第8話

 文化祭が終わった教室は、嘘みたいに静かだった。


 数日前までの賑やかさが夢だったように、席に着いても誰も口を開かない。

 そんな中で、教室の後ろの席――結城レイナの背中を、俺はそっと見つめていた。


(あの手のぬくもり、まだ覚えてる)


 文化祭当日の夜、校庭のキャンドルの前で手を握ってくれたあの時のこと。

 何も言葉を交わさなくても、確かに“気持ち”が通じていたと思っていた。


 だけど、レイナは――あれ以来、少しだけ距離を置いているようにも感じた。


     ***


 昼休み。


 廊下に呼び出され、俺はほのかと並んで歩いていた。


「……文化祭、楽しかったね」


「ああ。準備は大変だったけどな」


「でも、相沢くんが楽しそうにしてるの、見てたよ」


「そ、そうか?」


「うん。……それで、思ったの」


 ほのかは立ち止まり、俺の顔を真正面から見つめてきた。


「悠真は、結城さんのことが好きなんだね」


「……っ」


 胸が跳ねた。


「前からなんとなく感じてた。でも、文化祭の日に、手を繋いでるのを見て――確信した」


「見て、たのか……」


「うん。あたしね、悔しかったよ」


 ほのかの言葉に、息が詰まった。


「だって、悠真はずっと、あたしの隣にいると思ってた。勝手だけど、ずっと“家族”みたいなもんだって思ってたから」


「……ごめん」


「謝らないで。悪いことなんてしてない。結城さんは、すごくいい子だって、今はわかるから」


「……」


「ただ、伝えたかっただけ。あたしも、悠真のこと、好きだったって」


 それは、優しい告白だった。

 涙もない、責めるでもない。

 だけど、痛いほど切なくて――俺は言葉が見つからなかった。


「……ありがとう、ほのか」


「うん。これからも、友達でいさせてね」


     ***


 放課後。

 家に帰ると、リビングのソファでレイナがうずくまっていた。


「レイナ? どうした?」


「……ちょっとだけ、疲れた」


「大丈夫か?」


 近づこうとすると、彼女はそっと顔を上げた。


「悠真。……ねえ、あたしって、変じゃない?」


「は?」


「学校じゃ怖がられてたのに、今は急にみんなが優しくしてくる。でも、それがなんか……嘘みたいで、怖いの」


 レイナの目が、ほんの少し潤んでいた。


「もしかしたら、また、裏切られるんじゃないかって。あたし、また“変な奴”って言われるんじゃないかって、ずっと思ってる」


「……」


「それに、悠真だって……いつか、あたしのこと、面倒に思うんじゃないかって」


「レイナ」


 俺は彼女の手をそっと握った。


「俺は、お前が怖がってる気持ちも、信じてない自分も、ぜんぶ知ってる。だから、一緒にいるんだ」


「……」


「お前がまた傷ついたら、俺が何度でも慰める。バカにされたら、俺が隣で笑い飛ばす。だからさ――」


 言葉が、つまった。


 伝えたい気持ちが多すぎて、うまく言葉にならなかった。


 だけどレイナは、ゆっくりと頷いた。


「……ありがと。ほんと、悠真はずるいよ」


「は?」


「好きって、そういうことじゃんか」


 また、そうやって。

 俺の胸の奥に、そっと火を灯すんだ。


     ***


 夜。

 レイナは俺の部屋の前で、急に立ち止まった。


「ねえ、明日さ、もしよかったら……一緒に登校しない?」


「えっ」


「もう、そろそろバレてもいいっていうか……一緒に歩きたいって、思ってる」


 レイナが、照れながらそう言った。


 俺は迷わず、頷いた。


「もちろん。一緒に行こう」


「うんっ」


 その笑顔は、少し涙ぐんでいて、でも――心から嬉しそうだった。


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