お隣さん
スイセイムシ
第1話 お隣さん
どんぐり ころころ どんぶりこ
おいけにはまって さあたいへん
どじょうがでてきて こんにちは
ぼっちゃん いっしょに
あそびましょう
どんぐり ころころ よろこんで
しばらくいっしょに あそんだが
やっぱりおやまが こいしいと
ないては どじょうを
こまらせた
どんぐり ころころ どんぶりこ
おいけにはまって さあたいへん
どじょうがでてきて こんにちは
ぼっちゃん いっしょに
あそびましょう
どんぐり ころころ よろこんで
しばらくいっしょに あそんだが
やっぱりおやまが こいしいと
ないては どじょうを
こまらせた
||||||||
「どんぐりころころ……」
「ハルちゃん、そのお歌好きね」
「うん。隣にいるおばさんが教えてくれた」
「へえ……」
随分古い歌を歌っているなと思って娘のハルに尋ねるとあまり嬉しくない返事が返ってきた。
おばさん。
ことあるごとに家族や自分にお節介を焼く、一回り上のありがた迷惑な隣人だ。
他人をコントロールしようとしようとしているように見えってどうにも私にはいい人間には思えない。
「あんまり人前じゃ歌っちゃダメよ。時代遅れの歌なんだから」
「……うん」
それに前にSNSで「どんぐりころころ」は遊郭で禿という幼女が変態に弄ばれて身を滅ぼす話だと聞いたことがある。
おばさんに悪意があったのかはわからないが、あまりよくない風評のついている歌を歌わせるわけにはいかない。
「ただいま」
釘を刺して家事に戻ろうと思うと夫のテッペーが帰宅してきた。
「あっ、またコケシの角度変わってるよ。気味悪いな」
「ホント?」
テッペーに指摘されて棚の上に飾ってあるコケシを見るとやや斜め左──ハルの方を向いていた。
いつも正面を向けるようにしているので角度がおかしい。
「ホントだ。おばさんがリモコンで動かして反応でも楽しんでいるのかしら」
「そう言うなよ。色々世話になってんだから。もらいもんなんだから捨てようってのはなしだからな」
貰い物は捨てない。
テッペーのポリシーだ。
そのおかげで怪奇現象が生じ始めた薄気味の悪いコケシも今だに放置されてる。
「コケシがズレてるのもきっとハルが棚に取り掛かった時の振動だろうし」
「そんなことわかってるわよ」
「なんにせよ。お隣さんなんだから諍いの種になるようなことは避けてくれよ」
「はいはい」
コケシが諍いの種になるのは言い過ぎでしょと思ったが、飲み込んで返事をすると満足したのかテッペーは作り置きのご飯をチンして頬張り始めた。
実に満足そうな顔だ。
飲み込んだ甲斐があるというものだ。
|||||||
「どんぐり……」
昨日辞めるように言ったのにまた「どんぐりころころ」を歌っている。
あまりうるさく言うと返って直らなくなると聞いたことがあるので、どうしたのものかと思っていると異音がし始めた。
水が跳ねる音と木が軋む音。
聞こえる方角を見ると坂の上にベタベタとテカった細長い長身の男が見えた。
──いっしょに遊びましょう
距離が遠く不明瞭だがそう言ったように聞こえるとこちらに向けてかけ始めて来た。
「ハルっ!!」
奇妙な男に対する忌避感から反射で娘のハルを抱えて家に向けて走る。
一目見て人と呼べるかもわからない異物──まともなものではないとわかった。
──いっしょに遊びましょう
全力で走っているというのに声は離れるどころか、どんどん近く、大きくなっていく。
脳裏でハルに覆い被さる細長い男の姿が浮かんで足を早めたいが体が答えてくれない。
「ハア! ハア!」
「ママ!!」
──いっしょに遊びましょう、ハルちゃん
心臓が張り裂けそうな状態でハルの叫び声を聞くと耳元で粘着質なしわがれ声が聞こえた。
もう確実に追いつかれると思うと聞き慣れた声が聞こえた。
「あら、山田さん。 どうしたの?」
隣の家のおばさんだ。
人がいるなら流石に男も凶行に及ぶのを控えるのではないかと振り返ると男の姿は消えてすぐ近くの地面が濡れているのが見えた。
