守人の日常

野々村鴉蚣

一日

 朝の光で、ぼんやりと目が覚める。

 アラームはまだ鳴っていなかった。枕元の時計を見ると、六時二九分。あと一分でセットした時間だった。


 奇妙なことに、最近はアラームより先に目が覚めることが多い。まるで、誰かに「起きろ」と言われているような、不自然な規則性があった。


 カーテンを開ける。雲の間から薄い光が差し込み、窓ガラスに映る自分の姿がかすかにゆれる。背後に何か影のようなものが見えた気がして、振り返ったが、当然、誰もいない。

 誰も、いるはずがない。


 キッチンに立ち、昨夜の残りのご飯を温める。味噌汁を火にかけ、冷蔵庫から卵とネギを取り出す。いつもの朝食。何ひとつ変わり映えのしない手順。だが、その「変わらなさ」すら、どこか窮屈に思える。


 誰かに見られているような気がするのだ。


 不意に背筋がざわつくような、微細な感覚。それが、日を追うごとに強くなっていく。最初は気のせいだと思っていた。でも、繰り返される違和感に、もう「思い込み」という言葉では片付けられない段階に来ている。


 スーツに袖を通す。襟元を整えるとき、ふと、ネクタイの結び目が妙に歪んでいることに気づいた。昨日、外してハンガーにかけたときには、こんな形にはなっていなかったはずだ。


 記憶違いかもしれない。でも――誰かが、触れたのではないか。


 家を出る。通い慣れた道のはずなのに、背後から視線を感じて、思わず何度も振り返る。住宅街の向こうで、電柱の影がひとつ、風に揺れている。人のようにも見えるが、立ち止まって目を凝らすと、ただの看板だった。


 こうして、毎日、何かを「見間違えて」いる。


 会社でも、妙なことがあった。昼休みにスマホを開くと、画面の明るさ設定が微かに変わっていた。自分では触れていない。なのに、まるで誰かの指が、自分に成り代わって滑ったかのような気配がある。


 誰にも言えない。言ったところで、笑われるだけだ。

 自意識過剰、そう思われるのが怖かった。


 でも、怖いのはそれだけじゃない。

 誰かが、自分の生活の隅々までを知っているような感覚。たとえば、コンビニでどの缶コーヒーを買うか。うどんに何を入れるか。風呂に入る時間。電車の乗車位置。歩き方の癖。


 自分よりも、自分をよく知っている誰かが、世界のどこかにいて。

 それがずっと、こちらを見ているのだ。


 夜、風呂あがりに部屋着に着替えるとき、何となく天井を見上げた。

 白い天井。模様もない。だが、一箇所だけ、違和感がある。小さな点。ビス穴か、それとも……?


 指を伸ばそうとして、思いとどまった。

 もしも、何かがそこにあるのだとしたら――私は、今までそれにすべてを見られていたということになる。


 ベッドに入っても、眠気は訪れない。背後に誰かがいるような気配が、夜の部屋をじわじわと染めていく。

 布団を引き上げて、目を閉じる。

 だが、まぶたの裏に、誰かの目が浮かぶ。見開かれ、じっと、私を凝視する目。


 ……もしかして、私の生活を覗き見ているのはあなたですか?

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守人の日常 野々村鴉蚣 @akou_nonomura

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