第43話 覚醒Ⅱ
戦士たちの熱気は最高潮に達していた。
砦の奥、沈黙の広間。
血と煙と祈りの残滓が、空気の底に漂っていた。
半刻前、“弔いの儀”の応用によって多くの戦士が進化を遂げた。
だが、その中心――筆頭戦士たち三名は、いまだ沈黙を守っていた。
テルン、グル、シャドリク。
彼らは、それぞれ異なる宿命を背負い、
今、帝国の根幹を担う存在として――
“喰らうべき時”を待っていた。
俺は黙して立ち、金の双眸をわずかに細めた。
――オーク最強の戦士団は、今ここで形を成す。
最初に立ち上がったのは、筆頭射手テルン。
血に濡れた口を拭い、アーマーピアサーを静かに持ち上げる。
その動作には無駄がなく、美しさすら感じた。
細身の体に、無駄のない筋肉がしなやかに走る。
緊張した弦のような張り詰めた圧と、鋭利な闘気。
テルンは倒れた騎士の胸から一本の矢を抜き、
血に濡れた鏃を見つめ、低く呟く。
「……この矢は、俺の血で完成する」
指先を噛み切り、滴る血を鏃に垂らす。
赤が滲み、金属が呼吸するように震えた。
テルンはクロスボウを引き、狙いを窓の外へ向ける。
濁った雨空。灰色の帳が砦を包む。
放たれた矢――血塗られた剛矢。
赤い閃光を放ちながら疾走し、
空中であり得ない軌跡を描いた。
右へ直角に折れ、次の瞬間には左へ跳ねる。
まるで生き物のように空を走り、
弧を描きながら再び砦の窓へ戻ってくる。
それは世界の理さえ拒絶する軌道だった。
最後の一閃――
矢は放たれた本人の掌に、静かに帰還した。
テルンはそれを余裕をもって掴み、血に濡れた鏃を指で撫でる。
心臓の鼓動と同じリズムで、矢が脈打っていた。
「……意志を持った矢。これが俺の新しい力だ」
─── STATUS ───
【種族】オーク・アヴェンジャー
【称号】《魔弾の射手》
【ユニークスキル】《魔弾》
自身の血を込めた矢は、意思を宿し必中となる。
術者の意志と感情を追尾し、敵を討ち、術者の手に還る。
───
テルンは矢筒を背に戻し、静かに呟いた。
「……必中。外すことは、もうない」
その声には誇示もなく、ただ確信と静謐があった。
次に歩み出たのは、隻眼の戦士グル。
彼の肌は灰鉄のような鈍色を帯び、
戦火を経るごとに深く沈んでいく。
彼はゆっくりと眼帯に手をかけた。
「……懐かしいぜこの感覚。人間の奴隷時代に失った忌まわしき記憶。だが今は違う。オレは、それすら乗り越える!」
眼帯を外す。
そこにあったはずの闇に、光が宿っていた。
新たな眼――翡翠の魔眼がゆっくりと開く。
その瞬間、空気が震え、雨粒が宙に留まった。
“未来が、視えた”
静かな広間の片隅。
倒れ伏すはずの死体が、かすかに動いた。
皮膚の下で、筋肉が蠢く。
それはまだ息のある人間――
血に紛れ、バルドの背を狙う騎士だった。
グルの視線が僅かに動き、
剣が空気を裂いた。
――灰色の閃光。
刃が“伏兵”の胸を貫いた。
呻き声が漏れ、鎧の隙間から赤が吹き出す。
騎士は目を見開き、驚愕のまま沈黙した。
グルは剣を抜き、血を払う。
低く、吐息のように呟く。
「……わりぃな。ちゃんと見えていたぜ」
─── STATUS ───
【種族】オーク・ヴァイスロイ
【称号】《右腕》
【ユニークスキル】《未来視》
“翡翠の魔眼”。数秒先の未来を“視る”ことができる。
敵味方の行動を予測し、最適解を導くが、身体的な負荷は大きい。
───
俺は息を吐いた。
「……助かったグル」
グルは微かに笑い、再び眼帯を戻す。
「お前と同じらしい。視すぎると、頭が焼けるみてぇだ」
眼帯の下から、翡翠の光が薄く漏れていた。
最後に歩み出たのは、黒布を纏う暗殺者――シャドリク。
佇まいは、闇そのもののように沈黙していた。
「シャドリク。お前に、ザルグを継がせる」
わずかに空気が震えた。
他の戦士たちが息を呑む。
シャドリクだけが、表情を動かさなかった。
「新たな一番槍が必要だ。勇者の肉体を喰らい、その意志を継げ。
力も、誇りも、お前の刃に宿せ」
沈黙。
シャドリクはゆっくりと歩み出て、亡骸の前に跪いた。
そして、かすかに息を吐く。
「……ザルグ。お前の刃、俺が受け継ぐ」
牙が肉を裂き、血が滴る。
その瞬間、彼の背後の影が膨れ上がる。
暗闇が伸び、数百の刃となって広間を埋め尽くした。
シャドリクはその中の一本を掴み、抜刀するように引き抜いた。
刃が音もなく空を裂き、雨粒を切り裂く。
静寂が訪れる。
それはただの一振りではない――
影の刀。
ザルグを思わせる、白兵戦の極地。
─── STATUS ───
【種族】オーク・ナイトブレード
【称号】《剣客》
【ユニークスキル】《
影を媒介として空間を支配し、移動・拘束・断裁する。
───
シャドリクは言葉を発さず、影刀を霧散させた。
影がそれに倣い、静かに頭を垂れる。
その沈黙は誓いであり、忠義であり、祈りでもあった。
進化の儀は終わった。
広間に充満していた沈黙が破られ、
最初の咆哮がどこかで上がった。
