようだ。

 未舗装路主体と考えると少々心許ないな。


 元の世界の服装のままではなく、現地の格好だから、奇異な視線を向けられないだけかもしれない。そうであってほしいものだ。



 ───。


 通行の邪魔になってはいないが、次第に周囲の通行人が自分に気付きつつある気配を感じる。


 ……長時間棒立ちの人間に目が行くのは当たり前か。若しくは徐々に実体化……まさかね。

 


 まずは澄まし顔で細い路地の方にでも避難し、周囲の様子を確認したほうがよさそうだな。



 ───。


 先ほどの通りを大通りとするならば、今いる一本入ったこの筋は枝道にあたるのだろう。

 

 大通りにはちゃんとした店舗らしき店があり、この枝道には露店がいくつも並んでいて活気がある。

 

 雑多な小物のようなものを扱う露店や、よくわからないウリ系に見える野菜?を売っている露店が目に入る。変に特異な食べ物は見当たらない……な。


 

 ───。


 まずは差し当たって生きて行くために必要な3つの確保が急務だろう。

 

 “水”、“食事”、そして“寝るところ”だ。

 

 特にこのやや近世ぐらいの感じだと衛生観念もそれなりであろうから、耐性がつくまでは上下からの噴水は覚悟した方が良いかもしれない。自分は少しお腹の弱いタイプなんだよな……。はぁ……。

 

 そんなことを考えながらも頭が徐々にクリアになってくる。整理がついてきたと言うべきか。


 

 最初は外国かどこかだと考えていたのだが、ここはおそらく異世界に近い場所なのだろう。確証は全くないんだけど、そう考えるほうが自然なんだ。



 とにかく、見える範囲にある文字は全く見たことがない。

 右から読むのか左から読むのか、そもそも文字と文字の区切りすら良く分からない。


 それに、近くを通る人の言葉が全然ヒアリングできない。

 言語を理解できないのではなく、音を聞き取れない。発声の構造自体が全然元の世界と違う感じだ。


 空気の組成が違って音の伝わりが違うのを完全に否定出来ないレベルだ。会話でのコミュニケーションは現時点では無理だ。無理そうではなく無理だ。


 


 こういうのはお約束で、ステータス表示からの異世界翻訳みたいな万能スキルが助けてくれるのが相場なのだが……。


 残念な事に、白い部屋や空間でドジっ娘女神や、こたつに入ったおじいちゃん神様との邂逅なんて1ミリもなかった。

 

 おそらく異世界なのだとしたら、そういう恩恵の得られなかった少々ハードモードなスタートということなのだろう。

 特にトラックとぶつかった記憶もないんだが……。いや、忘れているだけで何かにぶつかったのかもしれない。


 なぜここに来たのかが全然思い出せない。こういう時って、なにかしら使命とか目的とかがありそうな物なんだが……。

 


 まぁいい。


 目的とか使命なんて大した事じゃ無い。今ここにいる事実、現実こそが大事なのだ。


 “生き延びる” とりあえずの目標はこれで良いだろう。


 当面の武器は……“推察”だ。


 ───。


 ……調べて考えて推察して対処する。自分の得意な方法で生き延びてやる。

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