第3話:初陣と戸惑い

董卓の養子となって数ヶ月、呂布は洛陽の董卓の屋敷で暮らしていた。豪華絢爛な調度品に囲まれた生活は、辺境の村とはまるで違う。毎日の食事には見たこともないご馳走が並び、呂布が少しでも興味を示せば、すぐにそれが手配された。董卓は呂布を「我が娘」と呼び、ことあるごとに甘やかした。彼にとって呂布は、手に入れた最強の「宝物」だった。


呂布は董卓の期待に応えるべく、武術の訓練に励んだ。彼が用意した腕利きの師範たちは、呂布の天賦の才に舌を巻いた。教わった技はすぐに身につき、彼女の槍の腕は日ごとに磨かれていった。しかし、呂布の心は、ただ武術を極めることだけにはなかった。彼女は、董卓の「この乱世を終わらせる」という言葉を信じ、そのために強くなろうとしていた。村の皆の笑顔を思い出すたび、彼女の心は高揚した。


そして、ついにその日が来た。董卓軍が反董卓勢力との戦に出陣することになったのだ。呂布は初陣を迎えることになった。

「呂布よ、存分に力を示すが良い。お前の武こそが、この世の乱れを鎮めるのだ」

董卓はそう言って、戦場へ向かう呂布の肩を叩いた。呂布は胸を張り、強く頷いた。自分は正義のために戦う。そう信じて疑わなかった。


戦場は、呂布が想像していたよりも遥かに混沌としていた。怒号と悲鳴が入り乱れ、土煙の向こうでは血しぶきが舞っている。呂布は方天画戟を手に、董卓軍の先頭で駆け抜けた。彼女の槍は、まるで意志を持っているかのように敵兵を薙ぎ倒していく。その一撃一撃は、まさしく「鬼神」の如き力だった。


「ひ、ひぃっ! 化け物だ!」

敵兵たちは呂布の姿を見るや否や、恐怖に震え上がった。幼い少女が、自らの背丈ほどもある長大な戟を軽々と操り、兵士たちをなぎ倒していく姿は、まさに悪夢そのものだった。呂布の視界からは、敵兵が次々と倒れていく。最初は、村を守った時のように、目の前の「悪」を打ち倒している感覚だった。


しかし、時間が経つにつれて、呂布の心に微かな違和感が芽生え始める。倒した兵士たちの顔は、馬賊のような残虐な笑みを浮かべていない。ただ、恐怖に歪み、苦痛に喘いでいるだけだ。彼らもまた、誰かの父であり、誰かの息子なのではないか。

「…っ!」

呂布の動きが一瞬止まった。彼女の槍の穂先が、今まさに命を奪おうとした敵兵の顔の直前で止まる。その兵士は、震える瞳で呂布を見上げていた。その目には、故郷に残してきた家族を案じるような、深い悲しみが宿っていた。


戦は、董卓軍の圧倒的な勝利に終わった。呂布の活躍は、兵士たちの間で伝説のように語り継がれた。

「やはり、呂布殿は天下無双!」

「董卓様も、とんでもない鬼神を手に入れたものだ!」

兵士たちの称賛の声が聞こえてくる。だが、呂布の心は晴れなかった。勝利の喜びよりも、胸の中に広がる重苦しさに支配されていた。


夜、一人になった呂布は、静かに涙を流した。幼い頬を伝う熱い雫が、畳に染みを作る。

「私…本当に、これで良かったのかな…?」

純粋な正義を信じていたはずの心に、深い迷いが生まれていた。人々を救うための戦いのはずが、なぜこれほどまでに、誰かの悲しみを生むのだろう。

その時、部屋の扉が静かに開いた。董卓が、音もなく入ってきたのだ。彼は呂布のそばにそっと座り、震える小さな体を抱きしめた。


「どうした、呂布よ。泣くことなどない。よくやったぞ」

董卓の声は、いつもの威圧感を含まず、驚くほど優しかった。呂布は董卓の胸に顔を埋め、声を上げて泣いた。

「でも…でも、私…たくさんの人を、殺しちゃった…!」

董卓は呂布の背を優しく撫で、耳元で囁いた。

「これは乱世だ。誰かが、やらねばならぬことなのだ。お前のしていることは、決して無駄ではない。これは、乱世を終わらせ、真の平和を築くための、必要な犠牲なのだ。お前は、皆を守るために戦ったのだ。その正義の心は、何一つ間違ってはいない」

董卓の言葉は、呂布の心に染み渡るように感じられた。彼の言葉が、呂布の迷いを、少しずつ溶かしていく。


「…そう、なの?」

「そうだ。お前こそが、この天下を救うのだ。信じろ、呂布。そして、これからも我が腕となり、我と共に進むのだ」

董卓はそう言って、呂布を強く抱きしめた。呂布は再び、董卓の言葉を信じようと決意した。この人が言うのなら、きっとそうに違いない。自分は、正しい道を歩んでいるのだと。彼女の瞳には、まだ迷いの影は残っていたが、それでも前を向こうとする光が宿っていた。

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