二作目の無題
静谷 清
本文
拝啓 春に縛られたわたしへ
そちらは今、夏風が少し待ち遠しいように窓を開けておいでと存じます。
そこから見える桜は綺麗ですか?わたしは昼になると木陰の下に花弁が舞い落ち、より一層綺麗に思え素敵でした。
こちらはというと、相変わらず空は曇り模様で窓も開けられません。あの少し肌寒い花見がなつかしいです。
ところで、あなたは絵をお描きになっておられますね。描いているのは昔の恋人で、小さなキャンバスに水彩で描いてらっしゃいますね。
あまり言いたくはありませんが、それは今すぐおやめになったほうが宜しい。
それは完成しません。断言します。
大人しく、早くあたらしい恋人をおさがしになって下さい。
哀しいでしょうが、わたしの身になってお考え下さい。どうぞ宜しくお願い致します。 敬具
―――――――――――――――――――――――
*
ほんのり明るい常夜灯に照らされたその手紙は、二年前のわたしに送るための手紙だった。
何度も書き直したからか若干しなびれた便箋を、桜色の封筒に入れる。そうしたら、肩の力が抜けて体重をようやく全て椅子に預ける。雪のように柔らかい背もたれがくるりと回って、体全体が回る。
目に入ったのは無地のキャンバスだった。何も描いておらず、他が散らかっていたりするからか、その辺りだけ、どこか柔和な雰囲気がした。
無題の絵。未だ描いていないのだから、タイトルをつけられもしない。只々、その場所にいつまでもいるだけ。
あのキャンバスには油彩で、恋人を描くつもりだった。今は無地ということは、察してほしい。鼻が高く、洋画に似合う人だと思っていたのに、姪と浮気していたから頭をゴルフクラブで数発殴って追い出してやった。付き合って四週目のことだった。
しかも、無題のキャンバスはあれだけではなく、隣の部屋にもう一つある。それが手紙にも書いた、二年前のわたしが当時付き合っていた恋人を描こうと思い、買ったものである。彼のことは何度も思い出す。水彩にしか似合わない人だった。髪も服装もどこか透明感があって、幽霊のようだと感じた。
そして、本当に幽霊みたいに消えてしまった。私物も通帳も何もかも置いていなくなった。
あんなに哀しみと喪失感がごちゃまぜになった涙はそうそう出ないだろうな。
隣の部屋は半分アトリエみたいになっているから仕事のついでに描こうと思えばできたはずだった。だけど、そんな気は起きなかった。
なぜか適当にやっては駄目だという気持ちがずっと頭にあるのだ。そんなでたらめな、間違った気分でこの絵を描いてはいけないと思ってしまうのである。
ずっと、恋人の絵を描くのが夢だった。もしかしたら、画家になったのも実はそういう理由だったのかもしれない。
手に持った桜色の便箋を光に透かして眺めてみる。やっぱり、手紙で彼のことを『昔の恋人』と書くのは良くなかっただろうか。もう、あたらしい恋人が出来ることを暗に示すのは卑怯かもしれない。
だけどわたしが画家としても女としても大成しないのは、あの時の彼との別れのせいだと思ってしまうのだ。
わたしが彼を描くはずだったキャンバスをアトリエに置いて、目の前にあるこのキャンバスを捨てようと思っているのは、彼のせいなのだ。
わたしがいつまでも彼と暮らした家にいるのは、彼のせいなのだ。
どちらにしろ、この手紙は十二時までに出さなければならない。"おくりもの郵送"はクリスマスの日にしかやっていないのだ。
*
"おくりもの郵送"とは、去年からサービスを開始した企業である。一人につき一回まで利用できる配達サービスで、手紙から規定のサイズのものだったら(条件をクリアした場合)何でも誰にでも何年にでも送ることが出来る。
数年前に突如として起こった地揺れの原因を調査する際、地球内部の空洞から、今まで確認したことのない巨大文明が見つかったそうである。
歴史上には一切の文献が残されていなかったことと、見つかった土地の土壌の年代がめちゃくちゃだったことから、この文明は何らかの方法で未来へタイムリープしようとしたが、その道程に生命は耐えられず、建物や土壌だけがこの年代にタイムリープしたのではないか?と予測された。
そこから人類は、時間旅行というものの可能性を見始めた。
化学と工学と生物学と量子力学は時間逆行という夢を追い求めうねりを挙げた。
結局のところ、"おくりもの郵送"を一般的なまでに普及できたのは、ワープホールを通り抜ける時に、輸送する物体の原子を分解させ、その後に物体の時間を逆行することで可能にした為である。
なので"おくりもの郵送"で生物は禁止である。
*
外には雪が降っていた。もはや「雪のような」という形容詞が使われすぎた時代では、雪は「魔法」や「夢」と同じくらいには価値が落ちた。
