第12話:李粛の助言

董卓と呂布の間に生じた亀裂は、日を追うごとに深まっていった。貂蝉を巡る争いは、呂布の心に深い憎しみを植え付けた。董卓は呂布を以前にも増して冷遇し、呂布もまた、彼への忠誠心を完全に失っていた。屋敷の中は、まるで冷え切った氷のようだった。


呂布は、夜ごと一人、自室で苦悩していた。信じていた董卓に裏切られ、利用されたという絶望感。そして、貂蝉を巡る王允の計略の真意が見えず、誰を信じていいのか分からなくなっていた。自分の「正義」は、一体どこにあるのだろう。このまま、董卓の横暴を許していいのだろうか。幼い呂布の心は、深い闇の中に沈み込んでいくようだった。


そんなある夜、呂布の部屋を、ひっそりと訪れる者がいた。董卓の配下の一人、李粛(りしゅく)だった。彼は、以前から呂布に親身に接してくれていた数少ない人物だった。李粛の顔には、深い憂いと、何かを決意したような表情が浮かんでいた。


「呂布殿…お一人で、何を悩んでおられるのですか」

李粛の声は、静かでありながらも、呂布の心にそっと寄り添うようだった。呂布は顔を上げ、彼の瞳を見つめた。

「李粛様…私、もう、誰を信じたらいいのか、わからない…」

呂布は、これまでの胸の内を、李粛に打ち明けた。董卓への不信感、貂蝉を巡る出来事、そして自分の「正義」が揺らいでいること。


李粛は、呂布の言葉を静かに聞いていた。そして、ゆっくりと口を開いた。

「呂布殿。あなたは、王允殿の計略に巻き込まれているのです」

その言葉に、呂布ははっと息をのんだ。

「計略…?」

「はい。貂蝉殿は、王允殿の養女。そして、董卓様とあなた様を仲違いさせるために、王允殿が仕掛けた『連環の計』というものです」

李粛の言葉は、呂布の頭に雷が落ちたような衝撃を与えた。貂蝉が、王允の養女? そして、自分が、その計略に利用されていた?


呂布は、信じられない思いで李粛を見つめた。

「そんな…じゃあ、貂蝉も…私を騙していたの…?」

呂布の瞳からは、大粒の涙がこぼれ落ちた。貂蝉の優しい言葉、平和を願う気持ち。それらすべてが、偽りだったと知った時の絶望は、董卓に裏切られた時以上のものだった。


李粛は、呂布の震える肩に手を置いた。

「貂蝉殿も、王允殿の命に従っているだけでしょう。彼女もまた、この乱世の犠牲者なのです。王允殿の目的は、董卓様を討つこと。そのために、あなた様の力を利用しようとしているのです」

李粛の言葉は、残酷な真実を突きつけた。呂布は、自分が誰かの思惑通りに動かされていたことを知り、深い屈辱と怒りを感じた。


「みんな…みんな、私を利用しようとしている…!」

呂布の心は、人間不信の淵へと沈みかけた。純粋な心で信じてきた人々が、次々と自分を裏切っていく。この世に、信じられるものなど何一つないのではないか。


李粛は、呂布の絶望的な表情を見て、静かに続けた。

「しかし、呂布殿。あなた様のその純粋な『正義』の心は、決して偽りではありません。誰に利用されようと、誰に裏切られようと、あなた様が本当に願う『みんなの笑顔』は、決して色褪せることはないはずです」

李粛の言葉は、呂布の心に、かすかな光を灯した。彼の瞳は、偽りのない、真摯なものだった。


「どうか、ご自身の心に従ってください。あなた様が本当に守りたいものは何なのか。この乱世で、誰の笑顔を願うのか。それだけは、決して見失わないでください」

李粛はそう言って、呂布の部屋を後にした。


一人残された呂布は、膝を抱え、深く考え込んだ。王允の計略。貂蝉の真意。そして、董卓の暴政。すべてが複雑に絡み合い、呂布を混乱させた。しかし、李粛の言葉が、呂布の心に強く響いていた。「ご自身の心に従ってください」。


呂布は、ゆっくりと顔を上げた。彼女の瞳には、まだ迷いの影は残っていたが、それでも、誰かの思惑に流されるのではなく、自分自身の「正義」を見つけることへの、新たな決意が宿っていた。

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