散髪屋

雨笠 心音

散髪屋

 嫌いなタイプの客だ。

 一目で分かった。

「3番の席、どうぞ」

 かろうじて分かる曖昧な返事。

「脇を剃り上げる感じで良いですかね?」

「……はい」

「上は感じで?」

「……短めのスポーツ刈りで」

 こっちの質問に応えない。

 既にかなり嫌いだったが、もっと嫌いになった。

 舌打ちを堪えながら、作業に取りかかる。

 完成形をイメージして、慣れた手つきで霧吹きで客の髪を湿らせる。人さし指と中指で挟んだそれを、チョキチョキと整える。その後、頭の側面にバリカンを入れる。わずかに光を反射しながら客の髪はさらさらと床に落ちていく。

 お望み通りスポーツ刈りにしてやるよ。

 切りながら、ちらりと顔を見ると、その客はこちらを虚無が浮かべられた目で眺めていた。

 大まかに形を整える終えたあたりで、その客の背中は少しずつ丸まり始めた。

 切りづらい。

 初めは耐えていたが、我慢ならなくなり、両肩を掴んで座席に押し付ける。

 イラつく。

 こういうとき、俺は自分に言い聞かせる。

 向こうはこちらが危害を与えないと思い込んでいる。そして、こちらは刃物を持っている。だから、俺はこいつを殺せる。でも生かしてやる。

 もちろん、本音ではない。だが、嘘でもない。

「これでよろしいですか?」

 俺は鏡を客の後頭部の辺りに持っていって、マニュアル通り、口にする。

 こくん、と客は頷いた。

 返事をしないことにいちいち反応するのは疲れたから、イラつきが生まれる前に、そのまま座面を傾かせて、顔剃りの準備する。

 剃刀を静かに握る。

 この瞬間、俺は体の芯の弱い強張りを覚える。多分、命の重みだ。

 その、どこか心地よい感覚を持ったまま、髭を剃る。


「お疲れ様でした。料金はこちらになります。ポイントカード、お持ちでしたらどうぞ」

「……」

 客は黙って財布から現金と折り畳まれたポイントカードを取り出した。だが、上手くポイントカードを開くことができないのか、ぐだぐだとそれをいじっている。

「ポイントカード、。こっちでやるので」

「……」

「だから!」

 思わず、声が荒くなる。

 しまった。

「……っ」

「そのまま出してもらって大丈夫ですよ」

 客はおびえた顔で

「……はい」

と応えた。


 その日の夜、家に帰った後。

「今日はムカつく客が多かったな」

 俺は発泡酒を開けながら、呟く。

 空いた片手で散らかった机から、例の雑誌を引き出す。

 そこには、専門学校で一緒だったのに、遠くに行ってしまった、今をときめくカリスマ美容師。

 対して俺は、チェーン店の平社員。


「なんか、イラつく」

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散髪屋 雨笠 心音 @tyoudoiioyu

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