「え……いない……」
確かに息遣いが聞こえるほどの至近距離に居たはずなのにいつのまにか消えている。
ありえない。
僅か数秒の間に横道のなく、姿を隠す遮蔽物もないこの道路から姿を消すなど。
どこにも逃げ場がないから走り続けていたと言うのに。
異様だと思っていたが幽霊か何かだと言うのだろうか。
人にはどうにもできない存在だと思うとひどく恐ろしい気持ちが込み上げてくる。
お隣さんの前だと言うのに震えが止まらない。
「あら山田さん、顔色悪いじゃない!? 大丈夫? ほら、こっちにハルちゃん寄越して!!」
怖気に飲まれそうになっているとおばさんがハルを引き離そうとしてきたので背を向けて遮る。
どうにも乱暴な手つきなような気がした。
「……」
拒絶するとおばさんはいつもおしゃべりだったのが嘘のように黙ってこちらを見つめ始めた。
ひどく恐ろしいものを今見せられているような気がして、ハルを懐でぎゅっと抱きしめる。
5分だろうか、ひどく長く感じられる時間おばさんは見つめると能面のような顔のまま口を開いた。
「……ハルちゃんをなんで渡してくれないの? 私を信用していないの?」
動かしている口は異常にヌメっていて動かす度に赤く糸を引いている。
口紅か何かだろうと言うのはわかるのだが、ネガティブになっているせいか、どうにも口から血を滴らせているように見えた。
「ヒ……!」
掠れた悲鳴が思わず口から漏れた。
あまりの異様におばさんから後ずさると拒絶と取ったのか、じっと見つめてから踵を返して去っていく。
口元から滴ったのか、ヌメっとした赤黒い液体がベタベタとおばさんの通った後に残っていく。
もはやとても同じ人間とは思えなかった。
||||||
「どんぐりころころ……」
「……どうしたらいいのよ。あんなの」
またどんぐりころころを歌っているが先ほどのことがショックで注意する気にもなれない。
先ほどはあちらから去っていたが次はそんな保証はない。
むしろ次は必ず凶行に及ぶという確信がある。
あの異様にはそれほどの迫力があった。
もし万が一に無害だったとしてもあの人には会いたくない。
だけれども近所のおばさんがお化けだったなどという荒唐無稽な話を聞かされて信じる人などいない。
なんでも理屈で語りたがる夫のテッペーなど言わずもがなだ。
「ただいま。なんだよ何もしてないじゃないか……」
そんなことを考えているとちょうどテッペーが帰ってきて悲鳴をあげた。
ひどく失望した声で耳障りだった。
テッペーの声に応えるのも億劫だが返答しないと後がうるさいので返事をする。
「……ごめん。ちょっと考え事してたから」
「考えごと? 本来やるべき家事放り出してまでやることじゃないじゃん? おかしいよね?」
テッペーはこちらの調子など関係なく怒涛の如く質問攻めしてくる。
完全に怒っているようで私を精神的に蹂躙することを心に決めているようだ。
家事のことは別に私がやると言ったわけでも、義務があるわけでもないのにどうしてここまで怒れるのだろうか。
「ハルにとって大事なことだったからしょうがないじゃない」
「ハルにとって大事なことってなんだよ?」
「……」
言葉に詰まるとひどく見下すような目でテッペーは見下ろして来た。
なぜ普段何もせずに文句を言うだけの人間にこんな態度を取られ無ければいけないのか。
家庭で頑張ってる姿などどこにも見えやしないのに。
「ナイーブな問題だから……」
「フ……ナイーブってなんだよ?」
本当のことを言えないので濁すと鼻で笑って子馬鹿にするようにテッペー聞き返してきた。
家族が困っているのに、どうしてそうも平気で追い込むような態度が取れるのだろうかこの人は。
もう限界だった。
どうしてこうも酷い目に遭わされるというのに家族でさえも味方がいないのか。
涙が込み上げてきて視界が歪んだ。
「隣のおばさんがハルを誘拐しようとする化け物だったのよ!」
「なんだよ? 近所のおばさんが誘拐で化け物?
