第15話 登校
あれから、数日が立った。
その間も、僕は何度も虚凛さんと会話をした。だけど、一向に虚凛さん自身の意志を感じたことが無い。ずっと、ずっと虚凛さんは僕の思考を模倣しており、それが治る気配は一度も無く、逆に精度がどんどん高まっていくという結果になってしまっていた。
それは、とても苦しく、痛く、悲しいことであったが、まだ諦めるわけにはいかない。紡も僕の行動に協力してくれているし、鷹田先生もかなり虚凛さんのことを気にかけているからだ。言い出した僕が一番最初にやめるなんて、あってはならない。
「あ、おはよう。斎理くん」
今日もコンビニの前で虚凛さんと会う。これは、この数日間ずっと繰り返されていることで、これからもずっと続いていくのだろう。一度だけ、いつもより早く家を出たことがあったのだが、その時でさえコンビニの前で虚凛さんと出会った。しヵも、それは虚凛さんがコンビニの前で待っていたからではなく、丁度同じ時間にコンビニの前を通ったからなのだ。
それだけで、虚凛さんの模倣の精度がどれほどのものなのか証明することが出来るだろう。
「うん、おはよう。虚凛さん」
ただ、もうこの状況にはすっかり慣れてしまった。朝、虚凛さんと出会うことも、もはや特別な出来事ではなく、いつもの風景の一部になっている。もし彼女と顔を合わせない朝が訪れたなら、きっと違和感を覚えるだろう。そんなことはまだ一度も起きていないが、それでもそう確信できるほど、虚凛さんとコンビニ前で会うことは、僕の日常に深く根を下ろしてしまっていた。
そうして、二人は並んで学校へ向かう。だが、この何気ない行動の中にも、昨日、ある恐るべき事実を見つけてしまった。
それは、歩幅だった。斎理は虚凛さんよりかは八センチくらい背が高い。斎理の方が高校二年生の伸長の平均から離れてしまっているため、その差は普通の男女に比べると小さい方だが、それでも歩幅には影響がある。
しかし、虚凛さんの歩幅は僕と数センチのずれも無く、それに加えて足を動かす速さまで同じなのだ。二人が歩いている姿を第三者が見れば、互いの足の動きが完全に一致していることが確認でき、軍隊の行進のような印象を持ってしまうだろう。それほどまでに、虚凛さんの模倣は完璧なのだ。
「そういえば、虚凛さんは昨日何をしてたの?」
とは言え、一緒に学校へ向かっているのだ。雑談でもしないと不審に思われてしまうだろう。たとえ、返ってくる言葉が分かりきっていたとしても。
「昨日?昨日はね……八時までは宿題と復習をして、その後は晩御飯と風呂、風呂から上がった後は読書をしていたよ」
ほら、昨日の僕と全く同じだ。何なら、僕の家庭は晩御飯は母親が用意しているにもかかわらず、晩御飯のじかんまで一致している。僕の母親と会ったことが無いはずなのに、何故そこまで一致させることが出来るのか。
まぁ、いくら考えたところで答えは分からないのだろう。僕の頭脳では予想もつかないことだし、虚凛さん自身も無意識で模倣をしているのだから、聞いたところでまともな答えは返ってこない。お手上げだ。
「ちなみに、どんな本を読んだの?」
「斎理くんが学校で読んでいた本だよ」
「何ページまで読んだの?」
「確か、四百四ページだよ」
これも同じ。
「へぇー、偶然僕が読んでいたページもそこくらいだ。何か感想はある?」
「それはね……」
同じ――同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ同じ
学校に行くまで、いろんな会話をした。しかし、その質問に対する答えは、僕の答えと一致しており、一向に虚凛さん自身の意志が表に現れることは無い。本当に、この会話には意味があるのだろうか、頭の片隅で疑問を持ってしまう。
確かに、好きな人と会話をすることは楽しいし、虚凛さんは無色だから、この目に悩まされることは無い。だけど、ここまで答えが一致しているのなら、それは新手のホラーみたいだ。限度という物は存在する。
まぁ、それでも離れることが出来ないのは、惚れた弱みと言った物だろう。本当に、恋って厄介なものだ。
「あ、斎理に白峰さんじゃねぇか。おはよう!」
その声に振り返ると、紡が少し寝癖のついた髪を手で押さえながら、駆け寄ってきた。紡はいつもの温かい色を纏っており、少し疲労してしまった僕の心を癒してくれる。ただ、紡のせいでまた疲れてしまうかもしれないけど。
「おはよう。今日も早く学校に来たんだ。いつもは遅刻してくるのに」
「遅刻ったって、授業には間に合ってるんだからいいだろ。まぁ、昨日から早めに学校に来ることが出来たのは、早めに起きる練習を始めたからなんだ。年中遅刻している奴が、二日連続で遅刻しなかったんだ、褒めてくれてもいいぞ」
「そうだね。すごいすごい」
棒読みで褒める。遅刻しないのは学生にとって普通のことであり、その程度のことで褒められることは無い。だから、そんなに自慢したところで、何も起きず無駄なだけだ。それに、僕たち二人に自慢したところで、褒めてくれrうことなんて無いと自分でもわかっているだろうに。
「なぁ、白峰さんはコイツと違って褒めてくれるよな」
「普通の高校生は遅刻なんてしないから、叱ることはあっても褒めることはないかな。それに、わたしたちは委員長と副委員長だから、本来は普段の遅刻を叱らないといけないんだよ。これでも十分甘い方だから、これ以上は望まないで」
ほら、僕が思っていることを全部言ってくれる。いいことだとは思わないけど。
「はぁ、白峰さんも斎理みたいなことを言う。まったく、俺の味方はいつになったら現れるんだろうか」
「一生現れないよ」
「ははは」
一見すれば、友達どうしの普通の会話。だけど、この裏側には虚凛さんの模倣という看過できない問題が潜んでいて、心の底から会話を楽しめているというわけではない。いや、誰も心の底からこの会話を楽しんでいない。
でも、全員が演じている。この偽りだらけの会話が、まるで舞台の上で繰り広げられる脚本のように、誰かが書いた台詞をなぞるように進んでいく。そのことに気がついても誰も止めようとしないし、むしろ推進している。このままで、いいのかな。虚凛さんは、今日も僕の言葉をなぞる。僕の思考を、僕よりも早く口にする。
僕も、何とか虚凛さんより前に話そうとして思考を回していくが、それでも虚凛さんの方が早いことの方が多い。だけど、それが正しいことだと思うようになってきている。正直、もう自分自身がオリジナルだとは思えないようになってきてしまい、気が苦しそうになっている。
僕が、まだ僕自身でいられるのは、紡のような僕のことを支えてくれている親友がいるからであり、紡がいなかった場合のことなんて、想像もしたくない。
そうして、三人は学校に向かって歩き続ける。全員が、それぞれ異なることに苦しみながら。
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