都合のいい男だってわかってる。それでも、君の隣にいたい

夜道に桜

第1話

最初に惹かれたのは、顔だった。

……と、思ってたけど、たぶん胸も。

正確に言えば、スーツのシャツの合わせ方。

ボタンがひとつ外れてて、絶妙に開いてて、

でも「見せよう」としてる感じはなくて。

そういうところがずるいなと思った。


鷹野凛。

営業部に異動してきたばかりの女。

名前だけは前から知ってたけど、話したことはなかった。

初めて見た日、思わず二度見した。

それくらい、雰囲気が違った。



黒いパンツスーツにヒール、

髪はゆるく巻かれていて、

顔立ちはどこか整いすぎてて、

それでいて、視線を合わせると

すっと目をそらすのがうまい。


きっと、男慣れしてる。

きっと、モテてきた。

なのに、なぜか話しかけたくなった。


俺みたいなのに対応する義務なんてないのに、

なんとなく、「声をかけたら、ちゃんと返してくれそう」な空気があった。


それは期待じゃなく、

ほとんど、祈りに近かったのかもしれない。



給湯室で、話しかけた。

彼女は紙コップを持ってて、俺は何も持ってなかった。


「お疲れさまです。鷹野さん、コーヒー派なんですか?」


自分でも情けないと思う。

なんだよ、コーヒー派って。

でも、彼女はちゃんと笑った。


「午後は絶対、飲まないと動けないタイプなんですよ。中谷さんは?」


名前を呼ばれた瞬間、心臓が跳ねた。

知られてると思ってなかった。


「ああ……俺も、です。午後眠くなるんで」


「ふふ。そう見えた」


それだけの会話だった。

それだけなのに、やけに胸がざわついて。

席に戻ってからもしばらく、口の中に甘さが残ってた。



週末。思い切って、誘った。

社内チャットで。


「来週、飲みに行きませんか? あんまり店詳しくないんですけど…」


3分で既読がついた。

けど、返事が来るまでに30分かかった。

その時間の長さが、やけにリアルだった。


「いいですよ。来週、水曜とか?」


OKだった。

それだけで、仕事にやる気が出た。

ちょっと浮かれてる自分に気づいた。

でも、止まらなかった。



水曜の夜、駅前の居酒屋。

清潔そうなチェーン店。安定の無難さ。

俺はずっと喋ってた。

緊張しすぎて、沈黙が怖くて。


彼女は笑ったり、頷いたり。

飲むペースは早くなかった。

俺よりゆっくりで、でも確実に酔ってる顔だった。


「中谷さんって、彼女いたことないでしょ?」


いきなりだった。

すっと刺されたみたいに、身体が硬直した。


「……なんでわかるんですか」


「顔」


「どんな顔ですか、それ……」


「不器用な人って、わかるよ」


彼女は、冗談みたいに笑ってたけど、

俺は、笑えなかった。


図星すぎて。

冗談でも、笑えなかった。



「でも、そういう人のほうが、騙されにくそう」


「……いや、それはないです」


「自覚あるんだ」


「ありますよ。たぶん、俺、けっこう単純なんで」


「ふーん、じゃあ、私が『中谷さん、かっこいい』って言ったら?」


「……信じますね。多分」


「バカだね」

そう言ったあと、彼女は声を出して笑った。


それが妙に綺麗で、ずるかった。



別れ際、駅の改札前。

彼女は、スマホを見てた。

なにか通知が来ていた。


彼女はその通知を一瞬だけ見ると、自分の方を見ずに、


「……あんまり期待しないでね?」


不意に言われて、言葉に詰まった。


「なにをですか?」


「全部」


それだけ言って、彼女は改札を抜けた。

振り返りもせず、歩いていった。



期待なんて、してないつもりだった。

ただ、近づきたかっただけだ。

それだけだったのに――


帰り道、胸の奥が変にざわついて、

俺はずっとそのあとボーっとしていた。

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