揉めてるからってめちゃくちゃ言うなよ……。おばさんが嫌いでこんなしょうもないことをしてるのか。仲良くやれよ。お前の仕事だろそれは」
感情が堰を切って事実を思わず口にするとテッペーは失笑してかけらも信じない様子で、そうこちらを詰ってくる。
娘と自分に危害を加えようとする化け物とどう仲良くするというのか。
「だから誘拐しようとしてる人とどう仲良くなるのよ!」
「何言ってるんだよ。自分にだけ都合のいいこと言って。しっかりしろよ!!」
テッペーの怒鳴り声が聞こえたと思うと頬に痛みが走った。
「エ……」
一瞬何が起きたか、わからなかった。
頬の痛みと自分が尻餅をついてることを認識して初めて自分がテッペーに頬をビンタされたことがわかった。
初めてテッペーに暴力を振られた。
絶対にこんな最低なことはしないと思っていただけに困惑が大きい。
とんでもないことをしでかしたと思っているこちらに反して自分がやったことに対して何も思っていないのか、テッペーは変わらず冷たい瞳でこちらを見下ろしている。
「お隣さんがどうだろうが俺はマイホーム捨ててまで引っ越すつもりないから。次やったらわかるよね……。早く飯作って」
最後にまた暴力を振るうつもりであることを仄めかすとお風呂にでも向かったのか居間から姿を消した。
今回の態度でテッペーが自分のことしか考えてないことははっきりわかった。
家族が一丸となっておばさんの魔の手から逃れることはできそうにない。
私一人でどうにかするしかないだろう。
「どんぐりころころ。どんぐりころころ」
暗澹たる気分になりながら、立ち上がるとハルがまだ歌を歌っていた。
「あっ……」
注意をしようと思うとハルの背後の棚の上にあるコケシが赤い液体を滴らせてハルの方を見つめている姿が見えた。
「何よこれ」
まるで昼間のおばさんの異様を連想させるようで非常に気持ちが悪い。
今動いていないところを見ると知らないうちにおばさんが家に侵入してコケシをいじっていたのだろうか?
なんのために?
ハルを見ているぞというアピールなのだろうか。
「何なのよ」
気味が悪くてたまらないがこれ以上テッペーを刺激するのも憚られる。
本当は怒鳴って全て拒否してやりたいところだが、ハルには親同士が揉めている姿を見せたくない。
子供時代に両親が揉めているところを見せられて、ひどく心が傷ついた。
あんな経験をハルにはさせたくない。
|||||
「おいけにはまってさあたいへん」
おばさんとの接触を避けるためのルートとおばさんを見かけないタイミングで買い物にいくことに決めた。
本当ならば引っ越したいところだが、家族で行動するとなるとテッペーの反対があるのでそうはいかない。
もし押し通すとなれば離婚となり、テッペーの言質から非現実的なことを言う私には子供を育てられるほどの責任能力がないとみなされ、ハルを取り上げられる可能性低くない。
そうなればハルが狙われるというのにハルだけを残して、ここから立ち去るより他なくなる。
そうなってしまえば本末転倒だ。
「そのお歌は歌っちゃダメよ」
また「どんぐりころころ」を歌い始めたハルを注意してから洗濯をしようと洗濯機のある洗面所に行こうとすると視線を感じた。
「またハルを見てる」
見るとコケシがまたハルの方を見つめていた。
昨夜と同じように血濡れのような状態になって。
やはりおばさんが入ってきているのだろうか?
周りを確認するがおばさんがいた痕跡はない。
何か動いたものもなければ、他に血のような赤い液体が付着している場所もない。
おばさんではない。
じゃあ何が?
そう思うとコケシと目が合った。
「目が動いた……」
動かないはずの目が確かに上目遣いになってこちらを見つめていた。
見るとドロドロと目や口から赤い液体が溢れ出出し始めた。
「ヒッ……」
コケシに付着していた赤い液体の正体がわかった。
血の涙と血反吐だったのだ。
流血するコケシ。
不気味が過ぎる。
「いや」
拒絶反応で咄嗟に手を払って跳ね飛ばす。
コケシが棚から落ちると仰向けになって床に落ちてべちゃりと嫌な音がなる。
床が汚れて悲鳴をあげそうになるとコケシの口元が動いて何か呟いているのが見えた。
「た・す・け・て……?」
私は唇の動きから言葉を推測することはできないが確かにそう言っているように私には見えた。
苦しんでいると言うのだろうかこの奇怪な存在は。
まじまじと見つめるとコケシは血濡れでなく真っさらな元のコケシに戻っていた。
幻覚でも見たのだろうか。
だがなまじ奇妙な体験をしただけに事実のような気がしてならない。
全て幻ならば本当にいいのだが、娘のハルも確かに認知していたことを考えるとそんなはずはない。
コケシは気味が悪いが先ほどの苦悶の声を思うと捨てるのも忍びない。
「ハル?」
コケシの処遇を一考しているとハルの姿が見えなくなていることに気づいた。
どこかに移動しているかと思ったが周りを見回しても見当たらない。
どこに?
ハルはいつも私にべったりとくっついて一人でどこかに行くようなタイプではない。
「どこに? もしかしておばさん……」
連れてかれた?
今一瞬目を離した隙に?
物音も立てずに?
