第10話 夜と次の日
夜、暗い自室を机の上にある蛍光灯だけが照らしている。それは、部屋全体を照らすには強さが足りず、せいぜい机の上を明るくするのは限界だった。
そして、斎理はその机の上に一つのノートを置いて、何かを書きながら悩んでいた。その様子は勉強しているように見えるが、そうではない。そのノートには、斎理が二年生になってから起きたことが書かれていて、その内容には虚凛さんに関するものが多かった。
「はぁ、こうしてみると、虚凛さんは今まで観察してたってことが理解できるよ」
虚凛さんは新しい学年が始まってからは、決してクラスの中心になっていなかった。いつもクラスの中心にいるメンバーから少し離れた位置にいて、中心にいるメンバーと、そこになじめていないメンバーの両方に関わることが出来る立場だったのだ。それならば、たくさんの人を観察できるため、観察対象に不足しないのだろう――そして、僕が選ばれた。
ある意味、これは喜ぶべきなのかもしれない。だって、四十人いるクラスから僕が選ばれるということは、ものすごく低い確率なんだからさ。まぁ、喜べないんだけど……。
「でも、離れることが出来ないんだよね……。本当にいかれてしまっているよ、僕は」
そう、それなのだ。さんざん言っているけど、僕はあの無色からは離れられない。あれは、救いで、幸せで――ずっと求めていたものだから。
「それにしても、虚凛さんはどうして無色なんだろう?」
斎理は、虚凛さんから離れられない原因――無色について考えていく。今日の出来事や水城澪との出会いにより、虚凛さんが他人のことを模倣していることは理解できたのだが、無色についてはなにも理解していなかったからだ。
斎理はノートに今までの虚凛さんの行動を書いていく。
最初に見た機械的な目
二度目に見た確かに感情が存在した目
他者の悪感情に浸食されず、ずっとその透明さを保っていた無色
――そして、模倣のとどめとなったレンズのような目
それらのことから、斎理はある仮説を立ててしまう。しかし、それは決して認めたくないもので、その仮説が証明できてしまったら、それは本当に水城澪が言った通り――化け物だ。
彼女はそれを理解しているから、あれほど虚凛さんのことを人間のように扱っていなかったのか?確かにあれほどの憎悪を抱いていれば、虚凛さんの本質に気付くことも出来るのだろう。あぁ、こんなことになるのならば、連絡先くらいは聞いておけば良かった。そうすれば、このように悩むことは無かったのに。
その仮説の内容は――
「虚凛さんは感情が存在しない……?今まで僕が感情だと思っていたものは、誰かを模倣することによって生み出したもので、それは決して虚凛さんが生み出したものでは無い?」
もし、それが正しいのだとすると、虚凛さんは機械のような存在だということになってしまう、他人の思考回路を自身に投影し、それに従うことでしか考えることが出来ない……決して認めたくないけれど、この仮説が正しかったら今までの虚凛さんの行動に説明がつく。
でも、虚凛さんは何故そんな生き方をしているのだろうか。自分自身の意志と感情を無くし、他人の物を模倣する。そうしなくてはならなかった虚凛さんの過去とは一体?
「……親?」
確か虚凛さんは親との関係があまりよくないと言っていたはず。このことが事実だとしたら、虚凛さんが他人の模倣をして生きている理由は、親が原因なのかもしれない。
「でも、憶測だけで語るのは違うよね。原因については考えないでおこう」
ある程度予測できていたとしても、証拠があるわけではないのだから、一方的に誰かが原因だと決めつけるわけにはいかないため、斎理は虚凛さんが他人のことを模倣するようになった原因について考えることをやめた。
そうして、斎理は蛍光灯を消して、布団の中身潜りこむ。原因が何であれ、虚凛さんとの関係は変わらないし、これからも関わっていくつもりだったから。しかし、斎理の頭の片隅にはあることが思い浮かんでいた。
――もし、あの無色が虚凛さんの感情がないことが原因だとしたら……それは、僕にとっての救いなのかな?