それが合図だった。
雄叫びが連鎖し、歓声が波となって砦の天井を震わせる。
新たな力を得た戦士たちが拳を突き上げ、
互いの肩を叩き、地を鳴らし、獣のように吠えた。
雨の音すらかき消されるほどの熱気が満ちる。
その中心で、テルンは矢を掲げ、
グルは肩を組み、シャドリクは無言のまま目を光らせていた。
――オーク最強の戦士団が生まれた。
そう誰もが確信していた。
だが、その歓喜の渦の中で、
俺だけは静かに歩き出していた。
喧騒の奥、
血と鉄の匂いが濃くこびりついた空気を抜け、
崩れた雨の滴る回廊へと出る。
背後では、
戦士たちの咆哮が遠ざかっていく。
まるで別の世界の音のようだった。
俺は立ち止まり、振り返らずに呟く。
「……喜べ。お前たちは、強くなった。」
外套の裾を翻し、
静かな闇の中へ歩みを進める。
冷たい風が頬を撫でた。
“覚醒”は終わらない。
――次に進化するのは、己だ。
♦
東の第三区画を抜け、俺は戴冠を行うためシャマルクの地下室へ向かっていた。
石畳は冷たく、空気は湿気が混じっていた。進むたび、戦士の歓声が遠くなる。
「……よぉ」
懐かしい声が、薄暗がりに小さく響いた。
灯の下、壁にもたれる影があった。砕けた鎧。焼けただれた腕。だが、その顔は笑わずにはいられないような、いびつな笑みを浮かべていた。
ハルバードを壁に立てかけ、腕を組んだまま、ボロボロの身体でなお堂々と立っている。
「……アク―バ」
「ヒャハハハ!……おうよ。死んだって話になってたらしいが、悪ぃな、生きてんだコレが」
血の匂いを伴った笑みが、声に滲む。
「生きて……いたのか」
アク―バは喉を鳴らして豪快に笑った。
「ヒャハハハ! 地獄でザルグの野郎に言われたんだよ。『こっちに来るのは早ぇ』ってな。おかげで死にそびれちまった!」
笑いながら胸の包帯を叩く。
音の下で、割れた肋骨が軋むのが聞こえた。
それでも彼は笑い続ける。
血を吐いても笑う、それがアク―バという男だ。
「……ザルグらしいな」
「だろ? あの野郎、地獄でも口うるせぇ。『バルドを見届けろ』なんてしつこく言いやがる。仕方ねぇ、こっちに戻るしかねぇだろ」
声が低くなり、笑いの奥に熱が滲む。
アク―バは、ふと俺の顔をまじまじと見つめた。
赤く濁った瞳の奥に、獣のような直感が光る。
「……お前、少し変わったか?」
「何がだ」
「気迫だよ。なんというか、以前とは別物だ。戦で磨かれたってだけじゃねぇ。――“何か”を決めた奴の目をしてる」
その声には笑いが混じっていたが、
獣の感性で、それを本能的に感じ取っていた。
俺は静かに答えた。
「ああ、決めた。俺は――オークを、目に見える全てを背負う覚悟を」
アク―バはしばらく黙り、やがて低く頷いた。
「なるほどな……。
それで地下室を目指してんのか。
――“大将軍ザガノス”を継ぐために」
その名に、俺の足が止まる。
「お前、ザガノスが死んでいたのを知っていたのか……?」
アク―バはニヤリと笑い、肩をすくめた。
「当たり前だ。シャマルクの婆さんを丸め込んだのも、この俺様だからな。
あのババァ、口は悪ぃが話は通じる。
“幻影”だろうが、使えるモン使わねぇと皆殺しだったろうな」
「……意外だな、策には疎いと思っていたが」
「ヒャハハハ!アク―バ様を侮ってもらっちゃ困るぜ!
だがな――婆さんも俺様も遺言には従うつもりだった。大将軍の後を継ぐのは、息子の“スログ”って奴だろうと思ってたんだ」
「……スログ」
胸の奥が一瞬で熱を帯びる。
ここに来て、まさかその名を聞くとは思わなかった。
スログ――
俺の原点。
レーウェンの砦で共に戦い、そして弔った“友”の名。
あの静かな夜、血に濡れた矢、崩れかけた砦。オーク・リーダーとなり戦場を仲間と駆け抜けた。
それらが脳裏に鮮烈に蘇る。
(そうか。物語でスログがマグ=ホルドを目指したのは父に会うためだったのか。)
俺は心臓の上に手を当てた。
「なら何も問題はない。
スログなら――ここにいる」
親指で、胸を軽く叩く。
アク―バの目が見開かれ、次の瞬間、大声で笑い出した。
「ヒャハハハ! 数奇な運命だ!確かに問題はねぇな!」
笑いの余韻を残し、彼はゆっくりと視線を奥へやった。
その目はすでに未来を見据えていた。
「――行け。奴ら人間も、すでに動き出している。
俺様たちには、思ったよりも時間は残されちゃいねぇ」
俺は短く頷き、階段を下り始めた。
背後から、低い声が届く。
「おい、黒鬼!」
振り返ると、アク―バがハルバードを肩に担いでいた。
血まみれの笑みを浮かべ、あの戦に赴く前と変わらぬ堂々たる姿だ。
「……任せろ。地獄の門は、俺が塞いどいてやる」
その言葉に、俺は言葉を返さなかった。ただ視線を交わし、深い確信を共有する。
背を向け、再び歩き出す。アク―バの笑い声が、湿った通路にいつまでも残響した。
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