そう頭の中で疑問符が駆け巡ると窓から道路に紅い血痕が続いているのが見えた。
「やっぱりおばさん……!!!」
恐れていたことが起こったことがわかった。
「ハル……!!!」
||||
家を飛び出して道路に出る。
血痕を辿って走って行く。
首を締め付けられるような焦燥に突き動かされて走る。
やはりと言うか、隣の家──おばさんの家に血痕は続いており、そのまま勢いのままに玄関の戸に手を伸ばす。
鍵はかかっておらず、戸はガラガラと音を立てながら開いた。
暗くて中はよく見えないがそのまま入って行く。
「ハル!?」
闇に向けて呼びかけると周りがほの明るくなり始めた。
「あっ……」
背後からガンと金属音が響いたと思うと扉が閉まっていた。
特に外観上、異常はないのだが。
これでは外には出られない。
見つけても外に出れないと困るが今は一刻も早く自分の元にハルを連れ戻したい。
あの子は私の何よりもの宝物で化け物が好きにしていいようなものではないのだ。
薄暗がりを進んでいく。
先には和室が永遠と並んでいる。
──どんぐりころころどんぐりこ
どの和室でも大きな人影と小さな人影が蠢き、揺れている。
何かが折れるような鈍い音とけたたましい感高い悲鳴混じりに歌が所々で聞こえ初め、障子に手を伸ばすが中には赤い血溜まりとバラバラになった木屑しか無い。
──おいけにはまって さあたいへん
「やかましいっ!!」
もはや驚きはしない。
ただ娘を殺すと明確な思表示をしているようで不快感が募る。
沸々と怒りも湧き上がってきた。
何様のつもりのなのか。
障子を力任せに閉めると奥に進んでいく。
片っ端から開けても手間がかかって時間がかかる。
ある程度目星をつけばと思うと悲鳴に混じって泣き声が聞こえてきた。
「ママ……ヒグ……お家帰る……」
「ハル……!?」
しゃくりあげるタイミングと声がハルそのものだった。
声が聞こえる方へと足を進めるとちょうどハルくらいの影が泣いている姿と震える大きな影の姿が見えた。
── どじょうがでてきて こんにちは
「やめろ!! 化け物!!!」
とりあえずとけなきゃという気持ちに急かされ、障子に飛び込んでいく。
バキリと音ともに障子の桟が割れて、障子が大きな影にぶつかる。
意図してやったことではなかったので若干ギョッとしたが近くにハルを抱えて元来た道を走る。
── ぼっちゃん いっしょにあそびましょう
怨嗟の声を上げながらバキゴキと周りのもの破壊する騒音を掻き鳴らしてこちらを追いかけてくる。
── 逃げるな逃げるな逃げるな逃げるな逃げるな逃げるな
必死に脚を動かして後ろから迫ってくる。
──きゃああああああああ!!
全ての部屋から一斉に少女の悲鳴が響き渡り、平衡感覚に響く。
視界がブレるがここで転けたら全てが終わってしまう。
足に力を入れてふらつかないように気をつける。
玄関の扉は開かないので袋小路になっとしまうが今更方向転換できないので走るしかない。
「ままぁ……」
「大丈夫よ、ハル」
内心不安がもたげていたがハルの怯える声を聞くとしっかりしなければ思いが込み上げてくる。
開けないものも開けなければいけない。
無理だとしても最後まで足掻かなければ。
──戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ
扉の前までたどり着いた。
開こうとするがやはりびくともしない。
「開け!」
超常の力で塞がれてるものが開くことがないことはわかっているが扉を叩いて衝撃でなんとかならないか試す。
「動いて!」
だがやはり扉は微動だにしない。
──カムロカムロカムロカムロカムロ
叫び声がどんどんと近づいてくる。
悪あがきだとわかっていたが扉に必死に腕を叩きつける。
背後に気配を感じるようになると何故か一人でに扉が開いた。
「あ」
一も二もなく扉から外に飛び出して行く。
「何やってんだよ。早く帰って来れて運が良かったよ。不満を爆発させてお隣さんに凸るなんて……」
何かにぶつかりそうになると思うとテッペーだった。
助かったのはいいが最悪だ。
「テッペー逃げて! そいつは化け物よ!」
「はぁ、何言ってるんだか……。俺一人でやるから帰っていいよ。この度は申し訳ありませんでした!」
「テッペー!!!」
テッペーは目の前に何がいるのかも確認もせずに頭を下げて平謝りをし始めた。
こちらの言葉を全く聞いておらず、化け物がすぐ近くにいることに気づいていない。
「ご迷惑をかけ……ぎゃああああああ!!」
