第二部:揺らぐ忠義、真実の兆し

第9話:董卓の暴政、加速

虎牢関での曹操との対峙は、呂布の心に深い傷痕を残した。曹操の言葉が、董卓への疑念を決定的なものにしたのだ。彼の言う「平和のため」という大義は、今や呂布の目には、ただの飾り言葉にしか見えなかった。毎日のように目にする董卓の残虐な行い、苦しむ民の姿が、その疑念を確信へと変えていく。


虎牢関の戦いの後も、反董卓連合軍との戦いは続いていた。しかし、董卓は戦況が不利になると見るや、驚くべき、そして残虐な命令を下した。


「洛陽の都を焼き払え! そして長安(ちょうあん)へ遷都する!」


その命令は、董卓軍の兵士たちをも凍りつかせた。洛陽は、漢王朝の都として何百年もの歴史を刻んできた場所だ。そこに暮らす無数の民、先祖代々受け継がれてきた家々、そして皇帝が鎮座する宮殿。それらすべてを焼き払い、新しい都へ移るというのだ。


呂布は、董卓の傍らでその命令を聞いた時、信じられない思いで彼を見上げた。

「董卓様…! どうして、そんなことを…!」

呂布の純粋な問いかけに、董卓は一瞥もくれず、冷酷な声で言い放った。

「これは乱世だ。旧い都に固執しては、進むものも進まぬ。新たな都で、わしは真の天下を築くのだ」

董卓の顔には、もはや以前のような「優しさ」の欠片もなかった。そこにあったのは、ただひたすらな権力への執着と、すべてを支配しようとする狂気じみた欲望だけだった。


李儒は淡々と遷都の準備を進め、李粛は苦虫を噛み潰したような顔で天を仰ぐばかりだった。呂布は、宮殿から引きずり出される献帝の悲痛な叫びを聞いた。怯えきった民が、家を追われ、路上に立ち尽くしている。彼らの瞳には、希望の光など一つも宿っていなかった。


「これが…平和のため、なの?」

呂布の小さな唇から、かすれた声が漏れた。董卓が語っていた「天下を統一し、乱世を終わらせる」という言葉は、今や全くの嘘に聞こえた。彼の行動は、民を救うどころか、さらなる苦しみを与えているだけだ。


洛陽の街に、火の手が上がった。美しい宮殿が炎に包まれ、家々が燃え落ちていく。煙と灰が空を覆い、街は地獄のような様相を呈した。呂布は、その光景を呆然と見つめるしかなかった。胸の奥で、何かが音を立てて崩れていくのを感じた。董卓を信じ、彼の剣として戦ってきた日々。そのすべてが、偽りだったかのように思えた。


長安への道中も、董卓の暴政は加速した。食料を求める民は容赦なく打ち据えられ、金品は奪い取られた。兵士たちは規律を失い、略奪と暴行が横行する。呂布は、自分の力の及ばないところで、人々が苦しめられていることに、深い絶望を感じた。自分の「正義」は、一体どこにあるのだろうか。


長安に到着した董卓は、すぐに新たな宮殿を築かせ、以前にも増して豪華な生活を始めた。しかし、その贅沢の裏で、民の苦しみは増すばかりだった。呂布は、董卓の姿を見るたびに、胸の奥で怒りが燃え上がるのを感じた。


この人物に、自分の純粋な力を捧げてしまった。

この人物に、村を守るという願いを託してしまった。


彼女の中で、董卓への信頼は完全に打ち砕かれた。残ったのは、後悔と、そして彼に対する激しい憎しみだけだった。しかし、幼い彼女には、この巨大な暴君にどう立ち向かえば良いのか、その答えが見つからずにいた。

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