第14話:決意の夜

董卓との対話は、呂布にとって決定的なものだった。彼の口から語られたのは、平和への願いではなく、自身の欲望と権力への執着。呂布を「道具」としか見ない冷酷な言葉だった。信じていた全てが崩れ去り、呂布の心は深い絶望と、激しい怒りに包まれた。


その夜、呂布は自室で一人、膝を抱えて座り込んでいた。窓の外は、闇に包まれている。これまで抱いてきた純粋な「正義」が、まるで泥に塗れてしまったかのように感じられた。


董卓は裏切った。

王允は私を利用しようとしている。

貂蝉もまた、私を騙していた。


誰を信じればいいのか。何が正しいのか。この乱世で、一体どこへ向かえばいいのか。幼い呂布の頭の中は、混沌とした感情の渦に飲み込まれていた。胸の奥が締め付けられるような、言いようのない苦しさに、息が詰まりそうになる。


しかし、その混乱の最中、呂布の脳裏に、いくつもの光景が浮かび上がった。


まず、目に浮かんだのは、宮中で出会った献帝の悲しむ顔だった。董卓の暴政に怯えながらも、国と民を案じていた彼の孤独な瞳。あの時、呂布は「この国を、この人を守らなければ」と強く心に誓ったはずだ。董卓が言う「平和」は偽りだったが、献帝の悲しみは、決して偽物ではなかった。


次に、貂蝉の姿がよぎる。彼女が「本当は、平和を願っている」と語った時の、憂いを帯びた優しい笑顔。たとえ王允の計略のためだったとしても、あの時の貂蝉の言葉には、嘘偽りのない感情が宿っていたように思えた。彼女もまた、この乱世の犠牲者なのだと、李粛の言葉が呂布の耳に蘇る。貂蝉も、この苦しい状況から解放されたいと願っているのかもしれない。


そして、最後に思い出したのは、故郷の村人たちの笑顔だった。馬賊から村を守った時、皆がどれほど喜んでくれたか。あの時の感謝の言葉、そして「みんなが、ずっと笑顔でいられますように」という、自分の純粋な願い。硝子瓶の中の星が、一つだけ輝きを増した、あの瞬間。


呂布は、はっと顔を上げた。

そうだ。誰がどう利用しようと、誰が裏切ろうと、自分の「正義」は、あの時の願いから始まったのだ。

董卓のためではない。王允のためでもない。誰かを「利用する」ためではない。


純粋に、「誰も悲しませない」。

「みんなが、ずっと笑顔でいられますように」。


この願いだけは、偽りではない。誰かに与えられたものでも、誰かに利用されたものでもない、自分自身の心から生まれた、揺るぎない願いだ。


呂布の瞳に、再び強い光が宿った。

混乱の闇が晴れ、一つの明確な答えが心に響く。


「もう、私は誰にも騙されない!」

幼い声が、静かな部屋に響いた。それは、自分自身への誓いであり、そして、新たな戦いの始まりを告げる、決意の言葉だった。


董卓を討つ。


それが、今、呂布が成すべき「正義」なのだ。彼の暴政を終わらせなければ、決して「みんなの笑顔」など訪れない。幼い呂布の心は、純粋な願いを守るため、そして信じた人々を救うため、ついに最大の決断を下したのだった。

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