*
次の日、斎理はいつもと同じように起きて、いつもと同じように家から出た。昨日は色んなことが起きたが、それが夢のことのように感じられる。
しかし、実際に昨日に起きたことであり、これからはそれらに向き合って生きていかなくてはならない。もし、こんな目さえ存在しなければ、虚凛さんを避けることが出来たのに。
そんな事を思いながら学校へ歩いて行く。その道では、同じ学校へ向かう高校生や、友達と走っている小学生、会社に行こうとしているサラリーマンなどを見かけることが出来る。その人たちの色は様々であり、明るい色もあればドス黒い色もある。それは、歳を取れば取るほど暗い色をしており、将来的に僕もそのようになってしまう気がして朝から気が重くなる。
そうしていると、視界の片隅に見慣れた無色――白峰虚凛がいた。
「あっ、斎理くん、おはよう」
虚凛さんがいつもと同じように挨拶してくる。おそらくこれも、誰かのものを……ひょっとすると、僕の思考を使っているのだろう。そう思うと背筋がぞっとする。でも、その虚凛さんとこれからも関わっていくと決めたのは僕自身だ。その判断に後悔は無い。
「……おはよう、虚凛さん。この時間に学校に行くなんて珍しいね。普段は僕が学校についた時には教室にいるのに」
「そう?確かに家から出るのはいつもより遅かったかも」
だよね。本人は自覚していないのだろうけど、それは僕の思考を投影しているから学校に行く時間さえ一緒だったんだ。おそらく、僕の家の場所を知らないから互いの通学路が一致するところ――このコンビニの前を歩く時間を合わせたのだろう。ああ、確かにこれは追い込まれるよ、どんどん僕に似てくる感覚には。
そして、これであることに気付いた。おそらく、虚凛さんは他人の模倣を意識してやっているわけではない。虚凛さんには何か目的があり、その過程で他人の模倣をしているのだ。だから、多少は真似していると自覚していても、この判断の大部分は自分の意志だと錯覚しているのだ。もし、そうだとすると、それはどんなに悲しいことなのだろうか。
「そういえば、斎理くんは昨日の疲れとか残ってない?わたしはちょっと身体がだるいよ」
「確かにね、僕も少し疲れてる。授業中に寝ないように注意しないと」
さすがに、身体機能までは模倣されていないよね。虚凛さんは優秀だから、それを否定できないのが少し怖いけど。
「あっ、今になって申し訳ないけど、三枝くんと一緒に行ったりしないの?」
「……あいつはいつも遅刻しそうな時間に来るから」
二人はそんな他愛もない話をしながら、学校に向かっていた。その光景は、はたから見ると仲の良い男女が歩いているようにしか見えないが、内心では恐怖などの感情が渦巻いている。それでも、斎理にとっては模倣されている事実より、他人の色を見ることの方がよっぽど怖いため、虚凛さんのそばにいることを選んだのだ。
そうして、二人が校門の近くまでたどり着いた時、斎理は覚悟を決めてある質問をした。その質問をこのタイミングでしたのには理由がある。この質問に答えれくれるのならば、教室に着くまでの時間に聞くことが出来るし、この質問に答えてもらえないならば、靴箱などで話を断ち切ることがしやすいからだ。
「ねぇ、虚凛さんの小学校時代ってどんな感じだったの?」
これは、虚凛さんが他人を模倣している理由を探るのに必要な質問だ。水城澪の話から判断すると、虚凛さんは中学生の時には他人の模倣を始めていて、自分というものが存在しなかったらしいから、小学生の時に何かが起きた可能性は高い。まぁ、幼稚園の時などの可能性もあるが、そんな昔のことを覚えているかは怪しいため、その時はもうどうしようもない。
そして、虚凛さんは斎理の質問を受けて、何かを考えるように黙り込んだ。しかし、そんなことはどうでもいい。斎理の目にあり得ないものが写ったのだ。
それは――無色の揺れ。
ソレは決して見えない物のはずなのに、何故か斎理には動揺して無色が揺れているように見えたのだ。それは、本当にありえない。
そうして斎理が戸惑っていると、虚凛さんは考えをまとめることが出来たようで、質問に答えてくれた。
「小学生の時は……普通ではなかったかな」
「普通では……ない?」
「うん、そう言われた」
そう言われた……?もしかして、虚凛さんが他人の模倣を始めた原因は、他人に――親に普通ではないと言われたから?
ある程度説明がつくけど、小学生の時の虚凛さんは一体どんな人だったんだろう。言われたってことは、普通ではないと自覚していなかったんだろうけど。
斎理はその言葉を聞いて、黙り込むことしかできなかった。虚凛さんの言い方はとても軽い調子ではあったが、その内容からはかなり辛い過去があるということが伝わってくる。
虚凛さんに模倣しているだけで彼女自身の意思がない事を指摘してしまったら、いったいどうなってしまうのだろうか。過去の――小学生時代に戻るのか、それとも僕たちのように自分自身の意思で動くようになるのか、最悪の場合は……。
「ん?どうしたの?」
「……ううん、何でもない」
はぁ、すぐ悲観的になるのは悪い癖だ。この癖は治さないと。
斎理は虚凛さんのことをちらっと見る。彼女は一見すると普通に歩いているように見える。しかし、その歩き方や歩幅は僕と同じであり、このようなことでさえ模倣されている。
「もし、今も普通じゃないって言われるとどう思う?」
斎理は、覚悟を見めて質問をした。でも、僕の思考を投影しているのならば、この質問に傷つくことはあり得ない。きっと、そう思われたのなら仕方がないと思うはずだ。
「そうだね……そう思われたなら仕方がないと思うかな」
そして、それは虚凛さんの答えではないということだ。これで、この質問のおかげで、あることが分かった。それは、斎理にとって認めたくないものではあったけど、もう逃げることが出来ない。それは……今まで一回も、白峰虚凛と話したことが無いという事実だ。今までの虚凛さんとの会話は、虚凛さんが模倣した誰かとの会話であり、それは決して虚凛さん自身と会話をしたとは到底言えない。
それは、本当に悲しいことだ。昨日の校外学習で虚凛さんと近づくことが出来たと思っていたのに、実際には一ミリたりとも近づくことは出来ていなかったのだ。あぁ、この事実は予想よりも苦しいな。でも、表情に出すわけにはいかない。
そうして、斎理は傷ついた心を必死に隠しながら歩き、そのことを気付かれずに教室まで辿り着いた。
「それじゃあ、またね」
「うん、またね。まぁ、同じ教室なんだけどね」
「ふふっ、そうだね」
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