黒い影のような化け物に頭を持たれると頭が潰れて怪死した。
化け物は血の跡を残すと死体を引きずって家の中に戻って行く。
テッペーはもうどうにもすることができないがハルはだけは守り抜かなければいけない。
戻ってくる前に家に隠れなければ。
疲労で悲鳴を上げる肺に空気を入れ走る。
隣家なのですぐに行けるはずなのだが酷く遠く感じる。
|||
「ハア……ハア……」
家に滑り込むと扉の鍵を閉めて、クローゼットの中に隠れる。
上がってしまった息を必死に抑え、息を殺す。
「ごめんね。ちょっと我慢してね」
不安そうな顔をするハルの顔を手で覆うと扉にある格子の隙間から黒い影が窓の外でゆらめいているのが見えた。
やはりと言うか、後を追ってきていた。
テッペーを毒牙にかけてもまだ空き足りないようだ。
周囲を動き回っているのをみると隠れている場所を特定されていない。
どうにかこのままやり過ごせればいいのだが。
影の化け物を凝視しているとこちら見つめてきた。
「っ」
悲鳴が漏れそうになるが必死に押さえる。
たまたまあっただけなのかもしれない。
どれだけ身の毛のよだつことに遭遇しても絶対に声は出してはいけない。
顔の向きをがっちりとこちらに固定させたままゆっくりと着実に距離を詰めてくる。
身の毛もよだつような恐怖心が湧いてくるが動くわけにはいかない。
ここで動けばテッペーの二の舞になる。
顔のパーツが何もない黒いのっぺらぼうが目と鼻の先にいる。
聞こえるのではないのではないかと思うほど心臓の音がうるさい。
「ヒッ」
必死に耐えていると胸元のハルの口から悲鳴が聞こえた。
時が止まったかと思うような衝撃を受けるとじっとりとした汗が額から落ちるのがわかった。
影の化け物がハルがここにいることを確信したようで腕を上げた。
「ママあ!」
終わったと放心する私の代わりにハルが悲鳴を上げる。
影の腕がハルに伸びて、咄嗟に庇う。
腕を持ってかれてもいいからハルだけは勘弁してほしい。
そう懇願しながら目を閉じているとしばらくしても何も起きなかった。
恐る恐る目を開いて周りを確認すると影はこけしを持ち上げて踵を返した。
助かったと思うと力が抜けて意識が遠のいてきた。
||
安心してそのまま眠ってしまったようで起きたら朝になっていた。
ハルも私の腕の中で寝息を立てており、万事ない。
本当に悪夢のような時間だった。
昨晩追って来なかったのでもう来ないと思いたいのだが一応窓から隣家を確認する。
「あっ」
見ると隣家はボロボロの廃屋になっていた。
窓は割れ、屋根は所々剥がれており、昨日までの様子とはまるで違う。
今まで認識していた正常な姿は全てマヤカシだと気づくとともに頭を潰されたテッペーだったものをみて二重の意味でゾッとする。
今までのことは全て事実だったこと、人間の命を奪うものが近所にいることに気づかずに生活を送っていたことに。
恐怖が蘇ってきた。
一刻も早くここから離れよう。
テッペーという障害がなくなった今、何も邪魔するものはない。
タクシーを呼んでハルと共に乗り込む。
「ありゃ、廃屋から誰かじっとこっち見てますね。知り合いですか?」
タクシーが進み、廃屋の手前に来ると廃屋の玄関でおばさんが目を見開いてこちらをじっと見つめているのが見えた。
私は二度と家には帰らなかった。
警察にテッペーの件にについて通報すると簡単な取り調べだけで済み、テッペーのお義父さんとお義母さんが後の葬式や家のことについて私の状態を案じて済ましてくれた。
警察の話によると隣の家の廃屋からは五年や二十年と周期はバラバラだが変死体がたびたび見つかっており、その件もあって私の取り調べは最低限のもので済んだらしい。
元々あそこには女郎屋があり、あの廃屋が建った昭和初期ごろ子供を失ったことで気を病んだ女寡が自殺してから女児の行方不明や大人の変死体が見つかる事件が起こり始めたと担当者の老刑事がことの発端も自慢げに話してきた。
少し気になっていたことに答えが出たことをは嬉しいが、あれだけ大変な目にあったことをルンルン気分で語られるのはいい気持ちでなかった。
|
「ママ、新しいお歌覚えたの!」
「何?」
「あのね! あのね!」
全てが終わった今現在は娘と二人だけだが大事なく過ごせている。
やることはいっぱいだが世にも恐ろしいことを体験した今、今を生きるこの一瞬が幸せだと感じられている。
終
お隣さん スイセイムシ @ryutouhebi
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