第9話 責任
──人間側・第二騎士団長 ロダン視点──
突入部隊が東塔に侵入してから、すでに一刻が過ぎた。
しかし、まだ何の報告も届かない。
槍を握る兵たちの足取りは落ち着かず、左右に揺れながら東塔を見つめている。
不安がじわじわと陣内に広がり、空気は張り詰めている。
俺の耳に届くのは、鎧が擦れ合う擦過音と、兵たちの浅く荒い呼吸。
遠くで馬がいななき、鞍が揺れる音も聞こえた。
「伝令は?」
「まだです、団長」
唇を強く噛み締め、俺は無言で東塔を睨みつけた。
矢も魔法も飛んでこない。あまりの静けさが逆に想像力を刺激した。
──一体、何が起きているのか。なぜ誰も帰ってこないのか。
その答えは突如、空を焦がすように現れた。
ぼう、と。
黒い煙が東塔の窓から立ち上り、ゆっくりと赤い炎が石壁を這い上がる。
「ひ、東塔が……!」
兵たちの声が震え、ざわめきが広がった。
炎は瞬く間に塔を飲み込み、影が地を長く染めた。
その赤は温もりではない。冷たく凍てついた死の色だった。
胸の奥に、氷水を流し込まれたような冷たさが走る。
──火計だ。
しかも外部ではなく、内部から放たれた罠。
我が先鋭部隊は、生きたまま炎に焼かれていったのだ。
「まさか敵が自らの陣地を焼いたというのか……?」
狂気か? いや違う。
あれは冷徹で、緻密に計算された勝利のための決断。
「団長! 先鋭部隊の安否は!」
副官フレイの声が鋭く響いた。
俺は沈んだ声で答えた。
「……全滅だ」
その言葉は兵たちに瞬く間に伝わり、ざわめきは一気に大きく膨れ上がった。
槍を握る手が震え、誰もが仲間の惨状を思い浮かべている。
「第二突入隊を編成しますか?」
フレイが問う。
俺は首を振った。
「突入はさせぬ」
「理由をお聞かせください」
「中央塔にも同じ罠があるかもしれん。二度も同じ手にかかる余裕はない」
燃え盛る東塔の炎を見据え、俺は決断を告げた。
「包囲は最低限に留め、陣地をレーウェン丘まで下げる!」
今回の攻撃は失敗した。
敵の規模や指揮官の才覚を読み違えた可能性がある。
陣地を下げて状況を冷静に見極め、補給線や防御線を整え直すのは急務だ。
場合によっては、マリス神聖王国からの増援と物資の要請も避けられない。
あの宰相に弱みを握られるのは業腹だが、背に腹は代えられぬ。
兵たちは重く沈んだ足取りで指示に従い、レーウェン丘へ向かい始めた。
馬は鼻息を荒くし、蹄の音が乾いた大地を叩く。
道すがら、俺は独りごちた。
――百騎が死んだ。
酒を酌み交わし、笑い合った仲間たちが、あの炎の中で静かに消えた。
マルコス、ウェン、レイセント、エドガー、ジン。
第二騎士団の誇り。誰よりも腕に自信があった。
俺の命令で、彼らは死んだ。
後悔が胸を締めつける。だが、それを背負ったまま進むしかない。
敵指揮官の冷徹な戦術に怯むことなく、士気の低下を防がねばならない。
俺は彼らの盾であり、槍だ。
夜風が肌を刺すように冷たい。
東の塔から立ち上る黒煙が、月光に赤く染まり、辺りを妖しく照らした。
終わりではない。これからが勝負だ。
俺は決意を新たにし、声を張り上げた。
「これが戦だ。覚悟を持って進め!」
兵たちの目に、わずかに炎のような光が戻った。
俺はその光を信じ、歩みを速めた。
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