電飾看板はもう看"板"ではなくなり、クリスマスツリーが"ツリー"ではなくなった今となっては、アナログな画家という職業自体が絶滅危惧種である。
それもやはり今から手紙を送る相手が待ち望んでいる人物のせいである。
今年になってようやく"おくりもの郵送"を使おうと決めたのは、もちろん去年は失恋を経験していないこと、それと無題のキャンバスが二つもなかったからである。わたしは画家だ。描けないものにいつまでも悩んでいられない。
この手紙を出して、あのキャンバスがどうにかなるとは思えない。そうなったら新しい方の無題を捨てるだけだ。いや、もうどうでもいい。両方捨ててしまって構わないかもしれない。
ようやく郵便局についた頃には雪は止んでいた。大体の人が初年度にやったからか、郵便局は人が少なかった。中に入ると、にこやかな笑みを浮かべた局員が挨拶をする。
「こんばんは。この度はどのようなご要件でしょうか?」
「"おくりもの郵送"がしたいんですけど…」いざ名前を言うと恥ずかしいな。
「はい、かしこまりました。それではマイナンバーカードの提示をお願いします」
いつになってもマイナンバーだな、と思いながら差し出す。
「ご確認いたします。少々お待ちください………」
「はい」
「……………?」
「…あの、どうされました?」
「お客様は既に"おくりもの郵送"をご利用なさっていますが…」
「………え?」
*
それから四ヶ月ほど経った。
結局、無題のキャンバスは両方とも処分してしまった。もう、必要ないと思っていたからだ。というより、あれから四ヶ月間、仕事が大量に入った為、キャンバスを保管するスペースが足りず、イライラしてまとめて処分してしまった。
春に入ると注文は少なくなったが、暇になるとそれはそれで物悲しいものだ。わたしは三年前からずいぶん成長した桜の木を眺めていた。
この木もあの時はよく描いたものだ。彼と一緒に過ごしていた時代…。近頃よくやる、物思いにふけるのも飽きてきた頃だった。郵便物が届いた。
中には桜色の手紙と白色に包装された何かがあった。
わたしは手紙を読み始めた。
―――――――――――――――――――――――
拝啓 春から放たれたわたしへ
お元気ですか。困惑することと思います。この手紙はそちらから二年後のわたしがあてた手紙です。
そちらの方では"おくりもの郵送"が使えずに困ったでしょう。申し訳なく思います。
実は"おくりもの郵送"がある時代へ郵便物を送ると、信号自体は対象の時間逆行の有無に関わらず、使用の証がついてしまうのです。この欠陥が見つかり、わたしの時代では既に送ってしまったものを除き、全面禁止となりました。
まあこんな話は興味ないでしょう。あなたは。
本題に入りますが、わたしは今結婚しています。
相手はあなたが何度も思っては夜に寂しくて泣いたあの人です。いきなり行方が知れずにいた彼です。
ネタバレになりますが、彼は帰ってきます。
いなくなった理由なのですが、ここで話すことはできません。話してしまったら、そちらの状況が変わってしまって、未来があやふやになるからです。
理由は彼に訊いて下さい。大変怒ると思います。というよりわたしがめちゃくちゃ怒ったんですから、あなたも確実に怒ると思います。
でも、ちょっとは許してやって下さい。
彼にはこの事は話さないで下さい。これもやはり、未来への影響の危険性です。実は過去の自分に送るとこういう欠陥もあったのです。だからわたしの未来とは変わる可能性があります。
けれどまあ、多分大丈夫だと思います。わたしですから。
それと、同封してあるものですが、わたしの時代のキャンバスです。規格はまったく一緒のものです。"おくりもの郵送"の審査も合格しましたし(もうその審査も無くなりましたが)、無地のものです。好きなように使ってください。
ちなみに、今の彼には、パステルが似合います。
敬具
―――――――――――――――――――――――
*
桜色の便箋の中には他に、彼の字らしき弁明の手紙が見えたが、それはネタバレなので封筒の中にしまった。そして、キャンバスを取り出した。
白い雪のような包装をはがすと、無地できれいな無題のキャンバスが出てきた。まさか、無題に二作目が出来るとは思いもよらなかった。
わたしはおかしくて、笑った。ここ最近で一番の笑いだった。
インターホンが鳴った。わたしは帰ってきた人が誰か、もう知っている。
ドアを開けた。見知った顔だった。ずいぶん老けてみえた。ずいぶんくたびれてみえた。わたしが声を掛けると、やっぱり元気そうにみえた。
彼が最初に言った言葉は「ただいま」だった。
わたしが返した言葉は「おかえり」だった。
さて、絵のタイトルは何にしよう。
二作目の無題 静谷 清 @Sizutani38
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます