10 ピーズ・ブロッサムのお誘い

 懐かしい記憶を思い出していた。おばあさんがこの世を去ったのはとうに昔のことで人間でいえば何代も代替わりし、たぶん彼女の孫の孫がようやく生きているくらいの年月が過ぎている。それでもドリュアデスは変わらずに彼女の真似事を続けている。気に入ったことを続けること、それも彼女の教えな気がしていた。


 だからカヌレの焼き方は変えない。浮気しなくてもいいものは愛される。人間の好きな流行を追えばおばあさんのカヌレはカヌレでなくなる。誰かにいわれたわけでもないのにそう固く信じていた。


 自宅を訪れるのは相変わらずのんびり屋さんが多いが、ドリュアデスにはそちらの方が合っていて、こんがりと焼けたカヌレを紙袋に入れてラタンの紐でラッピングする時間も、お客さんとのんびり話す時間も、そしてお見送りして別れる瞬間もとても好きだ。


 断っておくとというのは基本的に宝石をくわえた動物や精霊だったりする。彼らの持ってくる宝石のおかげで生活は潤っていて無碍には出来ないなと思う。感謝半分、趣味半分。


 ツバメ柄の布巾がずいぶん古くなった。今度町で新しいものを買ってこよう。これもお客さんの恩恵だ。未来の計画を立てている時間はとても楽しく、今度はアレが欲しい、コレを作りたい。身の回りのものを少しずつ揃える時間はとても楽しくて夢が膨らむ。


 丁寧な暮らしとはすなわち一つ一つの物や動作に慈しみを持って暮らすことだ。


 布巾を丁寧に畳んでいるとドアベルがこんこんと鳴ってペンを置く。また客だろうか。カヌレはもうないのだけれど。お断りのために玄関扉を開けてみると花がぱあっと咲いたように景色が明るくなった。


「ドリュアデス! 久しぶり」

「ブロッサム!」


 懐かしい顔、彼女は花の妖精ピーズ・ブロッサムだ。ドリュアデスは愛着をこめてブロッサムと呼んでいる。彼女とはもう何十年ぶりにもなるだろうか。何十年ぶりといっても人間の感覚ほど長いものではなくついこの間、と伝えた方が分かりやすい。


 彼女は玄関横の手作りのかぼちゃの黄色いランタンを見つけると可愛いと指差して笑った。裏の畑で採れたカボチャをくりぬいて飾ったものだ。


 ドリュアデスはブロッサムを自宅に招き入れるとリビングに案内して、豆から挽いたコーヒーを入れた。


「相変わらず素敵な家ね。人間の家みたい」

「元はそうだもの」


 二人でくすくすと笑い合って目くばせした。緊張感なく話せるのは気心が知れた間柄だからだ。コーヒーカップを持ちながら話しかけた。


「この森に戻ってきたの? 飽きたから旅に出るなんていってたけれど」

「旅は相変わらず続けているわ。それも驚いて。七人の仲間とね」


 ブロッサムはピンクのウェーブヘアを流しながら艶やかに微笑んだ。薄いピンクの唇は高貴なバラの花弁を思わせる。


「仲間?」

「ええそうよ。水の精霊に音楽の精霊に芸術の精霊、それからちょっと悪い奴もいるわ。えっと、あとは。まあとにかくみんな友達よ。楽しくおしゃべりしながら世界を旅しているの」

「いいな、楽しそう」


 彼女の自由な生き方もちょっと羨ましいなと思いながら相槌を打った。


「でしょ? でね、この森に偶然立ち寄ったときにあなたの話をしたら、みんなぜひ会いたいって! 不思議なことしてる子がいるのよって」

「えっ」


 ドリュアデスは少し照れて両手で頬を押えた。わたしと? と問い返す。


「特別な夜に森の秘密の場所で会いましょう。邪魔者は誰も来られないようなところ。みんなで目一杯飾り付けして、美味しいお菓子をつまみながら恋のお話をするの」

「こ、こ、恋……」


 ドリュアデスはぽっと頬を赤らめて俯いた。


「そうね、お供にはあなたの美味しいお菓子が必要よ。美味しくなくちゃ会話が弾まないもの。お茶と場所の準備はこちらに任せて。みんなで楽しい夜にしましょう」


 ブロッサムはじゃあね、といい置いて帰っていった。


 ドリュアデスは一人残されてふむと考える。美味しいお菓子……といっていたけれどいつも焼いているカヌレでは芸がないような気がした。


 カヌレでないならばと思いを巡らせる。


 今の季節はハロウィン真っ盛りで町ではたくさんオーナメントが売られていてパンプキンのパイやらケーキが並んでいる。どうせなら用意するのはそういうお菓子でもいいかもしれない。


 パーティは三日後の夜。女の子どうして楽しいおしゃべり、と空想をして恋のお話だと話していたことを思い出してぼんっと頭が沸騰しかけた。


(ダメ、ダメ。本当にダメ)


 頭にまた現れたテオの笑顔をふり払う。まったくわたしは何を考えているのだろうと自重して。


「でも楽しそう」


 自室にいくと木の本棚から古びた本をひっぱり出した。まるで辞書だ、おばあさんの持ち物でもうかなり古い。載っているのはハロウィンのしきたりについてだ。おばあさんは本を持っている割にハロウィンという慣習にほとんど従わなかったのだけれど、カボチャのランタンくらいは置いておこうかねと毎年玄関先に飾っていたのでドリュアデスもそれに倣っている。


 久方ぶりに開いた本はところどころ虫食いで肝心の個所が欠けていた。お菓子のレシピの材料がどれがどれだか分からない。本くらい買い直した方がいいかと思ったがどうせなら図書館で、と思う当たりやっぱりテオが好きなのかと穴に入りたくなる。テオのところに行くのは明後日の予定だったけれど行動はすぐ起こした方がいい。


 ドリュアデスはエプロンを外すと、小花柄のロマンティックな長袖のワンピースに革のブーツを履き、帽子を目深にかぶって町に向かった。

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