『首を突っ込む』のならば②

 聖メアリー女学院、三年暁月組・鳳 瑠樺。享年十七歳。彼女についての詳細が示された数枚の書類に目を通し、才木 眞尋呂まひろは取調室へ向かった。これから被害生徒が通っていた学院の生徒たちの話を聞かなければいけない。彼女らの大半は大粒の涙を流しており、とてもすぐには会話できる精神状態ではない。だからしばらく放置していたが、こちらもあまり時間を割けない。面倒だがこれも仕事だと割り切って対応する。ライトグレーのスーツを正してノックを三回。


「失礼します」


 と一般常識で良しとされる短い挨拶を投げやりに投げ、一人目の少女の向かいに座る。同学年ながらも彼女は裏方業務を主にしており、最終学年にも関わらず役職もない。だからなのか、同じ部活内で知人が亡くなっても他の生徒とは違い泣き腫らした様子もなかった。ただ静かに、下を向いて座っているだけだ。

 楽でいい。眞尋呂は純粋にそう思った。人と対応するのもそうだし、役職がない彼女の立場に対しても、だ。立場で縛られている最年少の警部は、彼女に妹の姿を重ねた。いつもお気楽そうに日常を謳歌している妹には、何も期待してはいけない。いずれその全てが嫌になる。通っている学院も、つるんでいる友人も、所属している部活動でさえ。将来、何の役にも立たないし、暁月だの何だのと、意味のない組名すらも煩わしい。


「では――」


 その苛立ちを抑え込めて、向かいの地味な少女に機械的に質問を続けた。




 事件は、学園を正面から見て右側の中庭で起こった。通称・白百合の庭。第一発見者は、一年満天まんてん組の園芸部、櫻井 のの。早朝の点検当番で三年生の先輩と一緒にこちら側の庭を周っていたらしい。彼女も彼女で有無を言わさず警察に連れて行かれているので、詳しい話は噂を伝え聞くしかなかった。

 それでもやはり女子は話が回るのが早く、すでに状況についてはほとんどの生徒に知れ渡っている。


 白百合の花の中で美しく埋もれながら、そっと置かれていた、瑠樺の頸の存在を。

 血は昨夜の雨でほぼ流されており、残った液体も土の中と来たものだ。雨は厄介だ。証拠もすべて流してしまうから。


「そんな……、それだけ!? なんて非道ひどい」

「どうにか一瞬シャッターを切ったで。一枚だけなら、現場写真がある」

「それ貴重! 見ることできる? ってかホントに、よく撮ったわね……」

「ちょい待ち!」


 笑那は肩に引っ提げていた、いかついデジカメを降ろして自分側にある小さな液晶をともす。つい数十分前に撮った写真は最新のもので、アーカイブを見ればすぐに表示された。ブルーシートを抱えて走り回る若い警官が何人も写っている。その奥には見知った百合花壇が広がっていた。


「一瞬の隙を突いてな。望遠レンズは付けられへんのやけど、最近の機械は性能良くて。ある程度ズームすれば……」


 笑那はそう言うや否や、つまみをいじって写真の中央をアップにする。忙しなくブレる警官の脇をすり抜けて、花に寄っていくと、その中でひときわ輝く金髪が見えた。長い睫毛を神妙に伏せて、血の気のない唇を引き結んで、瑠樺が、正式には瑠樺であったものがそこにはっきりとあった。

 異様な光景だが、その美しさから、ただ眠っているだけのようにも見える。もしくは人形の頭部なのではないかと見紛みまごうほどだ。

 本当にそれだけしかない。


「でもやっぱりこれで、ひとつ確定したことがあるわ」

「確定したこと?」

「笑那がきちんと見せてくれたお陰で、噂でしかなかった状況も確定したの。鳳先輩はやはり、誰に殺されたということ」

「それは……、始めから言うとるで?」


 ううん、と光純は首を振る。いままでは噂に過ぎなかった。ひとつ証拠が残っているだけで、細かい事実が確定することもある。頸は自分では切れない。少なくとも他人の手が加えられている確かな証拠だ。


 けれど、現時点ではそれだけだ。他には何かないかと光純と笑那は穴が開くほどデジタルの画面を見る。一ピクセルの細かな違いはないかと少しずつ確認していく。雨で額に張り付く髪。凄惨な傷跡が残る頸。周りの百合の花。盛り上がった花壇の土。

 別段、耐性があるわけではない。警察稼業だからとこのような環境に慣れているわけではないのだ。写真の中の瑠樺と同じように青い顔をしながら光純は、目を皿のようにしながら観察した。


 鮮明に映る彼女を見続けるのは、やはりこたえるものがある。思考を少し整理しようと光純は立ち上がり、笑那の部屋の中をゆっくりと歩き回った。花壇の中に置かれた頭部。百合の花に埋もれた顔。


「……ん?」

「どうした?」

「ん、んー、なんか、違和感……?」

「違和感?」

「なんだろ、見慣れてないものだし、なんとも言えないんだけど……」

「はっきり、写してしまっとるしな……」


 笑那は申し訳なさそうに頭を掻く。自分の撮った写真ながら、おどろおどろしいものを友人に見せるのは気が引ける。彼女も彼女で目を逸らしながら、デジカメを勉強机の上に置いた。小休憩のつもりだ。


「はっきり、はっきり……。そうね、それはそうなんだけど……、はっきり?」


 言って光純は、机に置かれたデジカメをひったくる。もう一度まじまじと瑠樺を目視して、また周りの百合の様子も観察している。


「はっきり、はっきり写ってる!」

「何やねん、光純。さっきから……」

「笑那なら、どうして花壇の中に頭を置いたと思う?」

「え? ウチなら……? そうやな。やっぱり、隠しておきたいんちゃうか……?」

「そうだよね? でも、鳳先輩はちゃんと写ってるの」

「……どういうこっちゃ?」

「私も犯人なら、大きな犯罪の証拠は隠しておきたいはず。だけど写真にははっきり中央に映ってる。こんな目立つように置かないはずなの」


 小さな液晶をまた笑那に差し出した。彼女も覗き込む。確かに光純の言った通り、瑠樺の周りだけ避けるように百合が植わっている。というよりも、人為的に避けられている感じがある。


「それは、警察が分かりやすいように花を掻き分けたんちゃうか?」

「警察は無粋な人も多いけど、現場を荒らすことはしないわ。でもどうして……?」


 光純が再び思考の海に飲まれそうになり、笑那は慌てて軽口を叩く。


「まぁ、何か掴んだだけでもええやんか。あとで園芸部に聞き込みでもしてみようか? なんや、結解でも張られてるみたいやな」


 実際、瑠樺の周りにはマイナスイオンが出ているとか、神聖なオーラが漂っているとか超常現象系の話が出ていた。笑那は真実しか興味がないため、新聞に載せることも話題に出すこともない。ただし、万が一、瑠樺が背中にでもマイナスイオン発生機を取り付けて、本当に出していれば別の話だ。そのような面白いこと、笑那が見過ごすわけがない。

 いま口にしたのは、光純のためだ。悲しい顔をして思考を巡らせる親友を、放っておけはしなかった。それを分かっているからこそ、光純も少し乗ってやる。


「結解、ね。確かに、こんなに綺麗に斜めに生えてることなんて、ないもんね」


 瑠樺を守るように、それでいて大っぴらに開示しているように、瑠樺の周りの百合は斜めに倒れていた。掻き分けられたせいだろうか。犯人はなぜ、このような謎の行動を取ったのだろう。


 誰かに見つけて欲しいため。そうだとしたらもっと他の場所があったはずだ。


 隠したいため。であればもっと隠し通すこともできたはずだ。


 隠したいけれど、そうもいかなかった。ではどうして? その理由がはっきりしない。聖域は実際には存在しない。けれど、作り出すことはできる。


「っ、笑那、見て!」

「今度は何や!?」

「鳳先輩の、頸の下。……何か、四角い枠みたいなのがない?」


 瑠樺の頸の下。植物よろしく、その美しい頭も他の花と同様土から生えて来たのではないかと思い誤るほど。なぜなら下の土で傷口が少し隠されていたから。よって、彼女はこのまま埋まっているものだと思っていた。

 けれどどうだろう。斜めに倒された百合の根の近く。うっすらと、何かが敷かれている。大部分は土が被せられていて見にくいが、百合の茎が少し鮮血を付着させていた。


「……タオル? いや、この大きさは」

「ハンカチ。それも――」光純は震える指で、しかし明白に、証拠に指を差す。「イニシャル付き」


 このときザワリと、少女たちの背中を何かが伝った。それは、犯人という狂気の存在に一歩近づいてしまったからなのか、ひとつの謎を紐解いてしまった興奮からだったのか。そのどちらでもあり、あるいはそのどちらでもない、様々な感情が二人を包んだ。

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